11-82 誰かのために使う、ゲスミの命
……………。
………。
…。
「ッ!」
滝のように降り注ぐ豪雨。地の底に潜む悪魔の唸り声の様な地鳴り。もう一つの世界に現れたカスミはそのすべての生物の本能に恐怖を抱かせる豪雨に否が応でも意識が覚醒してしまった。
自分は何故ここにいる。そうだ、自分は友を救うために過去に戻って来たのだ!
ずぶ濡れのカスミは慌てて周囲を確認すると、視界は悪かったがすぐそばに木造の校舎がある事に気が付いた。それは何度も見慣れた山津見分校であり、さらに遠く離れた場所には怪しげな銀色の光を放つ無数のソーラーパネルがあった。
「すげぇ、本当に過去に戻ってる……」
彼女は喜びよりも驚きが勝っていたが、すぐに我に返り一目散に学校に走っていく。
樹木がほとんどなく保水能力がとっくに限界を迎えている山は今すぐにでも土砂崩れを起こしそうだ。それまでに何としてでも皆を安全な場所に避難させなければならない!
「カヤちゃんッ! サクッ! フミちゃんッ! ミキコ先生ッ!」
カスミは力の限り愛しき者の名前を呼ぶ。その名前を呼ぶ事でこの困難に立ち向かう力を得るために。
「ん? って先生! 誰か来るよ!? 開けたげて!」
「ありゃ本当だ」
窓から外を見て自分の存在に気付いた校舎の中にいた何者か、おそらくはカヤとミキコ先生だろうが、彼女たちは急いで昇降口に移動し扉を開けた。
「カヤちゃん、ミキコ先生ッ!」
「え? ど、どなた? 先生の知り合い?」
「うんにゃ。どこかで会ったかねぇ」
「っ」
けれど二人は名前を呼んだ自分を見ても友人の弓削華澄であるという事を思い出す事が出来なかったらしい。
彼女は言葉を失う。そうか、これが過去を変える代償なのか。受け入れたつもりだったがやはり実際忘れられてしまうのは堪えるものはあった。
……いや、今はそんなしょうもない感傷などどうでもいい。自分は為すべき事を為さなければならないのだ!
「ん? どうした?」
「ああ兄ちゃん、知らない子が避難して来て。とりあえず何か拭くものを、」
「早く逃げるんだ! もうすぐ土砂崩れが起きてここいら一帯が飲み込まれる! 早く!」
「え、ええ!?」
突然見知らぬ少女がそんな警告をしたのでカヤは混乱してしまったが、カスミは一切気にせずその腕をつかみ校舎の外に引きずり出した。
「ちょ、一体、っていうかこの雨の中はちょっと……」
「この地鳴りが聞こえないのか! 早く逃げないと一瞬で死んじまうぞ!」
カヤは立っているだけで溺れそうな程の豪雨の中を移動する事を躊躇するも、カスミは必死で危険を訴える。
確かに低体温症のリスクもあれば視界も悪いので避難中に用水路に転落してしまうリスクもある。だが今は最早一刻の猶予もない。まずはどうにかして説得しなければ!
「……確かにこりゃひどい地鳴りだ。サクタロウ、フミを連れて来てくれ。ここはもう危ない、すぐに逃げるよ!」
その懸命な訴えに年長者であり生徒の命を護る責任を持つミキコ先生が同意してくれる。彼女は普段のものぐさな様子からは考えれない程真剣な顔つきになってしまったのだ。
「ミ、ミキコ先生がなんか違う」
「サクタロウ。ここから先はボケてもツッコまない。生きるためにつまらないシリアス展開で頼むよ」
「は、はい!」
表情が変わった恩師にサクタロウはただ事ではない事を理解し、そしてすぐにフミを呼んで戻ってきた。
「ど、どういう事なんですか先生? 一体これは……」
「四の五の言わずにとっとと逃げるんだ! 死にたくなければ早く!」
「は、はい!」
「あわわ! 兄ちゃんこれ、ええっと!」
「そういう事だ、急げ!」
「こっちだ! とにかく土砂が流れる方向から直角に逃げるんだ!」
そして全員多少パニックにはなっていたがどうにか昇降口に集合する事に成功する。後は全員で逃げるだけだ!
ゴゴゴゴゴッ!
「「ッ!」」
だがその瞬間は遂に来てしまった。
山はとうとう崩れ去り、山肌に敷き詰められた一枚数十万は下らない最先端技術の粋を集めた太陽光パネルを、進行上に存在した民家を、木々を、ありとあらゆるものを飲み込み津波の様に迫ってきたのだ!
「逃げろッ!」
「わあああ!?」
最早他の人間の事を考えている余裕はなかった。カスミが叫んだ流れる土砂から直角に逃げろという言葉だけを信じ分校の人間たちは無我夢中で逃げ出した。
靴底で泥を跳ね飛ばし、足がもつれそうになっても、生きるためにとにかく逃げなければいけない。
背後からとてつもない破砕音が聞こえ思わずカスミは振り向いてしまう。そこには跡形もなく押し流され見るも無残な姿になった山津見分校の残骸があった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
走り切ったカヤは肩で息をし、余裕が出たところで恐る恐る振り向く。そして彼女もまたそれを見てしまった。
「私たちの学校が……」
「こりゃ派手に壊れたねぇ」
土砂降りの雨の中フミもミキコもただ呆然とする事しか出来ず、失われた母校を眺める事しか出来なかった。
たくさんの想い出が、自分たちの居場所が。全て、全て消え去ってしまった。その絶望はすさまじく彼女たちは最早涙を流す事すら出来なかった。
「あれ? 兄ちゃんは?」
けれどしばらくしてカヤは兄の姿が見当たらない事に気が付いてしまった。一体どこにいるのだろうか。
カヤは冷静になり土砂に埋もれた道を眺める。そして考えたくもない答えを導き出してしまった。
「まさかッ!? 兄ちゃん! 兄ちゃあああんッ!!」
「サクッ!!」
「サクちゃんッ!」
「おいおいおいおい!? シャレにならないよ!」
カスミたちは急いで土砂の上に移動し手分けしてサクタロウを探した。カヤは半狂乱になりながら兄の名前を呼び、必死で土砂を素手で掘り起こす。
「サク、サクゥッ!」
カスミは絶望する。こんな結末自分は求めていない。これでは何のために過去に戻って来たのかわからない。全員揃って生き残らなければ意味がないというのに!
(違う、絶望するにはまだ早いッ!)
そう願った次の瞬間カスミの腹の内から強い想いが湧いてくる。それはかつての世界で山津見分校の仲間や、紗幸から受け取ったものに他ならなかった。
彼女たちのためにも最後まで決して諦めてはならない。自分は全てを犠牲にしてでも仲間を救わなければならないのだから!
「サクッ! どこにいるんだッ!」
カスミもまた素手で土を掘り起こす。本来掘削作業に向かない人の手は石や木片が混ざった土砂によってすぐに傷つき皮もめくれてしまう。
彼女に痛みを感じている暇はなかった。だが闇雲に探していても駄目だ、何かヒントはないのだろうか――!?
カスミは全ての感覚を研ぎ澄まし運命を変えるために必要な情報を探す。落ち着け、自分にはそれを見つける事が出来るはずだ!
完全に集中した事で世界から一切の音が消える。そしてその時――。
(こっちだよ!)
「ッ!」
少女の声が聞こえ、カスミはその声が指し示す場所を注視する。よく見れば少しだけ泥が動いている。まさかサクタロウはあの下に埋まっているというのだろうか。
だが今の声は一体。紗幸の声にも似ていた気がすると彼女は感じてしまったが、すぐに考えるのは後だと判断しその場所を掘り起こす事にした。
「そこにいるんだなッ!? サク、とっとと返事しろッ!」
皮だけでなく爪もはがれカスミの手は血まみれになってしまう。けれど彼女は最後の力を振り絞り、親友を助けるために土砂を懸命に掘り起こした!
「兄ちゃん!」
「サクちゃん!」
「サクタロウ!」
どれくらいの時間そうしていただろうか。彼女はようやく人の腕らしき部位を発掘する。分校のメンバーも一緒になり力任せに引っ張ると、そこからは泥まみれの人らしきものが出現した。
「ぐ、ごふぉっ、がふぉ。死ぬかと思った……」
「兄ちゃん! 兄ちゃん!」
泥まみれでひどい有様だったがそれは紛れもなくサクタロウだった。呼吸が出来なかった彼は口の中にまで土砂が入っていて、かなり苦しんでいたが生きている様だ!
「はは、やったぜ……やりきったぞ……!」
全ての力を使い果たしたカスミは大の字に寝ころび黒い曇天を見上げる。空はこれほどまでに暗雲に包まれているというのに気持ちはとてつもなく晴れやかだった。
冷たいはずなのに温もりすら感じる雨は自分の心を支配してきたあらゆる負の感情を浄化していく。ああ、何と心地よいのだろうか。
そしてカスミの意識は雨に溶けて次第に消えていく。もう何の心残りもない。自分はようやく役割を果たし与えられた命を使う事が出来たのだ。それも自分よりも大切なモノを救うために。
「ありがとう、本当にありがとう! あれ? どこ……?」
カヤは涙ぐみ兄の命を救ってくれた名も知らない恩人に感謝の言葉を述べようとしたが、もうそこにカスミの姿はなかった。
ああ、人間とはかくも愚かで愛おしい事だろう。大雨は地上の全ての罪を洗い流し、世界はその美しさに満ち溢れた尊い光景に泣き続けていた。




