第102話 今日は詩音さんの家に泊まりたいです。……ダメ、ですか?
《これ以上先に進まないで!!》
《今とても良い雰囲気なんだから!!》
「いま詩音が頑張ってるんだから、邪魔しようとしないでくれない?」
詩音さんと共に上体を起こし、声の源へ視線を向ける。
するとそこには、目を疑うような光景が広がっていた。
かつて私が通っていた高校のクラスメイトたちが、まるで精鋭部隊のように居並んでいるのだ。
坂本さんを筆頭に総勢六、七名。
「あれ? なんでみんな揃ってここにいるんだろう?」
「えぇ…………」
一体どういう状況かは理解できない。
だけど、どうやら私達を守る壁のようにして立っていたようだ。
そしてその防波堤の先で足止めを食らっている連中からは、さらに聞き覚えのある怒号が轟いていた。
「ガキィ゛!!!!!!」
《お゛い゛ガ゛キ゛ィ゛!゛!゛!゛!゛》
「体格差考えて物言えやァ゛!゛!゛!゛!゛」
《子供が気遣うんじゃないよォ゛!゛!゛!゛!゛》
ヤクザさながらの声量で吠え立てる、規格外の乱入者たち。
……この鼓膜を震わせる特異な周波数は、おそらく私の所属事務所の先輩方だ。
なぜこんな辺境の地に彼らが集結しているのか。
論理的な説明がつかない事態に、私はこれが聞き間違いであることを切に願った。
「詩音さん、もしかしてうちのクラスの人達を誘ったんですか?」
「誘ってな……あ、でも、鈴菜にはレジャーシートの用意だけ頼んじゃったかな」
「なるほど」
「まぁ配信であれだけ言っちゃったし、それに教室で『茜を私の物にするにはどうすればいい?』って相談したから、みんな結果が気になって来ちゃったんじゃないかな?」
「あと……何故か先輩方もいる気がするんですが」
「いるみたいだね。あの人達がいるのは本当に意味分かんないけど……放っておいたら喧嘩が始まりそうだし、茜が良いならここに呼んでいい?」
「いいですよ。このシートは無駄に広いみたいですから、人が多少増えても問題はないでしょう」
今の私は心が澄み渡っている。
他人がどれだけいようと、もう何も関係ない。
気にもならない。
私はもう詩音さん一筋なのだから。
「みんなー! こっちこっち、おいでーっ!」
詩音さんが晴れやかな声を張り上げ、一触即発の睨み合いを続けていた一団を呼び寄せた。
クラスメイトたちはバツが悪そうに肩をすくめて歩み寄り、一方で先輩たちは獲物を見つけた猛獣のような足取りで、意気揚々とこちらへ詰め寄ってくる。
瞬く間に私たちの周囲は、騒がしい人達で埋め尽くされた。
「よぉ、久しぶりだな。アカリ」
「宮本――」
「レンな? 本名呼びだと配信でポロッと出されそうで怖いんだよ」
「声も変えずにV名義で呼び合うってだいぶリスキーな気がしますけど……まぁ今度から気をつけます」
見覚えのある少し跳ねた茶髪。
私の脳内にある不愉快な記憶の断片が、目の前の男と合致していく。
「……貴方もしかして、さっき私の頭叩きました?」
「あぁ、そういえばそんなこともしたな。アカリがシオンのいるところと、逆方向に進んでるのを見かけたからつい――」
言い終わるより早く、私は彼のお腹に拳を叩き込んでいた。
ノータイム、ノー加減。
重い衝撃音と共に、男の体がシートの外へと弾け飛ぶ。
《こ、怖い……》
《っていうかこの子本当にアカリちゃんなんだ》
《レンはよく一眼でアカリって分かったな。私も途中ですれ違ったけど、綺麗な外国人としか思わんかったわ》
確かによく私の容姿で気づいたものだ。
流石は気持ち悪いあだ名をつけられるだけのことはある。
私は詩音さんの方へ視線を向けた。
彼女はいつの間にか、クラスメイトたちに包囲されるようにして言葉を交わしている。
「ごめん、詩音!! 邪魔しちゃった!!!」
《《《ごめんなさい!!》》》
「いいよいいよ〜。おかげさまで茜とは仲直りできたし、約束通りみんなには今度焼肉奢ってあげるね?」
詩音さんがそういうと、クラスメイト組で声が湧き上がった。
焼肉がなんの話か分からないけど、私の相談とやらをした時に持ちだしたことなのだろう。
まるで舞台裏を見てしまったようで、少しだけ熱が冷めないわけでもない。
けど後の祭りだし、詩音さんが好きなのはもう変わったりしない。
私はVTuber組へと視線を戻した。
そこには悶絶しながら、レンが這うような動作でシートの上へ戻ってくるところだった。
「馬鹿がよ……もう少し加減してくれてもいいだろ」
「それも今度考えておきます。それよりなんで貴方達がここにいるんですか?」
《アカリちゃん、それはあれ見たら分かるよ》
先輩の一人が、少し離れた土手の方を指差した。
そこでは別の先輩数人と弦巻さんが、流れる音楽に合わせて、妙に神妙な面持ちで奇妙な踊りをしていた。
《サニーが『花火大会見に行こう?』って誘ってくれたから、遊びにきたの》
「弦巻さんって事務所辞めてますよね。まだ皆さんと連絡を取ってることに驚きですよ……」
「別に引退した後でも友人関係は続くもんだろ。事務所は関係ねえよ」
《ソユコト〜》
なるほど。
友達が今や一人しかいない私には、よく分からないけど、きっとそういうものなのだろう。
……それよりもこの人達がいると、詩音さんの方に気を回せないのが、少しだけ悔やまれる。
「あかね〜!」
内心で独占欲を燻らせていたその時、背後からの柔らかい衝撃と共に抱きつかれた。
「今、顔に『構ってほしい』って書いてあったよ?」
「まぁ……はい、否定はしませんけど」
周囲の視線が突き刺さっている手前、素直に肯定するのは気恥ずかしい。
「あっつ〜」
《夏、だな》
「……見せ物じゃないんですけどね、私達」
「まっ、こうやってみんなで騒ぐのも、たまには悪くないでしょ」
「そうですね……今はもう、そう思えるかもです」
私は不意に空を見上げた。
いつの間にか雨は跡形もなく消え去り、夜空は澄み渡っている。
花火はいよいよ、惜しみない光を注ぎ込むラストスパートを迎えようとしていた。
「詩音さんと一生を過ごすのが決まったわけですし、こういう環境にも楽しみを見出したいものです」
今日からまた私は、全く新しい自分に生まれ変わることになるだろう。
できるかどうかは分からないけど、これからは他人と関わるのに、あまり心が疲れない自分になりたい。
詩音さんと過ごすなら、そんな私でありたいものである。
---
周囲がなおも狂騒に沸く中で、私と詩音さんは互いの体温を分け合うように身を寄せ合い、夜空のフィナーレを見届けた。
黄金の雨が網膜に焼き付き、余韻を残して闇に溶けていく。
「そんじゃ、俺らはこのままカラオケだ。次は東京のスタジオで会おうな」
「はい」
「またね」
祭りの余熱を纏ったまま、先輩たちは騒々しく去っていく。
「あの人達ってVtuberの中の人だったんだ。私、レンくん推しになりそうだったのに、ちょっと幻滅」
「レンはやめた方がいいよ。性格悪いしうるさいから。それより鈴菜達はどうするの?」
「私もそろそろ帰るよ。今日は充分すぎるほど楽しんだしね。――二人ともお幸せに」
《藤崎、また学校来――》
坂本さんは、何かを言いかけた男子生徒の首根っこを無造作に掴み、そのまま闇の向こうへと引きずっていった。
「詩音さん、私達は――」
「お姉ちゃんっ! ……やっと見つけた。お母さんたちが、もう帰るよって!」
不意に背後から声をかけられ、振り返ると明日菜が立っていた。
その数歩先では、祖母と母がこちらを心配そうに窺っている。
「…………」
そうか。
もう帰る時間なんだ。
胸の奥を、刺すような名残惜しさが通り過ぎていく。
もっと一秒でも長くこの人の隣にいたい。
理屈などとうに枯れ果て、ただ子供のような欲望だけが私を支配していた。
「お姉ちゃん?」
「……私は……」
救いを求めるように、隣の詩音さんに視線を送る。
「……?」
けれど彼女は首を傾げるばかりで、私の意図を汲み取ってはくれないようだった。
こういう時こそ、あの傲慢なまでの強引さで私を連れ去ってほしいのに。
――いや、今ここで帰るなんて絶対に嫌だ。
そんなことは到底受け入れられない。
私はそれを許容できない。
私はまだ詩音さんと一緒にいたい。
「……詩音さん」
「ん? なに?」
私は隣にいる彼女の指先を絡めとり、熱を孕んだ視線を向ける。
それは自分でも驚くほど気色の悪い懇願であり、剥き出しの本能から出た誘惑だった。
「私……今日は、詩音さんの家に泊まりたいです。……ダメ、ですか?」
喉の奥で震えるような私の言葉に、詩音さんの口角が吊り上がった。
「いいの?」
「……はい。やっと両想いになれたのに、ここで帰るなんてできませんよ」
そう言って私は彼女の細い腕に、逃がさないと言わんばかりにしがみついた。
「というわけで明日菜、お母さん達にはそう伝えておいてください」
「お姉ちゃん……あんだけ家で啖呵切っておいて、結局詩音さんに惨敗しちゃってるじゃん」
「あーあーっっ!!! 聞こえません! 馬鹿言ってないで早く伝えてきてください! 明日か明後日には戻るので!!」
シッ、シッ、と追い払うように明日菜へ手を振ると、彼女は呆れ果てたような、けれどどこか暖かい笑みを浮かべて家族の元へと駆けていった。
「じゃ、私達も家に帰ろっか」
「はいっ!!」




