11-52 紗幸が胸に秘める恋心
そして私は自分の部屋を素通りしてお兄ちゃんの部屋に突撃する。お兄ちゃんはサクタロウさんから借りた小説を読んでいたけど、
「ん、どったの紗幸、」
「ボマイェェエエエ! イヤァオ!」
「ぐべぇ」
滾っていた私はその仏スマイルに渾身の膝蹴りを浴びせた。うん、ベストバウトが狙えるくらい気持ちよく決まったね!
「どうしたのさ紗幸。人の顔面にいきなりボマイェをして。僕は君が人の顔面にいきなりボマイェをするような子に育てた覚えはないよ」
「育てられた覚えもないし大体の人は子供がボマイェを人の顔面に浴びせる事を想定していないと思うよ!」
「そりゃそうだ」
お兄ちゃんは潰れた鼻から血をだらだらと流していたけど冷静にティッシュをよじって鼻の穴に突っ込んだ。うう、ゾンビの怪力だと余裕で岩も壊せるしお兄ちゃんじゃなかったら死んでたよね……。
「それで紗幸はどうしていきなりボマイェをしたの?」
「そ、それよりも! 一緒に寝ようぜ! 今の私はとってもギンギラギンに悶々してるから!」
「はあ、いいけど」
「では早速! ウホッ、兄貴の香りだ! たまんねぇぜ!」
私はキャラ崩壊したまま滑り込むように布団に潜り込む! そして溢れんばかりのリビドーをゴロンゴロンと転がって発散した!
「……うん、落ち着いた。なんかごめん」
「そっか、よかったね」
お兄ちゃんは布団を巻いて太巻きになった私を眺めニコニコと笑っていた。こんな頭のおかしい妹を前にしても普通に対応出来るだなんて流石としか言いようがないよ。
「それで君は何でボマイェをしたんだい?」
「溢れんばかりの情欲を発散するためです」
「そっか、確かにボマイェは性的興奮を発散するのにぴったりのプロレス技だよね」
「私としてはボマイェにそんなイメージはないけど……」
シュール系のコントの様なやり取りにもお兄ちゃんはあきれる事なく精神科医の様に優しく受け答えしてくれた。どうしてだろう、いつもふざけているお兄ちゃんがまともに見えるのは私の目の錯覚かな。
「じゃもう寝ていい? それとも一緒に寝る? 性欲どうのこうの以前に殺人鬼がいるから一緒の部屋で寝るのは理に適っているっちゃあ理にかなっているけど」
「あ、うん、そうだね」
お兄ちゃんはそう言ってくれたから私は少し考えて勢いで提案したわけのわからない申し出をそのまま採用する事にした。少なくともこれで殺人鬼への恐怖に対しては多少ましになる事だろう。
……うん、殺人鬼への恐怖に対しては。
「もんもんもんもん」
「どうしたの紗幸、宇宙と交信でもしてるの?」
「違うよ、悶々してるの!」
「そっかー」
お兄ちゃんと一緒のお布団で寝ている。それは殺人鬼への恐怖を上回るくらいドキドキさせるものだった。うん、こんなの寝れるわけがないって。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「天井のシミでも数える?」
「数えないよ!?」
どうしよう、めっちゃ気まずい。小さい頃お姉ちゃんと一緒に寝た事はあるけどお兄ちゃんとは……うう、こんな事ならもう少し慣れておくべきだったよ。
「兄妹だしそんなに気にする事でもないだろうに」
「……兄妹でも男と女だよ。ゼウスとヘラだってそうじゃん」
「ヘラは姉だっけ? 全体を通して倫理感がぶっ壊れているギリシャ神話をお手本にされてもねえ」
「と、とにかく家族の恋愛はいけない事なんだよ。お母さんと出来たオイディプスはバッドエンドじゃん」
「昔の人は割と普通にどこの地域でも近親婚をしてたけど。その辺がタブーになったのはキリスト教の布教からだよ。遺伝子的に問題がある子供が生まれがちだから先人が神様に理由をつけてそれをタブーにしただけで。すぐに腐っておなかを壊しやすいブタを食べるなってイスラム教がそうした様にね」
「ほへー」
本でいろんな知識を蓄えたお兄ちゃんはそのあたりの解説をしてくれる。一応進学校の成績上位者だからいろんな事を知っているんだね。
「でもなんにしても兄妹が一緒の布団に入ってする話じゃないね」
「だね……」
ただ冷静に考えてみるとその話題はこの状況でするにはとてつもなく不適切だったので私は布団の中に潜り込んでしまった。うう、話題の選択をミスったよ。
「それで紗幸はどうしてそんな事を言ったんだい?」
「ああうん、その……カヤちゃんとサクタロウさんがさっき……その、仲良くしていて。カヤちゃんはむしろ時間が止まった世界のほうがいいって、でもサクタロウさんは断って」
内容が内容だったから私は言おうかどうか迷ったけど伝える事にした。二人の問題は未練そのものであり、それがタイムリープの原因になっている可能性もあるから言わないわけにもいかなかったし。
「ああそう、なんとなくそうじゃないかって薄々思っていたけど。ふーん、そっか」
「お兄ちゃんは引かないの? 二人の関係を」
「余所の家庭事情に口出しするほど野暮じゃないし恋愛は理屈じゃないからね。まあ本人たちが幸せならいいんじゃない」
「そっか」
他人にあまり興味を示さないお兄ちゃんは兄妹の恋愛どうのこうの以前の話だった。でも何事にも動じないお兄ちゃんは大抵の事は受け入れるというかスルーしてきたしこの答えも納得だったよ。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん」
暗闇は私の揺らめく気持ちを隠してくれる。私はどういうわけか心の奥底で思っていた言葉を口に出そうとしてしまった。
「もしもね、私がお兄ちゃんを――」
好きだったら、どうする?
けれど私は寸での所で思いとどまりそれを言わないようにした。それを口にしてしまえば私は大きな代償を支払い、多くのものを失ってしまうから。
「……何でもないよ。おやすみ」
「そっか」
私は布団に潜り込んで絶対に顔を見られない様にうずくまった。黙っていれば何も壊さずに済むのだから。
私は今どんな顔をしているのだろう。悲しい顔かな、恥ずかしい顔なのかな。自分でもわからなかった。
そして、お兄ちゃんもどんな顔をしているんだろう――。
私はそれを知るのが怖かった。




