第30話 同級生に子守歌で眠らされ、羞恥に悶える最推し
行き着くとこまで行きついてしまった気がする。
けど結局最後の一線は越えられなかった。
……でもそれで良かったのだろう。
性的虐待を受けた人に、私は虐待した人間と同じような真似をしかけた。
未遂――いや、もう世間的な目で言ってしまえば、やり切ってしまったようなものだ。
だけど何とか自分の欲求を押し殺して、最後の最後に耐えきる事ができた。
なんならコンビニへ行く直前に、月宮さんは空元気でいつものように、雰囲気を戻そうとまでしてくれた。
私から酷いことをしたのにも関わらず。
「はぁ、最後のチャンスだったのに。……私はここで止まれる良心を残してたんですね」
……きっとそういうことができる機会があるとしたら、今回が最初で最後だっただろう。
でもここで止まれて良かった。
好きな人を一方的に愛する事ができるのも、私個人としてはアリだけど、やっぱり私は相思相愛でいたい。
男性のように精を吐き出して終われるのならともかく、やっぱり私は一夜なんかで満足できないのだ。
月宮さんとはできる事なら、良好な関係のまま長く付き合いたい。
でもそれは友人としてではなく、恋人としてで……そしてそれがどれだけ希望のないことかも理解している。
「まぁ先の事は、未来の自分に託すとしましょう」
私は適当に絆創膏とみかんゼリーを2つ買って、ホテルに戻った。
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スマホを確認すれば、時刻は二十三時半を回ったところ。
部屋に戻ったあとは、なんとか何事も無かったような雰囲気で、私達はゼリーを食べ終える。
食べ終えると、私は先に自分のベッドへと身体を投げ出した。
「月宮さん、私と一緒に寝ませんか?」
「…………」
「安心して下さい。絶対に何もしませんから」
「……さっきのアレがあった後に、よくそんなこと言えたね」
「それを持ち出すなら、貴女をこのまま野放しにして寝るのが怖い、私の気持ちも考えて下さいよ」
そう返すと月宮さんは、つーんとした何とも言えない顔をしながら、私のベッドに縁に座った。
どうやら一緒に寝るのを許してくれるようだ。
そして彼女は少しどもりながら、口を開いた。
「こ、告白の件なんだけどさ――」
「その話はやめて下さい」
「…………」
私は食い気味で話を断ち切る。
「月宮さんが私に恋心を抱いてないことくらい分かってます。そして今口にしようとしたのは告白を【断る】または【お試しで付き合う】のどちらかの内容だった筈です」
「…………ん」
「そのどちらも私からすれば、関係の終わりへ続いてるようにしか見えません。月宮さんがもし私との関係を続けて良いと思うなら……」
私は縁に座っていた彼女の腰を引き寄せ、背後から抱きしめるようにしてベッドへ倒れ込んだ。
「いえ、これ以上の言葉は不要ですね」
「あ、茜ちゃんっ?!……何もしないって」
「何驚いてるんですか。別にこれ以上は何もしませんよ」
……とはいえ本当に何もしないのでは、結局彼女が眠くなるまで、無意に時間を浪費するだけだ。
さて、どうするべきか。
――そんな時、私は不意に閃いた。
「あっ……!」
「どうかしたの?」
「今、月宮さんが一緒に眠くなれる良い方法を思いつきましたよ! 私が眠れない時期によくシオンちゃんにやって貰ってた方法です!」
「……凄く嫌な予感がするんだけど、言ってみて」
「それは、私が羊の子守唄を歌ってあげるというものです!」
羊の子守唄。
ただただ羊の数を数えるだけの事である。
これをシオンちゃんが、深夜配信でやってたのを今思い出したのだ。
私はこれで不眠症だった時によく眠れたのを記憶している。
「ねぇ…………本当に凄く嫌なんだけど、それ以外の方法を思いついたりしない?」
「しません」
「私はこのままこうしてもらえれば眠れるから、本当にそういうのは…………凄く恥ずかしいっていうか……」
背中越しに嫌がっているのがひしひしと感じる。
私からすれば一度も試してないというのに、そんなに嫌がられても……って感じだ。
人間に睡眠は必要不可欠。
眠れないのなら、下らないプライドなんて捨てて、打てる手はすべて打つべきなのだ。
「ちなみに私の家で寝泊まりした時、一睡でもできましたか?」
「できて…………ない」
……あの時、妙に機嫌が悪いと思っていたけど、やっぱり眠れなかったのが原因なのだろう。
それを知ってこのまま彼女を放置する選択はない。
「なら尚のことダメですね」
私は彼女の細いお腹に右手を添え、左手をその小さな背中に回した。
子供をあやすような一定のリズム。
掌から伝わる彼女の微かな体温を感じながら、トントンと優しく背を叩き、低い声で羊を数え始める。
「では、頭の中でぼんやりと情景を浮かばせて下さいね。…………羊が一匹…………羊が二匹…………」
「ちょ、ちょっと待って!!何で私は背中を叩かれてるの??? 意味わかんないだけど?!」
「子供を寝かしつけるのには、有用なやり方らしいですよ。本能的に母の鼓動を感じれるからとか何とか。誰かが説明してた気がします」
「私は赤ちゃんじゃない!!」
「はぁ……うるさい口ですね」
暴れる彼女を抑え込むように、私はお腹に置いていた右手を移動させ、その唇を強引に掌で覆った。
「〜〜〜〜っ!!」
まだ何か言っているようだけど、結構ガッチリ塞いでいるせいで何を言っているかは分からない。
……というか、普通に抵抗しないで欲しいんだけど。
子供扱いされることに、コンプレックスがあったりするのだろうか。
だとしても申し訳ないが、ここは受け入れて欲しい。
「…………それ以上騒いだら、イタズラ――しちゃいますよ?」
彼女の耳朶に唇を寄せ、熱を孕んだ吐息とともに囁く。
途端、彼女の動きが石のように止まった。
「もう一度最初から最初から始めますね。……羊が一匹……」
再び、単調なリズムを刻み出す。
口を塞いでいた手をゆっくりと離しても、彼女はもう置物のように静かだった。
やがて強張っていた彼女の身体から少しずつ力が抜け、呼吸が深くなっていく。
「羊が500匹………………もしかして眠っちゃいましたか?」
問いかけに返事はない。
静寂が部屋を満たし、彼女がようやく深い眠りの底へと沈んだことを悟った――その時だった。
「お母さん……」
意識の底から零れ落ちたような、か細い一言。
その後に言葉は続かなかった。
「……寝言」
母親を呼んでいるだけだというのに、これほど可愛くない寝言というのも中々無いだろう。
月宮さんの家の事情を知らなければ、もっと楽観的にいられたのに。
……今思えば私の寝かしつけを彼女が嫌がっていたのも、遠い過去の記憶を想起させてしまうから、無意識に嫌がられたのかもしれない。
これで結局成功してしまったのだから、結果論として正しかったのだが、少し申し訳なさが残る。
「よくないですね、私。……犯罪でもなんでもない事に、反省ばかりしてしまうのは」
倫理観なんてものは、法律が許し限りの範疇で全部無視した方が、人生を楽しめるというのに。
…………こういう無駄な事の積み重ねで、更に自分が嫌いになってくる。
そして、こんなことについて深く考えてしまうのも良くない。
考えすぎているのも疲れている証拠だ。
思考を止めるように、私は腕の中の温もりを強く抱きしめた。
「好きです……大好きです」
届くことのない愛を、眠る狂獣の耳元に囁く。
「ずっと…………いつまでも一緒にいてください」
先の見えないこの関係を断ち切りたい。
そんな自身の隅っこにある想いを無視するように……本能のまま言葉を口にして、私はゆっくりと眠りに落ちていく。




