12-72 夢を捨てられない伝説のバンドマン
一部のチーム明日花メンバーが不審な人物に警戒する中、特に何が起こるでもなくライブ本番の前日になった。
ただ何も知らない大部分の人間にとってその日は待ち望んでいた喜ばしい一日である。それはイナデラの父親にとっても同様だった。
彼は会場であるライブハウスを誰にも言わず訪れ、娘たちが最良の条件で演奏するため入念な機材のチェックをしていた。
その最中ギィ、と扉の開く音が聞こえるも彼は見向きもせず黙々と調整を続ける。訪問者が何者でどういった目的で来たのか彼にはすぐにわかったからだ。
「やっぱり来てたのか、シンゴ。水臭いなあ」
「何の用だ」
「頼みもしないのに勝手にあれこれしているであろうシンゴの手伝いをしようかなと」
そこには現在商店街を盛り上げるために奮闘している少女たちの親が――かつてのバンドメンバーたちが勢ぞろいしていた。やはり幼いころから家族の様にずっと一緒に過ごしてきた彼らには自分の考えている事など手に取る様にわかるらしい。
「口ではああ言いつつも楽しみにしてたり? 素直に応援すればいいのに」
「仕事だからな。俺はあんな素人に毛が生えた程度の演奏なんぞ認めていない」
イナデラの父親は三本の指を器用に使い機材の調整をしていた。音楽と共に生きてきた彼にとってはこの程度の事など朝飯前の様だ。
「昔を思い出すよ。あの頃は楽しかったよね。観客席にダイブしてあばら折ったり」
「あー、あったわねー」
「枠は余ってるらしいから折角だから飛び入り参加で演奏するかい?」
「よせ、俺はもう音楽は捨てたんだ。こんな指になってからな」
「じゃあなんでライブハウスの仕事を」
「親父から押し付けられたからだ。それ以上でも以下でもない。こんな指でも機材をいじくる事くらいは出来るからな」
「まったく。素直じゃないな。音楽に未練たらたらなのは皆知ってるよ。シンゴがちょいちょいギターを弾いている事も。あれくらいの技術なら今でも十分通用すると思うけど」
スイメイの父親がそう言って彼の手が一瞬止まる。わかってはいたがやはりバレていたのか。イナデラの父親は恥ずかしさと情けなさで惨めな気持ちになってしまった。
「俺にもプライドがある。通用はしても満足は出来ない。邪魔するなら帰ってくれ」
「やれやれ。で、ライブには来るのかい?」
「そりゃ俺はここの店長だから当日はいるだろうさ。飲み物を出したりしないといけないからな」
「そう。私たちももちろん来るからね」
「……………」
イナデラの父親はケマの母親の言葉を無視して作業を進める。やはり親である以上は娘の晴れ舞台が気にならないと言えば嘘になるが、彼はその想いを表に出す事はしなかった。
最早自分はかつての様に輝く事は出来ない。音楽にももう夢はない。
その事は理解していたはずなのに彼には音楽を捨てる事が出来なかった。何故なら音楽は彼にとってすべてだったのだから。
「シンゴ。誰も君に夢を諦めろなんて言っていない。諦めたのは君自身だ。大人になってからも青春は出来るし夢を追いかけてもいいんだよ。これ以上失うものがないのなら破滅に身を委ねるんじゃなく試しにチャレンジしてみてもいいんじゃないかな。そっちのほうがずっといいに決まってるよ」
「……………」
ヘイザエモンの父親の説得に彼は心が揺らぎそうになってしまった。
そんな甘い言葉に耳を貸してはいけない。現実を見なくては。夢も未来ももうどこにも存在しないのだ。自分にも、そしてこの蓑呂木商店街にも。
だが彼はそれを頭では理解していたはずなのに――世界中全ての人々を魅了する夢の魔力に抗う事は出来なかった。




