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セピアシアター  作者: さよん


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17/25

路地裏のうねり

今回はクーロンのスラムでナイトクラブ(ジャズバー)を営むラムと、清朝時代からやってきたハイリーが祭礼の日に遭遇した、不思議な現象の話。


今日は祭礼の日。

至る所で爆竹の音が鳴り響き、獅子舞が練り歩き、クーロンも漏れずに珍しく賑わっている。

住民の大半は昼過ぎに仕事を切り上げ、意気揚々と祭礼の準備に勤しむのだが、それと交代するようにラムの経営するナイトクラブは昼過ぎから店を開けていた。

普段より早い開店のせいか客の出入りも盛況で、洗い物や酔っ払い同士の小競り合いの仲裁といった普段のトラブルの他に、常備していたつまみが早々に売り切れて急遽屋台街へ走るといった、慣れないアクシデントに従業員たちは多忙を極めていた。


客が少し捌けたのを確認すると、ラムは一息つくため裏口から裏路地へ出た。

さっきまで耳を包んでいたジャズの演奏が分厚い扉によって遮断されると、音のない別の世界にやってきたかのようで、一瞬どこにいるのかわからなくなりそうな感覚に陥る。


ラムはポケットから取り出した煙草にマッチで火をつけると、一口吸い、そして、電線で埋め尽くされた天井を仰ぎながら大きく息を吐く。

体をほぐすため両腕を上げて大きく伸びをしていると、通路の奥から楽しそうな喧騒が聞こえてくる。

こんな時間でもまだ人がうろつける治安に安堵したが、その一方で、用心棒時代から抜け切れずにいる周囲への警戒心を強めていた。

こんな日は闇(・)側(・)の人間にとってもうってつけのビジネスイベントとなる。そのためラムは万が一トラブルが起きた場合のことも想定して、いつでも対応できるスイッチは入れていた。

その証拠にーーーーー路地の奥で揺らめく、うすぼんやりとした光に目を向ける。


あの光は薬をやっている奴に違いない。


今現在このクーロン全体でどれだけの人間が薬の売買をし、今夜どれだけの中毒者が生まれるのか。そして、明日の朝には一体何人が冷たくなって見つかるのか。

何度も目にしてきた、誰にもどうしようもできない現実をラムは静観する。

そこへ、店の手伝いを買って出たハイリーも休憩のためか裏口から出てきた。

「落ち着いたのか?」

「外の方で打ち上げ花火があがるみたいで、一旦ね。それにしても今日は本当に賑やかね。陽気な人に泣き上戸、妻が家庭を仕切っているからいつかその役を奪い返してやる、なんて愚痴が終わらない人もいて、なかなかロウの手伝いができなくて困ったわ。でも、酔っている人を見ていると本当に飽きないわね」


酔っぱらっている状態ではあるものの、常連客に限り自由にハイリーと接触させてはいたが、実際のところ今夜初めて店に立つハイリーになんとか声を掛ける口実を探していたのだろう、とラムはうすうす見当がついていた。

常連客だろうと、やはりそこは男なのだ。

今ちょうどハイリーが一旦外に抜けてきてくれたことが、客を落ち着けるためにもいいタイミングだったのかもしれないと、ラムは一人安堵する。


「人を観察している余裕があるなら、明日からお前に店の切り盛りを頼むとするか」

「また、その呼び方…。切り盛りならフージエやロウにだって任せられるでしょう?今夜は状況が状況だから手伝いをしているけれど、実際あなたたちに混ざるとなるとまた別の話だわ」

「別の話?まさか、今更ここの住人じゃないとは言わねぇよな?ここを出て行く、ってぇならそれこそ話は別だが?」


その時、奥で揺らめいていた光はいつの間にか見えなくなり、その光を灯していたであろう人物が通路を二人の方に向かって歩いてきてるのにラムは気づいた。

視点が定まっておらず、こちらの存在も見えていない様子で狭い通路にもかかわらず、右に左にフラフラと歩いている。

ラムは咄嗟にハイリーを壁際に寄せ、薬物中毒者からハイリーが見えないように自分の体で壁を作った。と、同時にラムの広い上半身がハイリーの眼前に迫り、視界を塞ぐ。

予期せぬラムの行動のせいか、中毒者に気づかれまいという思考が働いたせいか、一気に襲ってきた緊張にハイリーは思わず息を止める。

この時のハイリーは、周囲に聞こえてしまうのではないかと思うほど心臓の鼓動が強く打っていた。


そして、二人に近づいてきた薬物中毒者は何かぶつぶつ独り言をつぶやきながら、やはり二人が見えていない様子で、からんでくることもなくそのままラムの背後を通り過ぎて行った。


「ったく。こんな日は薬を買いに来る奴らが集まってくるから困る」


ほんの数秒のことなのに、ハイリーにはとても長い時間に感じていた。

ようやくラムが目の前からどいたことで、視界に戻ってきた通路の電球の光にほっとし、そして止めていた息を大きく吐いた。


自分の暮らしていた本来の時代なら、未亡人とはいえ気軽に女性に近づくなど無礼も無礼、思い切り突き飛ばしてやりたいところ。とはいえ、さっきの状況はラムの行動を咎めるのは間違いだと、ハイリーも十分理解していた。

思考を切り替え、早まった鼓動を落ち着けることに集中する。それでも、さっきの突然の出来事に動揺し、言葉が思うように続かない。ぎこちなく、平静を装う。

「私に出て行けというのなら…わかってる。ラムに迷惑を掛けていることも。なるべく早く出て行くつもり」


自分の暮らしていた時代に戻るべきなのだろうが、そんなすべは知るはずもなく、そもそもなぜ、どうやって今の時代に居るのか全く不明のまま。

この時代で暮らしていくにしてもあまりにも時代が違いすぎて、本当のところ、一人で生きて行けるか不安で仕方がなかった。


「俺は出て行けと言ってるんじゃなくて、あえて新しいことをやってみるのはどうかってことだ。俺やシュエガオ、ロウだってそう。ここにいるほとんどの奴は今までクソみてぇな毎日だった。だが、たった1回、思いもよらねぇ選択をしてみる。するとあとはバカみてぇに周りが勝手に動いてくれて、道が開けるもんさ。もし、何か自分を縛っていることがあっても、躊躇する必要はないんじゃねぇかと俺は思う。そもそも誰もお前の過去を知ってる奴はいねぇし、何をしたってお前を咎める奴もいねぇだろ。自分の好きなように生きたらいい」

ラムのその言葉を聞いた瞬間、ハイリーの脳裏にあの人が顔が蘇る。


『好きなように』


あ(・)の(・)人(・)が良く口にしていたハイリーへの思いやりの言葉。

一瞬、過去に浸っていたところに、ラムの会話が続きすぐに現実へと戻される。

「それともあれか?お嬢さんはこんな底辺な生活をしている俺達には混ざりたくねぇかって意味だったか?」

「からかうのはやめて」

ラムは吸い終わった煙草を通路に捨てると、休息の終了を惜しむようにゆっくりと、口の中の煙を深く吐いた。

二人は示し合わせたように会話を切り上げ店に戻ることにする。

その時、ハイリーは空気が変わったのを感じた。

湿気を帯びたような重く暗く、それでいて清らかで優しくもある、なんとも不思議な感覚が通路の奥から流れてくる。

それまで聞こえていた喧騒は消え、まるでこの世にはラムとハイリーの二人しかいないような感覚。


「ラム?」


ハイリーはラムに状況の同意を求めてみる。自分だけ変なのか、それとも空間全体がおかしいのか。

すると、通路の奥から透明な何かが現れ、うねるようにこちらへと向かってくるのが感覚でわかった。

透明で正確な正体は見えないが、通路を塞ぐほどとても大きく、それが確実に二人に向かってきているのだ。


「ラム?」


ハイリーはもう一度ラムの名前を呼んでみたが、それでも目の前に居るというのに返事、いや、反応そのものがない。

正体不明の何かは、もう二人の目前に迫りーーーそして、まるで二人を飲み込むかのように、うねりながら体を通過していった。

その証拠にラムの吐いた煙が、ゆっくりと大きな渦を描くように動いていて、それが向かった方へと流れて行く。


ハイリーはラムの無反応に不安を覚え、思い切って背中を人差し指でつついてみた。

すると、ようやくそれに応えるようにラムは振り返った。

きっとラムも、異変のあまり体が動かなかったのだろうと思い、ハイリーはほっと胸をなでおろした。のも束の間で。


「ねぇ、何か変じゃない?まさか、これも行事の一環なのかしら?」

「……?」

「ラム?」

「あんた、誰だ?」


時々ラムはハイリーをからかうことはあったが、今の顔は全くそれを言っているような表情ではない。

ラムの予想外な言葉にハイリーは全く理解が追い付かず、ただ立ち尽くす。

と、だんだんと不思議な空気感は薄れていき、ようやく普段の路地の喧騒が戻って来た。

そして。

裏口の扉が中から開き、ジャズの音楽が通路に漏れてきた。


「あ、やっぱり二人ともここにいた!」


扉を開けたのは、メイン歌手のデイジーだった。

「ちょっとちょっと、二人とも早く戻って来てよ。面白いこと始まるから!」

デイジーに促され、ラムは店に足を向ける。が、ハイリーの挙動がおかしいことに気づく。

「おい、中に戻るぞ」

ハイリーはキツネにつままれたような気分だったが、一旦胸にしまい、ホールの手伝いに戻ることにした。


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