交錯する不安と幸せ
孝宏君の部屋で、またおしゃべりをしていたけど、私の心は晴れなかった。
もちろん、こうして二人っきりで話していることは楽しいんだけど。
でも……不吉な胸騒ぎが一向にやまなくて。
「佐那ちゃん、大丈夫? 気分が悪いの?」
「あ……うん、大丈夫だよ、ごめんね。何だかちょっと寂しくて」
この感情を単に「寂しい」と表現すべきかどうかは分からなかったけど、説明するのが難しいので、そう伝えた。
「雪乃姉ちゃんとは、またしばらく会えないかもしれないけど、僕がそばにいるから。僕では力不足かな?」
「ううん、そんなことない!」
慌てて否定する。
ちょっと大きな声を出しちゃった……。
「ご、ごめんね。つい大きな声を」
「大丈夫だよ、気にしないで。記憶がなかなか戻らないこともあるし、寂しくてつらいよね。そんな佐那ちゃんの気持ちは、痛いくらいよく分かっているよ。僕には、そばにいてあげることしかできないけど、それでも……佐那ちゃんの力になりたい」
孝宏君の優しい言葉に、思わず泣きそうになる。
「孝宏君!」
「うわっ!」
知らず知らずのうちに、私は孝宏君に抱きついてしまっていた。
座ったままで。
恥ずかしさはあるけど、そっと孝宏君の膝に乗っかる私。
「驚かせてごめん……。どうしても、こんな風にしていたくて……。重くない?」
「いいよ、気にしないで。全然重くないから、しばらくこうしてようよ。佐那ちゃんの寂しさが少しでも和らいだらいいな」
「ありがとう……」
それから私たちは、ほとんどしゃべらずに、しばし抱き合っていた。
言葉は必要なくて。
ただただ、この時間が永遠に続けばいいな、と私は願っていた。
少し身体を動かして、孝宏君の顔を見てみる。
孝宏君は目をそらすことなく、じっと私の目を見つめていてくれた。
ドキドキして……気づけば、そっとまぶたを閉じて、孝宏君を待つ私。
すぐに、唇が温かくなった。
そのぬくもりが静かに去っていくを感じ、目を開けて孝宏君の顔を再び見る。
顔を赤らめてはいるけど、しっかり私を見つめていてくれていた。
「ずっと、こうしていたい」
私がつぶやくと、孝宏君は消え入りそうなほど小さな声で「僕も」と短く答えてくれた。
それからしばらくそうして抱き合っていると、お風呂が沸いたというおばあさんの声が聞こえたので、私たちは順番にお風呂に向かい、歯磨きなども済ませた。
そして、再び孝宏君の部屋で二人っきり。
また、私が膝の上に乗っかる体勢で、正面から抱き合った。
幸せいっぱい…………のはずなのに、胸騒ぎはどんどん酷くなってる。
私は不安をかき消すために、孝宏君の身体に強く抱きつく。
孝宏君は何も言わずに、私を受け止めてくれていた。
やがて、孝宏君が言った。
「本当はずっとこうしていたいけど……そろそろ寝なくちゃ」
「もうそんな時間なんだね、ごめんね……私のせいで」
「ううん、佐那ちゃんのせいじゃないよ。僕だって、ずっとずっとこうしていたいから。本当に」
そう言って、またキスしてくれる孝宏君。
「明日は一週間ぶりに、部活に出るから、少しだけ帰りが遅くなるけど……待っててくれるかな、ごめんね」
そうだった、たしか天文部に所属していたっけ。
あまり部活の話題が出ないので、すっかり忘れていた。
…………。
もしかして……。
「まさか……今まで、放課後ずっと私に付き合ってくれていたから、部活に出られていなかったり……しない?」
「え、あ……まぁ、僕が自ら部活を休んでただけだし」
やっぱり……!
「ごめんね……。私、迷惑ばっかりかけてるよ」
「そんな風に思わないで。僕だって……佐那ちゃんのことずっと好きで……一緒にいたいから、休んでたんだよ。僕が勝手にやったことだから、佐那ちゃんは悲しまないで。佐那ちゃんがそうして悲しそうな顔をするのが、本当につらい。ずっと笑っててほしいよ」
「孝宏君……」
私は言葉が出なかった。
こんなにまで想ってもらえることが嬉しくて。
「ちょっとだけ、表情が明るくなったね……よかった……」
「孝宏君……孝宏君……!」
私はもう気持ちが抑えきれなくなり、きつくきつく抱きついた。
「佐那ちゃん、ありがとう。ただ、佐那ちゃんがそばにてくれるだけでいい。もう絶対、離したくないよ。佐那ちゃんが僕のことを好きになってくれなかったら……あの日、気持ちを伝えてくれてなかったら……そう考えると、背筋が寒くなるよ……。ずっと、ずっと一緒だからね」
「うん……うん……」
私の顔は涙でぐちゃぐちゃになって、何も言うことができない状態だった。
孝宏君は、ささやくように言葉を続けてくれる。
「明日、恋架け橋で、約束しようね……。ずっと、ずっと、一緒にって……」
そうだった。
秘密の場所でも、そう言ってたっけ。
「約束しようね……」
そう言う私の心に、また不安の影がよぎる。
でも……私は必死でそれを追い払った。
「大好きだよ。心から……」
耳元で優しくささやいてくれる孝宏君に、私はまるでしがみつくように抱きついていた。
「長々とごめんね。そろそろ寝ないといけないよね……」
私からそっと身体を離した。
本当は、ずっとずっとこうしていたい。
でも、そんなことを言って、困らせたくないから。
明日は、部活まであるらしいし、孝宏君にとって大変な一日のはず。
負担をかけたくなかった。
「謝らないで。大丈夫、また明日いっぱいできるから。部活は、集会だけだから、そんなに時間がかからないと思う。多分、午後五時ごろには終わってるはず」
「待ってるから……。頑張ってきてね。気をつけて……」
そう言って、私は立ち上がった。
身体を離しただけで、こんなに切なくなるなんて……。
すると、孝宏君も立ち上がり、また優しくキスをしてくれた。
「ありがとう……。おやすみ、孝宏君。……大好きだよ」
「こちらこそ。佐那ちゃん、おやすみ。僕も大好きだよ。また明日ね」
本当は離れたくない!
でも……でも……。
そんなワガママを言うのは、困らせるだけだと重々分かっている私は、ドアへと向かう。
「じゃあ、また明日ね」
ドアを閉める前に、もう一度言うと、孝宏君も「うん、おやすみ。また明日」と言って、笑顔で手を振ってくれる。
私は静かにドアを閉めると、自分の部屋へと入った。
電気を消して寝ようとするけど、予想通りなかなか寝付けない。
あれだけ孝宏君に想ってもらってるのに……幸せより不安のほうが大きいって、どういうこと……。
しかも、「恋のライバルがいるから」みたいな具体的な理由は一つもないのに……。
それでも、無理やり目を閉じる。
すると―――。
「七月七日、夢は終わる。恋架け橋で……」
はっきり声が聞こえた気がした。
どこから?
誰の声?
全く分からない。
幻聴?
夢?
それも分からない。
だけど、私の不安を増幅させるには十分だった。
恋架け橋で……何かあるの?
でも、明日、私たちはあそこで約束をするつもり。
ずっとずっと一緒って約束を。
だから……幸せなはず。
なのに、どうしてこんなに不安なの……?
私は心配のあまりじっとしていられず、ベッドから起き上がった。
そして部屋をうろうろする。
駄目……こんなんじゃ、寝られない……!
つらくて苦しくて……涙がこぼれた。
孝宏君……!
助けて……!
だけど……迷惑をかけるわけには……。
どうしたらいいの……。
すると、ドアをノックする音が聞こえて、私は驚きのあまり飛び上がった。
だ、誰……?!
しかし、次の瞬間、聞きなれた声がして、私は安堵のため息を漏らす。
「佐那ちゃん、ごめん。僕だよ」
「孝宏君? どうぞ。入ってきて」
どうしたんだろう……。
パジャマ姿の孝宏君は静かに部屋へと入ってきてくれた。
私は急いで電気をつける。
「ごめんね、突然。その……理由を説明しにくいんだけど……なんだか急に佐那ちゃんが心配になって。どうしてそんな気持ちになったのかは、僕自身、分かってないんだ。訳分かんないよね、ごめんね」
まさか……私が心の中で叫んだのが、何らかの形で伝わったのかな……。
私は正直に言った。
「ううん、えっと……その……実は、さっきからずっと、不安で心配で……全然寝付けなかったの」
そして、その理由についても、洗いざらい話すことにした。
頭がおかしくなったんじゃないかって思われるかもと不安で、ずっと黙っていたんだけど……孝宏君なら、信じてくれるかもしれないと思って。
「そうだったんだね。話してくれてありがとう。大丈夫だよ、安心して。僕はずっと佐那ちゃんのそばにいるから。何があっても」
「ありがとう……」
また涙があふれてきた。
「だから、泣かないで。大丈夫だからね。安心して」
そっと近づいて、私を抱きしめてくれると、頭を撫で始めてくれた。
それだけで……。
不安が少し消えた気がする。
私は思い切って言ってみた。
「あの……。お願いがあって……。こんなこと言うと軽蔑されると思うんだけど……」
「佐那ちゃんを軽蔑するなんて、僕にはあり得ないよ。何でも言ってごらん」
「ありがとう……。その……。今日だけでいいから、そこのベッドで一緒に寝てくれないかな……?」
「えっ?!」
驚いた様子の孝宏君。
そりゃ、そうだよね……。
誤解を解くため、急いでしっかり説明する。
「あ、えっと……ただ、横で寝てくれるだけでいいの。そばにいてくれるだけで……。不安で胸が苦しくて、一人だと全然眠れないから……。お願い……」
「いいよ」
「えっ」
今度は私が少しびっくり。
すぐにオッケーしてもらえると思ってなくて。
「あの……はしたない女だと思わないでね。ほんとに、そばにいてほしいってこと、ただその気持ちだけだから……」
「佐那ちゃんのこと、そんな風に思うわけないよ。だから、心配しないで……ね」
孝宏君は、穏やかで温かい表情でそう言ってくれた。
「じゃあ、ちょっとじっとしててね」
孝宏君はそう言うと……私の足に片手を回して、持ち上げてくれた……!
驚きが大きすぎて、声も出ない私。
これって何ていうんだっけ、その……抱っこというか……。
「お姫様抱っこ、してみたかったんだ」
そう、それだ……。
知らないうちに、私の不安は消えており……喜びと、少しの恥ずかしさで私の心はいっぱいだった。
「恥ずかしいけど、嬉しい」
「誰にも見られてないから、恥ずかしがることないのに」
孝宏君は楽しそうに笑うと、そのままベッドまで移動して、私を降ろしてくれた。
そして自らもベッドに入ってくれる孝宏君。
私の心臓は、早鐘のように打っていた。
これから、孝宏君に……添い寝してもらえるんだ……。
「それじゃ、電気を消すね。おやすみ、佐那ちゃん」
「孝宏君、おやすみ。……ありがとう」
「いえいえ」
私はさすがに恥ずかしいので、孝宏君の反対側を向いて、横向きに寝そべる。
孝宏君はこっち向きで寝てくれるのかな。
すぐまた不安な気持ちが湧いてきたけど、まるでそれに気づいているかのように、優しく髪を撫でてくれる孝宏君。
「嬉しいんだけど、くすぐったくて寝られないよ~」
私は笑いながら言った。
「じゃあ、こうするね」
私の身体に、腕を上から回して、抱き寄せてくれた。
「これならいいでしょ?」
「うん……。すごく安心する……。ねぇ、朝、起きたら一緒に私も起こしてね。もし、私が起きたときに、隣に孝宏君がいないと、ものすごく心配になっちゃうから……」
「分かったよ。すぐ起こすから。心配しないでね、僕はどこへも行かないから、大丈夫」
「うん……ありがとう……」
孝宏君は、私の身体に回した腕をグッと自分のほうへ引き寄せてくれる。
すると、私の背中に、孝宏君の温かい身体が密着するのを感じた。
ドキドキして、嬉しくて……身体が熱くなる。
胸もキュッと苦しくなったけど……決してそれは嫌な感覚じゃなくて……。
苦しいのに、嬉しい……。
説明するのが難しい感覚……。
背中に孝宏君のぬくもりを感じながら、すっかり安心した私はいつしか眠っていた。
でも、その晩の夢も、決して楽しいものではなかった。
孝宏君とはぐれてしまったのか、一人で山道を駆け下りていく私。
孝宏君の名前を懸命に呼び続けながら。
しかし、孝宏君の姿はどこにも見当たらなくて……。
私は寒蝉神社の前で、くずおれてしまった。
かすれた泣き声で、孝宏君の名前を呼びながら……。




