第101話 皮膚を喰い破られて喜ぶド変態 ☆
詩音さんの背に揺られながら移動し、ようやく確保されていたスペースへ降ろされる。
私は礼を言う気力すら残っておらず、そのまま泥のようにシートの上へ横たわった。
小雨に濡れたビニールの冷たさが浴衣越しに伝わってきたけれど、今の私にはそれを気にするだけの余裕も元気もない。
「茜ってそういうこと外でするんだ、意外」
「みんな花火に夢中で、こっちのことなんか見てませんし……それに今日は疲れちゃいました」
「確かにね」
私は重い瞼を持ち上げ空に視線を投げた。
全天を覆い尽くす火花は、確かに一段と美しい。
降り続く小雨がフィルターの役割を果たしているのか、爆ぜた光が雨粒に乱反射し、万華鏡のように煌めきながら降り注いでくる。
これまでの人生で見てきたどの花火よりも、深く記憶へ刻まれる光景だった。
頭上に広がる花火に集中していると、視界を塞ぐようにして、詩音さんが私の真上に顔を出した。
「……なんですか」
「ここ暫くの茜が起こした面倒ごとに対する埋め合わせ、必要だと思わない?」
「面倒ごとって……ただちょっと態度が悪かっただけでしょうに」
「『やってる事が、あのストーカー男と変わりませんよ』――だっけ?」
詩音さんは口元こそ笑っていたが、その瞳の奥には「絶対に許さない」という固い意思が見てとれた。
その言葉はこの前、詩音さんから逃げ出す直前に言い放ったものであるが、どうやら彼女には相当効いてしまったらしい。
「………………すみません」
「そうだよね、普通はそう謝るべきだよね?」
「……はい」
「でも怒りたいのはそれだけじゃなくて、ここ数ヶ月に渡って茜が素直になってくれなかったことに対してでもあるから、謝罪の言葉だけじゃ全然足りないかな〜?」
私は気まずさに耐えかね、逃げるように寝返りを打った。
「うっ、そのぉ……一度だけなんでもしますから、どうかそれで許してください」
「なんでもしてくれるし、なんでも受け入れてくれるって?」
「……はい」
「エッチなことでも?」
「は、ぃぃぃ……」
あの攻防は割とお互い様な気もするけど、私が言い過ぎたのは確かに否めない。
もう詩音さんと一緒に生きるって決めてしまったのだから、こういう悪いことをした時の埋め合わせもちゃんとしておかないといけないだろう。
「じゃあそこから絶対に動かないでね」
有無を言わさぬ声とともに、詩音さんが私の上に覆い被さってきた。
柔らかい重みが全身にかかり、逃げ場のない檻に閉じ込められたような錯覚に陥る。
「あの……一応、何をするか教えてもらっていいですか?」
「茜の血を吸おうと思うんだけど、ダメ?」
「ダメじゃないですけど、どうしてその発想に……」
「茜は一度私の血を吸ったじゃん? それなら私もその経験を共有したいって思うのは当然じゃない?」
「当然…………当然」
「私達は恋人同士??なんだから、当然でしょ」
「そこで疑問系になるんですね」
「だって付き合ってるわけじゃないし」
まぁ……うん、詩音さんの言い分も理解できる。
私達の関係を恋人同士と定義づけて良いものなのか?
言って何だけど、私達の関係はそういうのより遥かに重いものになってる気がする。
詩音さんも私に対して『付き合ってください』って言ったわけじゃなくて『死ぬまで一緒に生きてほしい』って言ってきたわけだし。
いや……そんなことはとりあえずどうでもよくて、普通に血を吸う器官もない詩音さんが、私の血を飲みたい???
この人はただの人間。
普通に血を飲むなんて行為、毒物を体に入れるのとなんら変わらない。
「ダメです」
「言うと思った。でも、なんでもしてくれる茜に拒否権とかないよ」
「…………これっきりにしてくださいよ」
「やった!!」
詩音さんは子供のように声を弾ませ、さらに深く身体を密着させてきた。
首筋に彼女の熱い吐息が触れる。
「痛かったら言って。すぐに止めるから」
……そこの気遣いができるなら、血を吸いたいって発想にならないと思う。
あのマフラーを大切にしてるんだし、そういう傷をつけたりする行為はしないものかと思っていたけど……う〜ん、他人の考えることは分からない。
詩音さんがただただ変人なだけって可能性は大いにある。
そしてこの一方的で狂った状況に、私の心臓は不謹慎なほど高鳴っていた。
私の血を求める彼女に、抗いがたい悦びを感じている自分もまた、頭がおかしいのだと思う。
「詩音さんからのスキンシップは全部嬉しいので、痛いとか関係ありません……好きにしてください」
「言うね。ちょっと興奮してきちゃった――じゃ、いくよ?」
私が小さく顎を引くのを合図に、視界が彼女の髪の香りで塗り潰された。
詩音さんが私の首元へ、迷いなく歯を突き立てる。
薄い皮膚がわずかに食い破られ、鋭利な痛みが走った。
けれど彼女はそこで止まらず、自らがつけたその傷口をまるで愛撫するように舌で丁寧に舐め上げ、啜り始める。
耳の奥で自分の鼓動がうるさく鳴り響く。
早鐘のように、激しく、熱く。
頭では理解不能なはずの詩音さんのこの捕食行為に、私は芯の底から震えていた。
恐怖ではなくもっと深い、狂おしいほどの心地よさで。
やがて満足したのか、彼女は名残惜しそうに唇を離した。
赤く濡れた口元が、花火の光によって妖しく輝いている。
私は意識を研ぎ澄ませ、すぐさま傷ついた箇所を癒やす。
赤い痣が何事もなかったかのように、白い肌へと溶けて消えていった。
「私が言うのもアレだけど、痛くないの?」
「まぁこの体になってから、だいぶ痛みに耐性がつきましたからね」
「そうなんだ。……私だけ喜んでるみたいでごめんね?」
「いえ……私も、凄くドキドキしてましたよ」
本心を吐露した瞬間、詩音さんは呼吸を合わせるような自然さで私の胸元に手のひらを置いた。
「へ〜。茜ってこうやって傷つけられても興奮しちゃうド変態さんなんだ?」
「言い方……」
「まぁ私が無理やり襲った時も、凄くハッスルしてたし、茜って結構M気質だったりするのかもね」
「はぁ? アレを持ちだすのはちょっと違――」
私が反論しようとした時、ほんの少し離れたところから、大きな声が響いてきた。




