第54話 配信部屋
「えっと、あ〜……アレだから! 私の部屋は綺麗だから!!」
「……私が考えてたこと分かったんですね。ちなみに何のフォローにもなってませんよ」
これを放置するのはあり得ない。
衛生的にも精神的にも、詩音さんの体調に悪影響を及ぼすのは明白だ。
というか彼女が以前喘息で入院した原因も、元を辿ればこの環境にあるのではないだろうか。
「ん?」
ふと、部屋の隅に大きな白いモヤが立っているのに気づいた。
眼鏡を外すまでもない。
あの独特なシルエットは、弦巻さんのボディガードだろう。
彼がいるということは、当然あのご本人もいるはずだ。
「で、その綺麗な部屋はどこですか?」
「こっち」
詩音さんに手を引かれ、奥の一室へと案内される。
一人暮らしには広すぎる間取りだなと思いつつ、通された扉を開ける。
「わぁ……ここが配信部屋なんですね」
「それ兼寝室だね。配信終わった後にすぐ眠れるよう横にベッドが置いてあるの」
部屋の扉の前で、なぜかアロハシャツ姿で寝転んでいる弦巻さんを跨ぎながら中に進む。
確かに、リビングに比べれば遥かに整頓されていた。
自室をこれだけ片付けられるなら、共用スペースも掃除すればいいのに、と思ってしまう。
「……確か詩音さん達って今からコラボ配信でしたっけ?」
「そうそう。だから一緒にゆっくりできるのは夕方頃かな。だから茜を暫く一人にするのは申し訳なかったんだけど……」
「別に私は気にしませんよ。というか外の掃除をしながら待ってますね」
「茜にそんなことさせるのは悪――」
「悪いとしたら、あの状態を放置したまま私を家にあげたことですね。普段弦巻さんしか家に入れないからって、感覚バグりすぎですよ」
「…………ごめん!」
私は足元の弦巻さんに視線を向けた。
「……アレはいつ起こすんですか?」
幸せそうに涎を垂らしながら寝転んでる弦巻さん。
……最近は彼女の出席日数が極端に落ち始めているせいで、見かけること自体が珍しい人物でもある。
たぶん文化祭が終わったから、本当に学校に興味を無くしたんだろう。
「もうそろそろ起こさないとまずいかも。でも、アメは寝ちゃうと普通には起きないんだよね」
そう言って、詩音さんは机に置いてあった小魚の袋を私に差し出してきた。
「え……え?」
「アメを昼寝から起こす時は、この小魚を口に正確に投げないと起きないの。試しに一回やってみて」
「……なるほど?」
私は半信半疑で小魚を一匹手に取り、弦巻さんの開いた口に向かって落としてみた。
すると、まるでセンサーが反応したかのように彼女の口が閉じ、咀嚼が始まった。
「うわぁ……気持ち悪いですね」
やがて咀嚼し終わると、カッ――となるように、彼女は眼をかっ開いた。
「おっ、茜っちじゃん。おはやう」
「…………おはようございます」
私は適当な量を掴み、再び彼女の口に向かって放り込んだ。
彼女はそれを一つ残らず口で掴み取り、もぐもぐと食べ始める。
……真っ白なシルエットが口をパクパクさせて食べ物を飲み込む姿はあまりに奇妙で、もう少し観察していたいという好奇心が勝ってしまった。
「もぐもぐ…………小魚や脂っこいものはお酒によく合う。もぐもぐ…………キミもそう思わないかな?」
「飲まないので知りません」
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『今日も皆様に太陽の御加護があらんことを……ぶいれいん所属にシスター・サニー――と」
『跪きなさい。今宵も貴方たちの命、私が吸い尽くしてあげる。天野シオンよ』
『ふふ……久しぶりにその挨拶聞いたけど、本当にユニークな挨拶ですよね。皆さんもそう思いませんか?』
『ちょ――それ指摘するのやめてって何回言えば!!』
私は掃除をしながら詩音さんの声に耳を傾けていた。
思えばこんな経験も中々珍しい。
イヤホン越しではなくまるで現実にシオンちゃんが存在しているのかのように思えるのだから。
でもあの扉を開けた先にいるのは天野シオンではなく月宮詩音なのだ。
その事実に落胆したりはしない。
ただ虚像と実像が重なり合う不思議な感覚に、どうしても心の中がざわついてしまう。
私はもう詩音さん一筋であるはずなのに、こういう割り切れないところが、私の面倒な性分なのだと思う。
「…………」
手を動かしていると、視界の端に微動だにしないボディガードの白いシルエットが映った。
ふと考えてしまう。
もし彼が何かの拍子で配信部屋に突入し、その姿や声が配信に乗ってしまったら?、と。
ネット上には男疑惑が瞬時に広まり、大炎上は免れないだろう。
なのでこれを一人放置してられる弦巻さんのメンタルはエグい。
よほど信用しているのだろう。
すると彼がおもむろにスマホを取り出し、画面に文字を打ち込み始めた。
ほどなくして、機械的な音声がスピーカーから流れる。
『お手伝いできず申し訳ありません。ですが何もするなと指示を受けておりまして』
「いえ、お気遣いなく。私も勝手にやってるだけですし、女性の私物に男性が触れるのは色々と問題があるでしょうから」
いや、ほんとなんだろう。
この奇異すぎる状況。
目の前にいるのに、翻訳アプリのような音声越しで会話する相手なんて初めて見た。
……まぁ別にいいんだけど。
その丁寧な態度を見る限り、私の懸念は杞憂だったようだ。
初対面の男性からわざわざ釘を刺されるなんて、私はよほど疑り深い表情をしていたのだろうか。
その後、買い出しに出た先でオートロックの壁に阻まれ、配信終わりの詩音さんに泣きついて迎えに来てもらうという致命的な失態を演じたりもした。




