第31話 どこまでも歪み切っている女の子
翌朝。
「いつまで寝てるの!!」
暴力的なまでの怒声と、肩を叩く強い衝撃で意識が強制浮上した。
視界を埋める早朝の白い光。
ぼんやりとした頭で彼女を視界に捉えようとするが、月宮さんはベッド脇の椅子に腰掛け、不自然な角度で窓の外を見つめたまま、頑なに目を合わせようとはしなかった。
「おはようございます。昨日はしっかり眠れましたか? 途中で起きたりしませんでしたか?」
「……眠れた」
「眼を合わせずに言われても、説得力ないですよ」
妙だ。
昨日までの彼女とは明らかに違う、奇妙な空気感がある。
それが何なのか、今の私の寝ぼけた頭では正しく定義できない。
何か心境の変化があったのだろうか?
……というか、何で顔を見せてくれないんだろう。
「顔を見せてくださいね〜」
重い身体を引きずるようにベッドから立ち上がり、彼女の向かいの椅子に腰を下ろして、その表情を覗き込む。
彼女は弾かれたようにそっぽを向いたが、その横顔が耳の付け根まで真っ赤に染まっているのを、私は見逃さなかった。
熱があるのかと一瞬疑ったが、彼女は絞り出すような声で沈黙を破った。
「恥ずかしいの、色々と!」
「え?」
「昨日からずっと私の悪い部分ばっかり見せて、何にも良いとこないから、自分が嫌になってるの!!……分かるっ?!?!」
「あ〜……確かに」
思えば昨日一日の月宮さんの行動を客観視すると、結構酷いものだ。
空元気で人を振り回し倒すし、いつも通りの癇癪は起こすし、私のこと刺し殺そうとしてくるし。
……本当に酷いものだ。
普通の友人関係というものが私にはよく分からないけど、この関係が例え家族だとしても、人によっては縁を切りたがるのではないだろうか。
私は相手が月宮さんでなければ絶対に無理だし、他人だったら100%縁を切ってる。
「ねぇ、なんでそのまま肯定してるの? そこはもっと気の利いたフォローするべきでしょ」
月宮さんは向かいの席から手を伸ばして、私の胸ぐらを力強く掴み上げ睨みつけてきた。
「理不尽」
いつも通りの暴力的行為だ。
さっき寝起きで感じた変な違和感は、気のせいだったのだろうか?
「こっちは同い年の子に寝かしつけられて、死ぬほど恥ずかしいの!! もっとちゃんとフォローして! じゃないと嫌いになりそう!」
「嫌い…………ですか」
嫌いになりそう……ね。
2日前までならはっきりと『大嫌い』と言ってくれた方が、心持ち的には有り難かったかもしれない。
でも、今の私の頭はもうぐちゃぐちゃだ。
先のことをどうするか――なんて、暫くは何も考えたくない。
おまけにあまり良いシチュエーションとは言えないが、こっちは好きという感情を伝えてしまったし。
本当に嫌われるなら、傷の浅い今のうちにそうなってくれた方がとても助かるかもしれない。
あまり長いこと一緒にいると、私の心が持ちそうにないから。
だからこその退学の提案だったのに。
「ごめん、冗談だから本気にしないで。……昨日の事は本当にありがとうって思ってるから」
私が虚ろな目で思考の泥沼に沈んでいると、月宮さんは急に手を離し、椅子から立ち上がって横から私に抱きついた。
「ふぇ……?」
伝わってくる彼女の身体は、小刻みに震えていた。
「きゅ、急にどうしたんですか?」
「……茜ちゃんが嫌な顔してたから」
い、嫌な顔……?
自分ではそんな表情をした覚えはない。
考えごとに一瞬集中してたので、覚えがなくて当然かもしれないが。
「そんな酷い顔してましたか? それはすみません。一応参考までにどんな顔をしていたか聞きたいんですが……」
「…………」
「…………すみません」
彼女は答える代わりに、私を抱きしめる腕に力を込めた。
やがて月宮さんはゆっくりと身体を離し、数歩歩いて背中を向けた。
「…………なんでこうなったんだろう。元々茜ちゃんを外に引っ張りあげて、普通に戻すための旅行だったのに……」
「それは……要らぬお節介をかけてしまったようですね」
……この旅行にそういう意味があったのには驚きだけど、それ以上にやっぱり違和感が目立って仕方ない。
何だろう。
なんなんだろう。
私は一体何に気になっているのだろう。
「本当にね。……こっちがおかしくなっちゃっただけだった」
「ふふっ、私の変人オーラが月宮さんに伝播してしまったようで、すみません」
嫌われているわけでは絶対に無い。
かと言って恋とも私の視点から見ると、断言できそうに無い。
……ちょっと分からないから、言葉でジャブを打ってみるのもアリかもしれない。
「でも大丈夫です。私は月宮さんがどこまで頭がおかしくなっても嫌いになったりしませんし、見捨てもしませんから」
「――――――ッ!?」
私がそう言うと彼女の肩がピクリと震えた。
「なので、安心して今まで通り振る舞ってくださいね。貴女が私を繋ぎ止める為の脅しも、勿論まだ有効ですよ」
「……期限の一年が過ぎても退学せずにずっと一緒にいてくれる? 私と一緒にいてくれる?」
私はこのぎゅうぎゅう詰め状態の高校生活が、本当に嫌だ。
せめてある程度自由が保障されている大学を一緒に通うという条件なら、今の私でも彼女が隣にいてくれるなら、全然喜べるけど……
流石に高校を3年間通い続けるのは、やっぱり今考えても厳しい。
絶っっっ対に死んでも無理だ。
ここら辺の考えはいまだ月宮さんありきでも、中々変わらない。
「それは無理です」
私が告げると同時に、月宮さんの右手が空を切り、私の頬を叩いた。
「ぶへぇっ!」
「歯磨きしてくる」
吐き捨てるように言い残し、彼女は洗面所へと消えていった。
「…………はい」
私はテーブルに両肘を置き、頭を俯かせた。
「はぁ……なるほど、起きてからの違和感はそういうことでしたか」
ここまで来ると流石の私でも理解できる。
頬に残る熱い感触。
昨夜から今朝にかけての出来事で、すべてがはっきりとしてしまった。
――月宮さんの心は、おそらく私への依存心へと傾き始めた。
「……客観的に自分に似たタイプを見る機会がないせいで、少し気づくのが遅れちゃいましたね」
今の私且つ、今の状態の月宮さん言動と行動だからこそ、それを理解できた。
その事実には凄く喜ばしいことだとは思う。
何故なら彼女は私を一番に見てくれているというのだから
……でも依存と恋は近いようでもちろん違う。
それは私が彼女に友人として依存していながら、恋愛対象はシオンちゃんであったように。
そして事に及ぼうとした時に、彼女の体が私を拒絶していたように。
私は弦巻さんの手によって最終的なベクトルを固定されてしまったけど、月宮さんのこの感情が最後にどう転ぶかは分からない。
けれど今の弱り切った彼女なら、この依存心を利用して上手く立ち回れば、私が望む恋人という関係を成就させることも、決して不可能ではないだろう。
…………でも、それを私の意思でするという事は、私は人の心を自由に弄んで支配するゲス野郎に成り下がるという事である。
それは今まで友人を作ったことのない私にとって、非常に魅力的な報酬でありながら、自身の持つ歪な倫理観と良心を捨て、完全に外道に走りだすという事にもなってしまう。
弱肉強食は世の常で絶対不変の真理。
私以外の他人はこんなこと当たり前にこなしているし、罪悪感など抱かない。
私の言葉に耳を傾ける人など、捻り潰されて当然の弱者である。
――だったら。
今さらそんな外道に憧れるくらいなら、昨夜のうちに彼女を犯し尽くしてしまえばよかったのだ。
欲望のまま徹底的に。
彼女をめちゃくちゃにして、力ずくで自分だけのものにしてしまえばよかったのだ。
一晩の関係から全部状況をこっち有利の方に持っていく事だって、今の私と月宮さんの立場関係ならできたかもしれない。
だというのに…………
私は鏡を見るのも厭わしいほど醜く顔を歪ませ、独り言をこぼした。
「本当に私は…………半端なクソ女ですね」
昔の私はキスの件でもここまで考えなかったはず――というか、罪から逃げ出そうとしていたはずなのに……
私の頭も月宮さんを好きになってから――そしてこれまでの月宮さんとの関係を通して壊れてしまったようだ。




