第2話 暗い塔と陽だまりの夢
ふわふわ。夢の中。
『ルシア。
あなたはきっといつか、ベールがなくても外を歩けるようになるわ。
どんな時も、優しさを忘れないでね。』
全てを包み込むような優しい笑顔と柔らかい声。
お母様の宮殿が黒い布で覆われた日から、シオンお兄様は、変わった。
私を見ると眉を寄せ、話してくれなくなった。
そして私は、お母様の宮殿から、塔に移ることになった。
皇城の片隅にある草に覆われた塔。
塔に連れてこられた時、夜の闇に、ほのかに赤い光がいくつも灯っていた。
足元でも、小さな光が揺れている。
ふんわりと花弁が開きバニラのような甘い匂いが漂う。
(きれいな花……)
思わず立ち止まると、
「早く歩け……こんなところ、気味が悪い……」
兵士の一人が、身体を震わせながら呟いた。
「本当に、さまよう魂のような花だ。噂の通り、幽霊でも出そうだな……」
もう一人の兵士も落ち着かない様子で、足早に歩き始める。
塔の中は真っ暗で、静かで、最初は怖い場所だった。
塔の外へ出られないか、一度試してみたけど、淡い紫の光とともに鎖のような魔法が浮かび上がった。
(やっぱり出るのは、難しそう)
(これから、どうしよう)そう思ったけど、塔での生活は思ったより楽しくて、忙しかった。
お母様が教えてくれた魔法で、たくさんの想像をする。
光魔法で、ぽわわと光をいくつも出せば、塔の中は明るくなった。
光をつなげたり、離したりすれば、まるで夜空のよう。
三角なのはショートケーキ座、丸いのはブルネージュ座、台形なのはプリン座。
(ふふぅ。楽しいな)
そして、魔力を指にまとわせ陣を描く。
(ここの線をもっと伸ばして……太くして、あの丸は小さくして。)
(あっ。できた。これで、魔法陣の完成っと)
魔力を込めると、空気中の水分が集まっていく。
プルン。プルン。
大きな水玉が次々に宙に浮かんだ。
これで、体をピカピカにできるはず。
(やった。)
(あれ? でも、この水球はいつまで……出るんだろう)
(あっ。)
急いで、魔法陣を消す。
その瞬間、ビシャン。
たくさんの水が、桶をひっくり返したように降ってきた。
「わあっ……」
水の勢いで押されて、床にぺしゃんとうつ伏せになった。
でも、石の床はひんやりしていた。
床に頬をぴったりとつける。
(……気持ちいい)
このまま、お昼寝しようとして、
「クシュン。」塔の中で音がこだまする。
そっと火魔法で辺りをあたためれば、ぽかぽかしてくる。
その温もりにお母様を思い出し、頭の中に柔らかい声が響く。
(会いたい。)
不意に「ぐうっ」とお腹がなった。
ポケットからハンカチを出して、匂いをかぐ。
昨日、ハンカチーフに包んであった焼き菓子やアメ玉を食べつくしてしまった。
お母様はよく言っていた。
『いい、ルシア。魔法は、便利なものよ。でも、誰かを傷つけるような使い方はしたら駄目。』
お母様は優しく私の頭をなでた。
魔法は、魔力を光や熱に変えたり、水を集めたりすることができる。
でも、何もないところからものを生み出すことはできない。
『何事も備えておくのが大事なのよ。特に食べ物はね』
お母様の教えのとおり、ポケットに食べ物を忍ばせてあった。
だから、塔に来てから数日の間はやり過ごすことができた。
(だけど、もう食べ物がない……。こんな時は楽しいことを考えようっと)
その時。
タッタッ。
塔の外から足音が聞こえた。
足音は次第に近づき、扉の前で止まる。
(もしかしたら、噂は本当で、紅蓮の魂が……お化けかもしれない)
恐る恐る、外へ繋がる扉の方へ歩み寄る。
先ほどまでは何もなかったはずの扉の前に精巧に編まれた籐籠が置いてあった。
そして、わずかに魔法の跡。
籐籠にかぶせてある金刺繍の入ったハンカチーフをとると、
中には、固いパンと水とお菓子が少しずつ入っていた。
そして、木の実も入っていた。
手に取ると、熟した洋梨のような瑞々しい甘い香りが漂う。
お母様の宮に生えている木の実。
思わず笑みをこぼす。
「ふふぅ。ありがとうございます……おに……」
全部言い終わる前に、聞き慣れたその足音は、だんだんと遠くに行ってしまった。
毎週、扉の前に籐籠が置いてあり、たまに柔らかいパンが入っていることもあった。
籠は一つ、二つ、三つ、四つと増えていく。
ある日、塔の壁の隅に、重なる籠を見て思った。
(これ、ここに溜まっていけば……おに……が困るのでは?)
特に、金刺繍の入った水色のハンカチーフ。
籠と、金刺繍の入ったハンカチーフを水魔法で綺麗にして、魔法で塔の外へ戻す。
(これで、きっと大丈夫)
その翌週、戻した籠には、またパンとお菓子が入っていた。
(……やっぱり正解だった。ふへへ)
塔での生活には、一番の楽しみがあった。
眠ること。
夢の中なら、寂しさを忘れられた。
すやすや、夢の中。
もくもくした空間でポツンと待っていると、陽だまりのような、温かい声が響く。
「ルー」
「アルお兄ちゃん」
勢いよく手を振る。
ふわふわのしっぽが、左右にぶんぶん揺れている。
(触りたいな……)
そして、大きな籠にいっぱいのお菓子と食べ物を持ってきてくれる。
香ばしい、いい匂い。
ふわふわなパン。目玉焼きに、ベーコンに、野菜がのっている。
はちみつ。ブドウジャム、イチゴまで入っていた。
柔らかくて、甘くて美味しい。
(幸せ……)
「ルーの好きな甘いものだよ。いっぱい食べて、元気をつけてね」
そして、楽しいお話を聞かせてくれる。
それは、行ったことのない獣国の話。
春の祈祷式、夏の洗礼式、秋の収穫祭、冬の降臨祭。
皇城から出たことがない私にとって、新鮮な話ばかりだった。
特に秋の収穫祭は、行ってみたくてたまらなくなった。
「秋の収穫祭が終わると、今度は国中がお祭り騒ぎになるんだよ。
自分とは違う獣人の姿に変装して、家やお店を回るとお菓子をもらえるんだ」
「そんな素晴らしいお祭りがあるなんて……!」
思わず身を乗り出す。
「合言葉が必要で、『ミエラ・セ、ファルナ』って言わないともらえないんだ」
「ミエラ・セ、ファルナ……ミエラ・セ、ファルナ……」忘れないように何度も唱える。
「本当はね。お菓子をもらう祭りじゃなくて、感謝の祭りなんだ」懐かしそうな顔をする。
「かんしゃ、誰に?」
そっと頭をなでられる。
「すぐにわかるよ」
ぽぁぽぁ。だんだん瞼が重くなる。
(眠い)
目をこすっていると、
「ルー、眠いの?」
お兄ちゃんは足を伸ばした。
「ここに、おいで」
「うん」
膝に頭をおく。
見上げると、お兄ちゃんの耳が後ろに倒れている。
物心つく前から、お兄ちゃんは夢の中にいた。
お母様のように頭をポンポン撫でてくれる。
(ふぁ。落ち着く……)
「ルー。大好きだよ」
お兄ちゃんは、はにかむように笑った。
「私も、お兄ちゃん大好き。ふふぅ」
「早くルーに会いたいな」待ち遠しさを隠せないような弾む声。
ふわふわ。ふわふわ。
ぽかぽかした陽気を感じて、次第に意識が鮮明になる。
幸せな昔の思い出。
(寝る前に思い出していたから、夢に出てきたのかな)
ガッタンゴットン。
(目の前には、大きな人?)
首を傾げるとすぐ横に窓があった。
「窓だ!」
窓の外へ顔を向ける。
(うーん? なんだか遮る建物がない。こんな場所、初めて)
よく見ると、地面が盛り上がったり、へこんだりしている。
(ふふ)
(よく見ると、あの三角に盛り上がった部分はサンドイッチみたい)
(手前の三角は卵サンドイッチ、真ん中はチーズサンドイッチで、奥は……ふふ、生クリームといちごのサンドイッチ!)
るんるん。
楽しく想像していると、
ぐうっとお腹がなる。
そうだ。
ポケットに入れておいた木の実をいくつか取り出す。
脳裏に夢で聞いたお母様の声が再び響く。
『いい? ルシア。何事も備えておくのが大事なのよ。特に食べ物はね』
(お母様の言う通り!何事も備えが肝心!肝心!さすがお母様)
木の実は口の中ではじけて瑞々しい。
(甘い。おいひぃ。しあわせぇ~)
美味しさの余韻に浸っていると、
「ルシア皇女」
目の前から声がする。
反射的に、
「なんでしょうか……?」と答えて、
(あれ、誰だっけ?)
自分の3倍はありそうな大きな体格の……
(獣人……えっ?)
(あっ、そうだ!)
獣国に嫁ぐことになって、獣王様たちと馬車に乗ったんだ。
寝る前の出来事を思い返していると、
「随分意地を張っていたようだが、もう気は済んだか?」
(どういう意味だろう……)
「意地を張っていた?……寝ていただけですけど……」
「呆れたものだな。この5日間、ずっと寝ていただと? そんな見え透いた嘘で通すつもりなのか?」
「……5日?」
(……寝ていたの?)
感覚的には、数時間だけ寝たつもりだった。
(5日も経っていたみたい)
塔には、時計もないし、光も差し込まない。
一人だから、どれくらい寝たかさえも考えることがなかった。
臣下が興奮しながら、
「やはり人間は嘘つきだ。5日間も寝ていたなんて、そんなことあり得るか。何かの罠に決まっている」
(……あれ……そういえば、臣下さんの名前なんだっけ……あっ、そうだ。エオンさんという名前だ)
「皇女が何をしようと、この契約内容を変えるつもりはない」
獣王の唸るような声が響く。
「はい。嬉しいです。絶対です」
「っ……」
(破棄されてしまったら、日光浴生活が遠ざかっちゃう)
(この契約は絶対死守しなきゃ)
その時、馬車が止まった。
「もう国境に着いたか。随分早かったな」
「やはり人間の使う魔法は脅威ですね。奴らが何か企てるかとも思い、いつでも戦えるように準備していましたが必要はなかったようです」
「停戦にあたって、互いに制約をかけたからだろう。損得に目ざとい者たちだ。自分に危害が及ぶようなことはしないだろう」
そう言うと獣王様は、
「ここから先は獣国だ。随分好き勝手してきたようだが――皇女、勝手なことをすれば、命はないと思え」殺気に似た気配に、背筋が強張った。
「はい」
(たしかに)
塔の中では、自由気ままに暮らしていた。
だから、いつ寝ても、いつ食べても、何も言われることはなかった。
(注意しなきゃ)
(できるだけ寝すぎないようにしないと)
国境を越えると、別の乗り物が待機していた。
オリベルタ帝国の皇城から、獣国の国境までは、本来なら一か月かかる。
特別に、各要所の町に設置された転移魔法の使用許可が出ていたらしく、5日で到着したみたいだった。
(転移魔法は、そう簡単に使えるものじゃなかったはず……)
一つの転移陣を起動するだけでも、何十人もの魔法使いが必要になる。
(私たちのために、そんな大魔法を何度も使ったんだ……起きていたら見たかったな……残念)
(それだけ、人々にとって脅威である獣王様を帝国から早く出したかったのかな)
馬車から降りる。
陽の光が身体をぽわぽわ包んだ。
(気持ちがいい)
馬車が名残惜しくなって振り返る。
(少しの間しかいられなかったけど。私の理想の住まい。ばいばい)
もうここは、獣国の土地。
アルお兄ちゃんから聞いていた獣国。
ずっと来てみたかった。
(収穫祭……ミエラ・セ、ファルナ。ふふぅ)
(夢の中で食べたもののほかにも、まだ知らない美味しい食べ物があるんだろうな)
(ふへへ)
そんなことを考えながら、用意された乗り物に乗ろうとして、
(あれっ?)
(これって、どう乗ればいいんだろう?)
先ほどの馬車も大きかったけど、目の前の乗り物は、その三倍ほどありそう。
しかも、乗り物の床は私の背丈より高い。
足掛けはついていたけど、一段一段が高く、長い裾を持ったまま上がれる気がしなかった。
(どうしよう……)
そう困っていた時。
金属がこすれる音とともに、
〈きゅう。きゅう。きゅう。きゅう〉
甘えるような可愛い声が、それぞれ少しずつ違う高さで頭の中に響く。
まるで、何人かに一度に話しかけられているみたい。
〈て……つ……だう……よ……て……つ……だう……よ〉と言っているような気がした。
あたりを見回すと、綱につながれた大きな馬がどんどん近づいてきていた。
一歩ごとに地面が震え、魔素に縁どられたその輪郭が揺らめく。
こんなにはっきりと見える動物は初めてだった。
動くたびに、ふさふさとした毛並みや尾が揺れて、その軌跡が光のように残る。
それに、とっても大きい。
(あれ? よく見ると角? 馬に角って生えてたっけ?)
(馬じゃない……?)
(あっ。このままだとぶつかる)
金属がこすれる音とともに、綱が引っ張られ――
「ヴルルル……ガァッ!!」
地の底から響くような唸り声に耳をふさぐ。
直後、エオンさんが私と動物の間に割って入った。
「言うことを聞け、勝手に動くな!」
怒号が響く。
それにまるで抗うかのように
「グルルルル……ヴォオオオオオッ!!」
先ほどよりもさらに大きく鋭い唸り声に、恐怖で動けなくなる。
「っ……なんで俺が、人間のために……!」
エオンさんの苛立った声が響く。
その時、突然身体が浮いた。
ジタバタと身動ぎしていると――
「死にたくないなら動くな」
読んでくださり、ありがとうございます。
第2話では、ルシアの塔での暮らしや、アルお兄ちゃんとの思い出、そして獣国で出会った不思議な生き物のお話でした。
Instagramでは、漫画・イラスト・世界観メモを近日公開予定です。
本編とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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