第4話 暴食の魔女とふわふわの獣
(食べられちゃうかも)
ぎゅっと身体をすくめた。
(あれ……? 痛くない……?)
再び頭の中に声が響く。
あっちからも、こっちからも。
いくつもの声が重なって、頭がぐるぐるする。
〈きゅっ〉
〈ほ……め……て!〉
〈きゅっ〉
〈な……で……て!〉
〈きゅっ。きゅっ〉
〈ぼ……く……も! な……で……て〉
服のあちらこちらが、
モゾモゾ。スリスリ。 ツンツン。
そして、ペロペロ。ペロペロ。
ざらざらした舌に頬を舐められ、くすぐったさに身体をよじる。
「ふふっ……ふふっ……」
(くすぐったい……)
ふわふわした毛並みが、何度も頬をかすめる。
(気持ちいい……あったかい)
その時だった。
ピッ!
鋭い笛の音が鳴った。
「整列!!」
雷鳴のような声が轟く。
「ヴルルル……ガァッ!!」
フィラックスたちは不満げに唸った。
「何をしている! いくら人間が憎いとはいえ、皇女様に手を出すな!」
「皇女様、お怪我はありませんか?」
「ありませんよ」
声の主は、獣王様よりひと回り大きな獣人さんだった。
差し伸べられた大きな手を握り、顔を上げる。
頭の上には、丸くて厚みのある耳。
その輪郭が、ぴくりと動いた。
「可愛い耳……」
(なんだか、ブルーネージュみたい。あの、甘くてほろほろしたお菓子……)
「美味しそう……ふふっ」
(なんの獣人さんなんだろう……)と考えていると、
「ヴォルフ騎士団長を可愛いだと……?」
「しかも、美味しそうと言わなかったか?」
「それより、あれだけのフィラックスに囲まれて無傷だなんて……!」
「獣人ですら、襲われれば骨を折られるというのに……」
「やはり、噂は本当だったんだ……」
「暴食の魔女……!」
周囲からそんな声が聞こえてきた。
(噂? ……私が暴食の魔女?)
(……なんだか、かっこいい響き!)
お母様の宮で暮らしていたころ。
甘いお菓子をおねだりすると、お母様もシオンお兄様も、決まって笑っていた。
『可愛い食いしんぼうな魔女さん』
そう言いながら、お菓子をくれたのだ。
人は魔法を使うとお腹がすく。
歴代の偉大な魔女や魔法使いたちも、甘党や美食家、大食漢として知られ、食にまつわる逸話が数多く語り継がれている。
そのためオリベルタ帝国では、よく食べる子供は将来有望な魔女や魔法使いになると言い伝えられ、大人たちもこぞって甘いものを食べさせるのだった。
(だから、食いしん坊って最高の褒め言葉!)
(ふふっ……暴食の魔女ルシア・オリベルタ! なんて素敵な響き!)
思わず頬が緩んでしまう。
「ゴホン」
咳払いが聞こえ、ヴォルフ騎士団長さんを見上げた。
「皇女様がいらっしゃると、フィラックスの統率が乱れます。再び襲われたくなければ、この場からお離れください」
「襲われた? いつですか?」
「…………」
「?」
「……先ほどのあれが、戯れだと?」
「はい。とってもふわふわでした!」
「命の危険があったというのに、ふわふわだと……?」
「命の危険……?」
物騒な言葉に、思わず首を傾げる。
「……ゴホン。とにかく、皇女様はあちらの侍女とともに宮へお向かいください」
「はい」
辺りを見渡すと、
屈強な騎士たちの中に、一人だけ小柄な侍女が立っていた。
背丈は、私より少し高いくらい。
「こ、こちらです……皇女様」
震える声で告げると、侍女は歩き出した。
その後を追って歩き始める。
〈きゅっ。きゅっ〉
頭の中に、名残惜しそうな声が響いた。
(……お別れが寂しいのかな?)
(……やっぱり、フィラックスたちの声なのかもしれない)
唸り声は怖かったけれど、甘えるような声も、ふわふわの毛並みも可愛かった。
みんな可愛かったけれど、特にあの小さなフィラックス。
(危ないところを助けてくれたのに、お礼も言えなかったな……)
(今度会ったら、いっぱい撫でてあげたいな)
獣王様は凶暴だと言っていたけれど、私には優しい動物に思えた。
そんなことを考えているうちに、侍女さんとの距離が開いていた。
(急がないと……!)
少し駆け足になって、なんとか追いつく。
歩くたびに、リボンで結んだハーフツインの髪がふわふわと弾む。
その頭には、先の丸い長い耳が二つ後ろへ垂れていて、歩調に合わせて小さく揺れている。
(ウサギの獣人さんなのかな?)
それに、小さくてふわふわした尻尾が、ぴくぴく動いている。
(シュークリームみたい……)
「美味しそうだな……」
その瞬間、ウサギ獣人さんの耳がぴんと立ち、尻尾も跳ね上がった。
(あれ? なんだか歩くのが速くなった?)
(頑張って歩かなきゃ)
長い外廊下には、二人の足音だけが響いていた。
トコ……トコ……。
左頬に、お月様の柔らかな光が触れる。
(……幸せ)
ただ外を歩いているだけなのに。
それだけのことが、夢のようだった。
「るるん、ふふ……♪」
鼻歌を口ずさむ。
トコトコトコ……。
前を歩くウサギ獣人さんの足音が、さらに速くなる。
トコトコトコトコ……。
トコトコトコトコトコトコ……。
「はぁ……はぁ……」
その後を追いかけるうちに、すっかり息が上がってしまった。
長い塔暮らしのせいで、速い足取りで歩き続けるのは難しかった。
ほんの少し前まで、すぐ目の前にいたはずなのに。
彼女の輪郭が、どんどん遠ざかっていく。
「ま、待って……くだひゃい……」
息を切らしながら声をかける。
けれど、振り返ってはくれなかった。
懸命に足を動かしているのに、その背中には少しも近づけない。
(待って……)
足が、思うように動かない。
とうとう膝に手をつき、立ち止まった。
「はぁ……はぁ……」
(……もう、追いつけない)
その時、頬にふわりと柔らかなものが触れた。
〈きゅっ〉
温かな息が頬をくすぐる。
(……モフモフ?)
「あれっ?」
ふわりと身体が浮いた気がした。
次の瞬間、身体の下にふかふかの毛並みを感じる。
(あれ……?)
気づけば、フィラックスの背中に乗っていた。
フィラックスが振り返り、大きな瞳をこちらへ向けた。
(……びっくりした)
ふわふわの頬をすり寄せてくる。
(気持ちいい……)
幸せな気分に浸っていると、
〈きゅっ〉
〈あの獣人を追ってるんだよね?〉
柔らかく優しい声が頭の中に響いた。
フィラックスが、大きな頭をこてんと傾ける。
(うん。そうだけど……)
そう考え終わるより早く、フィラックスが駆け出した。
「ふへっ!?」
一瞬で風が強くなり、慌ててその身体にしがみつく。
あっという間に、ウサギ獣人さんに追いついた。
彼女が恐る恐る振り返る。
「ひぃやぁぁっ!」
悲鳴が、長い廊下に響き渡った。
長い耳がぺたりと伏せられ、丸い尻尾が小刻みに震えている。
「こ、来ないでください……!」
一歩、二歩と後ずさる。
「わ、私なんて食べても美味しくありませんからぁっ!」
そう叫ぶと、彼女は一目散に逃げ出した。
(危ない……!)
彼女の足がもつれた。
どさっ!
盛大な音を立てて転んでしまう。
(……痛そう)
彼女の様子を確かめたくて、背中から降りようとすると、
〈降りる?〉
フィラックスが、そっと身体を低くしてくれた。
「ありがとう」
頭を撫でると、嬉しそうに鳴いた。
〈きゅっ〉
嬉しそうなフィラックスの声を聞きながら、ウサギ獣人さんのもとへ駆け寄る。
彼女は地面に座り込み、足首を押さえていた。
「ひっ……うぅ……」
身体を小さく震わせながら、何度も鼻をすすっている。
(相当、痛いんだな……)
癒し魔法をかけようと、そっと手を伸ばした。
「ひゃっ!」
バッ――!
彼女がとっさに振った手が、頬をかすめる。
「……っ!」
遅れて、鋭い痛みが走った。
かすかに、血の匂いがする。
「す、すみません……わざとじゃなくて……!」
彼女が言い終える前に――
ぞわっ。
背後から、肌を刺すような圧が押し寄せた。
思わず振り返る。
〈きゅっ〉
〈なに? どうしたの?〉
けれど、フィラックスは大きな瞳でこちらを見つめているだけだった。
(き、気のせいかな……? 今、すごい気配を感じたような……)
首を傾げると、
〈気のせいだよ、気のせい。それより、そんな鈍くさい奴は置いていこう〉
(ウサギ獣人さんがいないと、宮まで行けなくなっちゃう)
(それに……誰かが苦しんでいるのは、嫌だ)
(……眠れなくなっちゃうから)
(治せるなら、治したほうがいいよね)
再び彼女に向き直り、指先に魔力を集める。
柔らかな光が漂った。
「きゃっ!」
ウサギ獣人さんの悲鳴と同時に、光は足首へ吸い込まれるように消えた。
お母様に教えてもらった癒し魔法。
『いい、ルシア。何事も備えが肝心なのよ』
柔らかな声が、頭の中に蘇る。
『癒し魔法を身につけておけば、怪我をした人を助けられるでしょう? それに、使い手は少ないから、きっとみんなに重宝されるわ。人気者になれるかもしれないわね』
(さすが、お母様!)
(これで、お友達もたくさんできちゃうかも……!)
「ふふっ……」
「ひぃっ……!」
(……あれ?)
(まだ痛いのかな?)
「痛みは大丈夫ですか?」
慌てて尋ねると、
「い……痛くないです」
(ふう……よかった)
「案内、お願いします」
そう言って手を差し伸べた、その時。
ふわっ。
(……モフ?)
気づけば、またフィラックスの背中に乗っていた。
そしてフィラックスは、ウサギ獣人さんも同じように私の後ろへ乗せた。
「野生のフィラックスが、獣人を背中に乗せるなんて……。それに、頭の中で『案内しろ』って……」
彼女が呟いた瞬間、ぞわりと冷たい気配が走った。
「は、はい……! すぐにご案内します……!」
おどおどしながら、フィラックスに話しかけた。
「こ、ここから……ずっとまっすぐです。そ、それから……角を左に……」
(やっぱり頭の中の声はフィラックスなんだ。頭の中に直接しゃべれるなんてすごい特技!)
ふわふわの毛が、風になびいて頬をくすぐる。
ぎゅっと抱きつくと、ほのかに優しい香りがした。
〈きゅっ〉
頭の中に、嬉しそうな声が響く。
フィラックスの背中で過ごしているうちに、あっという間に宮が見えてきた。
遠くからでも、その輪郭だけで建物の大きさが分かる。
(すごい……)
(本当に、ここが私の宮なの……?)
呆気にとられていると、
「こ……ここです」
彼女の声を聞くと、フィラックスが身体をかがめてくれた。
背中から降りると、
〈きゅっ、きゅっ、きゅる〉
〈すごいでしょ? ご褒美、撫でて〉
フィラックスが服の袖をくいっとくわえて引っ張り、頭をすり寄せてくる。
(可愛い……!)
思わず笑みがこぼれた。
そのふわふわの頭を、優しく撫でる。
指先が、たっぷりとした毛並みに埋もれていく。
(もう一回ぎゅってしたいなぁ)
〈ぎゅってしていいよ……ぎゅって……ぎゅってして〉
その言葉に甘えて、ふわふわの首元にぎゅっと抱きついた。
(気持ちいい……落ち着く……)
その時だった。
「遅かったわね! 何をしていたの、ミーナ!」
声のしたほうを振り返ると、宮の入口でもう一人の獣人さんがウサギ獣人さんを叱っていた。
「すみません……アビゲイルさん」
三角の耳に、ウェーブのかかった長い髪。
その背後では、細い尻尾が苛立たしげに上下していた。
(ウサギ獣人さんはミーナさん。先輩らしい獣人さんはアビゲイルさん……猫の獣人さんかな?)
お母様の宮にいた猫も、撫でるだけなら怒らなかったけれど、ぎゅっと抱きしめると、不満そうに尻尾をぶんぶん振っていたっけ。
そんなことを考えていると、アビゲイルさんがこちらへ顔を向けた。
「それで、皇女様はどこなの? そこの小さな侍女」
「私が皇女です」
そう答えると、アビゲイルさんは小さく呟いた。
「……随分と小さいのね。噂では、長身で魔物のような姿だと聞いていたけれど」
その言葉に、
「グルルルル……」
フィラックスが低く唸る。
「な……なんで、こんなところにフィラックスが……?」
〈……食べてやる!〉
読んでくださり、ありがとうございます。
第4話では、ルシアとフィラックスたちの交流が描かれました。
獣人ですら恐れる凶暴なフィラックス。
けれど、ルシアにとっては、ふわふわで甘えん坊な可愛い生き物たちのようです。
そして、ついに獣国での新しい暮らしが始まります。
これからルシアがどんな出会いを重ね、どんな日々を過ごしていくのか、楽しんでいただけたら嬉しいです。
Instagramも始めました!
現在、第2話までの漫画や、第3話までのあらすじ・扉絵などを公開しています。
そのほか、イラストや世界観メモ、作品を作ったきっかけ、この物語に込めた思いなども投稿しています。
小説では文章で描いているルシアや獣王、ふわふわのフィラックスたちの姿も、イラストや漫画で楽しんでいただけます。
ぜひ、可愛いルシアやフィラックス、かっこいい獣王に会いに来てください!
小説とはまた違った形で、物語の世界を楽しんでいただけたら嬉しいです。
https://www.instagram.com/nono.8893307/
今回は予定していた木曜日の更新から少し遅れてしまいましたが、無事に第4話をお届けできました。
今後も週1回の更新を目標に、物語を大切に書き進めていきたいと思います。
本編とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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