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呪われた皇女と獣王  作者: Nono
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第9話 獣国の市場

「味見だよ」


店主さんは、焼きリンゴを三人分に切り分けてくれた。


「……いいんですか!?」


「ああ。ほら、熱いから気をつけな」


差し出された小皿から、ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐった。


(……!)


(……いい匂い……!)


思わず、頬が緩む。


「ありがとうございます!」


「ははっ。そちらのお嬢さん方も、よかったらどうだい?」


「えっ、私たちもですか?」


ミーナさんが驚いたように聞き返した。


「もちろんさ。三人で食べておくれ」


店主さんは、二人にも焼きリンゴを取り分けてくれた。


「ありがとうございます……!」


「……恐れ入りますわ」


アビゲイルさんも、少し戸惑ったように礼を言った。


焼きリンゴを、そっと口元へ運ぼうとした。


(……あっ!)


(……クーも食べる?)


〈食べる! ルシアと一緒!〉


(……ふふっ。じゃあ、半分こしようね!)


自分の分をさらに半分に分け、片方をクーの口元へ差し出した。


「……はい、クー!」


「きゅうっ!」


ぱくっ。


クーが焼きリンゴを頬張ると、小さな耳がぴんっと立ち、尻尾も嬉しそうにふりふりと揺れている。


(……おいしい?)


〈おいしい! あまーい! ルシアも食べて!〉


(……ふふっ。うん!)


私も残りの焼きリンゴを、少しだけ口に運んだ。


はむっ。


「……!」


舌に触れた瞬間、じんわりと温かさが広がった。


柔らかな果肉を噛むと、甘酸っぱい果汁がじゅわっとあふれ出す。


そこへ、とろりとした蜂蜜の甘さが重なった。


(……!)


(……おいしい……!)


(……すっごく、おいしい……!)


思わず、頬が緩む。


(……りんごって、焼くとこんなに甘くなるんだ……!)


(……はちみつも、とろとろ……!)


(……ふふぅ……!)


甘い蜂蜜の余韻が、舌の上に残っている。


(……獣国には、おいしいものがいっぱい……)


そう思った瞬間、懐かしい声が頭の中に蘇った。


『それにね、ルー。獣国には、その土地でしか育たない珍しい食べ物もあるんだよ』


(……あ……)


アルお兄ちゃんの声だ。


『……珍しい食べ物?』


『そう。例えば、牛大族の草原ではミルクやチーズ、兎大族の村では甘い人参や星苺《ほしいちご》、鹿大族の森では木の実や茸が採れるんだ』


『……ほしいちご?』


『ああ。苺の表面に、小さな星の模様があるんだよ』


『……おほしさま! 食べてみたい!』


『ふふっ。猫大族の暖かい土地では、陽蜜柑《ひみかん》という果物が育つんだ。お日様の光をたくさん浴びるほど、甘くなるんだよ』


『……すごい!』


『馬大族の広い草原では、風穂麦《かざほむぎ》という麦が育つ。強い風が吹いても、元気に育つ麦なんだ。それから、鯨大族の海辺では魚や貝もたくさん採れるよ』


『……おいしそう!』


『ははっ。そうだね。そうした品物が商人たちによって運ばれて、獣国の首都の市場に集まってくるんだ』


『……じゃあ、お菓子もいっぱい?』


『もちろん。果物のパイや甘いミルク菓子なんかもあるよ』


『……食べてみたいな!』


『いつか一緒に獣国を回って食べよう!』


『……やったー!』


『……約束!』


『ああ。尻尾に誓って』


『……しっぽ?』


『獣国では、大切な約束をするときに、尻尾を合わせるんだよ』


『……じゃあ、ルーも! しっぽに誓って!』


『ははっ。そうだな』


『……ふふぅ!』


すると、アルお兄ちゃんが私の手をそっと取った。


『それじゃあ、指切りもしておこうか』


『……ゆびきり!』


アルお兄ちゃんの大きな小指に、私の小さな小指を絡める。


『……約束!』


『ああ、約束だ』


(……そうだった……)


そっと、残しておいた焼きリンゴをもうひと口食べる。


しゃくっ。


甘い果汁が、口いっぱいに広がった。


(……アルお兄ちゃん……)


(……私、今、獣国の市場にいるよ……)


(……お兄ちゃんが教えてくれた、おいしいものがいっぱいある場所……)


(……本当に、あったんだね……)


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


(……いつか、一緒に食べられるかな……?)


(……星苺も、陽蜜柑も……)


(……今日食べた、この焼きリンゴも……!)


(……ふふっ……)


(……約束、忘れてないからね……)


「……嬢ちゃん?」


店主さんの声に、はっと我に返った。


「……あっ、はい!」


「ははっ。そんなにおいしかったかい?」


「はい! とっても!」


思わず、弾むような声が出た。


「そりゃあ、よかった!」


店主さんが、からからと笑った。


「それにしても、珍しいですわね」


アビゲイルさんが口を開いた。


「見ず知らずの客に、こんなふうに振る舞ってくださるなんて」


「ははっ。まあ、ちょっとした縁起担ぎさ」


「……縁起担ぎ、ですか?」


「ああ。小さなフィラックスを連れた、ローブをかぶった客は、幸運を運んでくるってな」


「……え?」


アビゲイルさんが驚いたように声を上げた。


「昔から、そういう言い伝えがあるんだよ」


(……クーのこと?)


足元に意識を向ける。


「きゅう?」


クーが、不思議そうに鳴いた。


「……そんなお話、初めて聞きましたわ」


「そうかい? まあ、この辺だけの言い伝えなのかもしれねえなぁ」


店主さんは、のんびりと笑った。


「うちの爺さんの、そのまた爺さんが言ってたって話だからな。ずいぶん昔のことさ」


「……そうでしたの」


アビゲイルさんの尖った耳がぴくりと動く。


(……幸運を運んでくる……)


(……クーが?)


「きゅうっ!」


足元から、元気な鳴き声が返ってきた。


(……ふふっ)


(……クーは、すごいんだね!)


〈すごいでしょ!〉


クーは得意げに胸を張った。


小さな耳がぴんっと立ち、ふわふわの尻尾がふりふりと揺れる。


(……ふふっ。うん!)


焼きリンゴを食べ終えると、私は店主さんにもう一度頭を下げた。


「ありがとうございました!」


「おう! またおいで!」


屋台を後にしても、口の中にはまだ蜂蜜の甘さが残っていた。


(……おいしかったなぁ……!)


(……ふふぅ!)


思わず頬が緩む。


(……あっ!)


(……でも、まずは種を探さないと!)


ぎゅっと、小さな拳を握った。


「ミーナさん、アビゲイルさん! 種を探しに行きましょう!」


「はい!」


「……ええ。参りましょう」


私たちは、再び賑やかな市場へと歩き出した。


「いらっしゃい、いらっしゃい! 採れたての野菜だよ!」


威勢のいい声に、思わず顔を向けた。


ふわりと、土と青々しい葉の匂いが漂ってくる。


(……お野菜……!)


〈ルシア! あっち!〉


「きゅうっ!」


クーが弾んだ声を上げた。


(……ふふっ。クーも気になる?)


声のする方には、大小さまざまな籠が並んでいた。


丸いもの、細長いもの、葉が幾重にも重なったもの。


(……わぁ……!)


(……見たことのない形のお野菜もある……!)


「お嬢様、あちらのお店に行ってみましょうか?」


ミーナさんの優しい声に、胸が弾む。


「はい!」


(……いちごの種、あるかな……?)


期待に胸を膨らませながら、私たちは野菜屋さんへと向かった。


◇◇


「おや、可愛らしいお嬢ちゃんだねぇ!」


声をかけてくれたのは、長い耳を持つ兎獣人のおばあさんだった。


「あら、そちらのお嬢さん。立派なお耳だこと!」


「あ、ありがとうございます……!」


ミーナさんの声が、少し小さくなる。


(……ふふっ)


(……ミーナさん、照れてるのかな……?)


「それで、お嬢ちゃんたちは何を探しているんだい?」


「……あの、いちごの種はありますか?」


「苺の種かい?」


おばあさんの耳が、ぴょこんと傾いた。


「悪いねぇ。うちは食べる野菜ばかりで、種は扱ってないんだよ」


「……そうなんですか」


(……残念……)


「春になれば、苗を売る店も増えると思うけどねぇ」


「……春……」


「そうそう。今は冬に入ったばかりだからね」


おばあさんは、籠の中の野菜を一つ持ち上げた。


「それにしても、今年は困ったもんだよ。ここ何年か、野菜の育ちが悪くなってるんだけどねぇ」


「……育ちが悪いんですか?」


「ああ。今年は特にひどくてね。去年より小ぶりなものばかりさ」


おばあさんの長い耳が少し垂れる。


「それでも、首都には各地から野菜が集まってくるからね。ありがたいことだよ」


(……そうなんだ……)


籠には、まだたくさんの野菜が積まれている。


(……こんなにいっぱいあるのに……)


(……もっと、たくさん採れる年もあるんだ……!)


そのとき、ミーナさんが、ふと一つの籠の前で足を止めた。


「あっ……。お嬢様、こちらをご存じですか?」


「……?」


茎から、柔らかそうな葉が何枚も伸びている。


その先には、花のように何か小さなものが垂れ下がっていた。


(……わぁ……!)


(……お花みたい……!)


「きれいなすみれ色ですよね。こちらは、月花実《つきはなみ》というお野菜なんですよ」


(……すみれ色なんだ……)


「……つきはなみ……?」


(……初めて聞く名前……。可愛い名前だな……)


「はい。兎の里で農家を営む親戚の家で、よく食べさせてもらったんです」


「……食べられるんですか?」


「ふふっ。もちろんです。茎と葉が甘くて、そのままでも美味しいんですよ」


「……そのままでも?」


「はい。獣国では、おやつとしても親しまれているんです」


「……お野菜なのに、おやつ……!」


(……すごい……!)


「小さい頃、親戚の家へ遊びに行くと、いつも出してくれたんです」


ミーナさんの長い耳が、ゆったりと揺れていた。


「とても優しい甘さで……。つい、何本も食べてしまうんですよ」


(……ふふっ)


(……ミーナさん、懐かしそう……)


(……何本も……! そんなに美味しいんだ……!)


「ただし、実の部分は食べてはいけませんよ」


「……実は?」


「ええ。とても強い毒があるので、食べる前に取り除くんです」


「……えっ!」


思わず、月花実の魔素をよく探る。


細い茎の先で、花のような実がいくつも垂れ下がっていた。


(……こんなに可愛い形なのに……?)


「不思議でしょう? 茎や葉は甘くて美味しいのに、実だけは食べられないんです」


「……へぇ……!」


(……不思議なお野菜……!)


「月花実は丈夫でねぇ」


おばあさんが、話に加わった。


「ほかの野菜が育ちにくい年でも、比較的よく育つんだよ。だから、うちでも毎年仕入れてるのさ」


「……そうなんですか!」


「そうそう。実をきちんと取り除けば、茎も葉もそのまま食べられるからね。子どもたちにも人気なんだよ」


(……子どもたちにも……!)


(……どんな味がするんだろう……?)


「お嬢様も、いつか召し上がってみてくださいね」


「……はい!」


すると、おばあさんが、からからと笑った。


「なんだい、お嬢ちゃん。月花実を食べたことがないのかい?」


「……はい。初めて知りました!」


「そうかい、そうかい。だったら、ちょっと味見していきな」


「……えっ! いいんですか?」


「ああ。葉っぱの一枚や二枚、構いやしないよ」


おばあさんは月花実の葉を数枚摘み取り、実が混じっていないことを確かめてから、私たちに分けてくれた。


「ほら、食べてごらん。まるで砂糖を食べてるみたいに甘いんだよ」


「……お砂糖……!?」


(……お野菜なのに……?)


もらった葉を少しちぎり、クーにも分ける。


それから、おそるおそる、葉の先を口に運んだ。


しゃくっ。


「……!」


噛んだ途端、みずみずしい甘さが、ふわっと口いっぱいに広がった。


(……あまい……!)


噛むたびに、優しい甘さがじんわりと広がっていく。


それなのに、後味はすっきりしていて、もう一口食べたくなる。


(……すごい……!)


(……本当に、お砂糖みたい……!)


「……おいしい……!」


思わず声がこぼれた。


「ふふっ。でしょう?」


ミーナさんは長い耳を嬉しそうに揺らし、懐かしそうに葉を口に運んだ。


「……ああ、この味です」


「ふふっ。昔を思い出したかい?」


「はい。とても懐かしいです」


隣では、アビゲイルさんも葉を一口。


「……相変わらず、上品な甘さですわね」


その細い尻尾がゆったりと揺れるのを感じた。


〈……ルシア、おいしい!〉


(……うん! 甘いね!)


クーも、小さな葉を夢中でもぐもぐしている。


ふわふわの尻尾が、嬉しそうに左右に揺れていた。


(……ふふっ! クーも気に入ったんだね!)


「気に入ったかい?」


「……はい! とっても美味しいです!」


「ははっ! そりゃよかった!」


おばあさんが、嬉しそうに笑った。


(……ふふぅ……!)


(……獣国には、こんなに美味しいお野菜もあるんだ……!)


「いちごの種、見つかるといいねぇ」


「はい! ありがとうございます!」


ぺこりと頭を下げて、お店を後にする。


(……最初のお店にはなかったけど……)


(……まだまだ、いっぱいお店があるもん!)


(……次、次!)


◇◇


「甘い果物はいかが! 今朝届いたばかりだよ!」


次に足を止めたのは、果物屋さんだった。


ふわり。


風に乗って、甘酸っぱい香りが鼻先をくすぐる。


(……あれ……?)


(……なんだろう、この匂い……)


苺とも、林檎とも違う。


柔らかな甘さの奥に、すうっと鼻を抜ける爽やかな香りが混じっていた。


(……いい匂い……!)


「おっ、いらっしゃい!」


店主さんは、猫獣人のお兄さんだった。


魔素を通して、尖った耳と長い尻尾を感じ取る。


尻尾は、ゆらゆらと揺れていた。


「今日は陽蜜柑が入ってるよ! 猫大族の土地から届いたばかりさ!」


(……ひみかん……!)


(……アルお兄ちゃんが教えてくれた果物だ!)


思わず、胸が弾んだ。


(……本当にあるんだ……!)


「きゅうっ!」


足元で、クーがぴょんっと跳ねた。


〈ルシア! いい匂い!〉


(……ふふっ。クーも気になる?)


〈うん! 食べたい!〉


クーが鼻先をひくひくと動かす。


ふわふわの尻尾が、期待するように左右に揺れていた。


(……私も食べてみたいなぁ……!)


「お嬢ちゃん、陽蜜柑を知ってるのかい?」


「はい! お日様の光をたくさん浴びるほど、甘くなるんですよね!」


「おっ! よく知ってるねぇ!」


猫耳が、嬉しそうに立った。


「そうそう! うちの土地の自慢の果物さ!」


(……えへへ……!)


(……アルお兄ちゃんが教えてくれたんだもん!)


「ただ、今年は数が少なくてねぇ」


店主さんが、少し困ったように笑った。


「ここ数年、収穫が減ってるんだけど、今年は特に少なくてさ。いつもなら、もっと山ほど届くんだよ」


「……そうなんですか?」


「ああ。でも、味はいいよ! 甘さは負けてないからね!」


店主さんは、からりと笑った。


(……こんなにいい匂いなのに……)


(……もっとたくさん実る年もあるんだ……!)


「そういや、さっきから気になってたんだが……そのちっこいの、フィラックスかい?」


「……はい! クーっていうんです!」


「へぇ! こりゃ珍しい! フィラックスがこんなに懐いてるなんてな!」


猫耳が、ぴんっと立った。


「獣人にだって、そう簡単には懐かねえっていうのに!」


「……ふふっ。クーは、とってもいい子なんですよ!」


「きゅうっ!」


クーが得意げに胸を張った。


「そうだ! ちょっと待ってな!」


ごそごそと、何かを探る音がする。


「ほら、これ持っていきな!」


差し出されたのは、甘酸っぱい香りのする陽蜜柑だった。


「……えっ?」


「一つ、やるよ!」


「……でも……!」


「いいんだよ。うちには昔から、妙な家訓があってね」


「……家訓、ですか?」


「ああ。『フィラックスを連れた客を、手ぶらで帰しちゃいけない』ってな!」


「……!」


「なんでそんな決まりがあるのか、俺も知らないんだけどさ」


店主さんは、からからと笑った。


「親父も爺さんも、そう言ってたんだよ。だから、俺も守ってるってわけ!」


「……不思議ですわね」


アビゲイルさんが、小さく呟いた。


「……何がですか?」


「いえ……先ほどのお店でも、似たようなお話を伺いましたので」


(……あっ!)


(……そういえば、焼きリンゴ屋さんでも……!)


(……クーって、幸運を運んでくるのかな……?)


〈そうだよ!〉


(……ふふっ。クーったら!)


「ほら、遠慮しないで!」


「……ありがとうございます!」


両手で陽蜜柑を受け取る。


手のひらに、ころんとした重みが伝わった。


(……わぁ……!)


(……いい匂い……!)


〈ルシア! もらったの!?〉


(……うん! クー、一緒に食べようね!)


〈やったぁ!〉


「きゅうっ!」


クーが嬉しそうに跳ねた。


その様子に、店主さんも楽しそうに笑った。


「ははっ! そんなに喜んでもらえるなら、俺も嬉しいよ!」


(……ふふぅ!)


(……獣国の人って、優しいなぁ……!)


「ところで、お嬢ちゃんは何を探してるんだい?」


「……あの、いちごの種はありますか?」


「苺の種?」


店主さんの耳が、ぴくりと動いた。


「いやぁ、うちにはないねぇ。苺そのものも、最近はなかなか入ってこなくてさ」


「……そうなんですか……」


(……ここにも、ないんだ……)


「まあ、戦も終わったことだしな!」


店主さんが、ぱっと声を明るくした。


「畑に戻ってきた若い連中もいるって話だ。来年はもっとたくさん届くといいんだけどな!」


「……そうですね!」


(……戦争が終わったから……)


(……これから、もっとたくさん育つといいな……!)


「……あの、今、みんなで食べてもいいですか?」


「もちろんさ! 皮をむけば、そのまま食べられるよ」


陽蜜柑の皮に、そっと指をかける。


ぷつりと皮が裂けると、爽やかな香りがふわっと広がった。


(……わぁ……!)


(……むいたら、もっといい匂い……!)


ミーナさんに手伝ってもらいながら皮をむき、房を一つずつ分けていく。


「ミーナさんも、アビゲイルさんも、どうぞ!」


「ありがとうございます、お嬢様!」


「……では、一房いただきますわ」


「クーも、はい!」


「きゅうっ!」


小さく分けた果肉を差し出すと、クーがぱくっと頬張った。


私も、一房を口に入れる。


ぷちっ。


薄い皮が弾けて、甘い果汁がじゅわっとあふれた。


「……!」


(……あまい……!)


(……でも、ちょっとすっぱくて……!)


爽やかな香りが鼻へ抜けて、思わずもう一房に手が伸びそうになる。


〈ルシア! これも、おいしい!〉


(……うん!)


「……とっても甘いです!」


「ふふっ。本当ですね」


「酸味もちょうどよくて、美味しいですわ」


二人の声に、嬉しくなる。


(……アルお兄ちゃん……)


(……陽蜜柑、初めて食べたよ……!)


(……お兄ちゃんにも、一房あげたいな……)


「ははっ! いい食べっぷりだ!」


店主さんが、楽しそうに笑った。


「また食べたくなったら、おいで!」


「はい! ありがとうございました!」


お礼を言って、お店を後にする。


口の中には、まだ甘酸っぱい余韻が残っていた。


(……ひみかん、おいしかったなぁ……!)


(……いつか、アルお兄ちゃんとも食べたいな……!)


◇◇


さらさら、さらさら。


今度は、小さな雨が降っているような音が聞こえてきた。


(……ん……?)


(……何の音だろう……?)


音のする方へ近づくと、乾いた草のような、ほんのり香ばしい匂いがした。


「いらっしゃい! 麦を探しているのかい?」


そこは、穀物を売っているお店だった。


店主さんは、立派な角を持つ牛大族のおじさん。


大きな手で木の匙を持ち、袋の中の穀物をすくっていた。


ざらざらざら……。


匙を傾けると、小さな粒が袋の中へ流れ落ちる。


(……わぁ……!)


(……雨みたいな音……!)


「……あの、いちごの種はありますか?」


「苺?」


おじさんは、少し驚いたようだった。


「うちは麦や豆が専門だからねぇ」


「……そうなんですね……」


(……また、なかった……)


「すまないねぇ」


「いえ! ありがとうございます!」


ふと、袋から漂う香ばしい匂いに気づいた。


(……麦の匂い……)


(……そういえば……)


「……あの、風穂麦もありますか?」


「おっ! よく知ってるねぇ!」


おじさんの声が、ぱっと明るくなった。


「もちろんあるよ! 馬大族の草原から届いたばかりさ!」


(……かざほむぎ……!)


(……これも、アルお兄ちゃんが教えてくれた麦だ!)


「風が強い草原でも、しっかり育つ丈夫な麦なんだよ」


「……わぁ……!」


(……すごい……!)


(……そんな麦があるんだ……!)


「この麦で作ったパンは、香ばしくてうまいんだ」


(……パン……!)


(……どんな味がするんだろう……?)


(……ふわふわかな?)


(……それとも、もちもち……?)


想像しただけで、お腹がきゅうっと鳴りそうになった。


「ただねぇ、最近はその風穂麦まで収穫が減ってるんだよ」


「……風に強いのに、ですか?」


「ああ。丈夫な麦なんだけどねぇ。今年は特に育ちが悪くてさ」


おじさんは、困ったように息をついた。


「地方じゃ、もっと大変なところもあるって聞くよ」


(……地方では、もっと……?)


「……風穂麦まで、ですの?」


それまで静かに話を聞いていたアビゲイルさんが、口を開いた。


「ええ。去年より入荷が減っておりましてね」


「……そうでしたの……」


アビゲイルさんの尻尾がゆっくりと下がる。


「獣国の三大主食の一つですのに……。どうりで、今年は例年に比べて麦が手に入りにくいと思っていましたわ」


「ああ。値も上がってるしねぇ。困ったもんだよ」


「……お父様も、今年は穀物の仕入れが難しいとおっしゃっていましたわ」


「おや、お嬢さんのご実家も商売を?」


「ええ。父が商いをしておりますの」


「そうかい、そうかい。……ん?」


おじさんが、ふと声を止めた。


「……ちょっと待ちな。あんた、どこかで……」


「……どうかなさいまして?」


「いや、その顔立ち……もしかして、あんたはゴエルド商会の――」


「ところで!」


アビゲイルさんが、すかさず言葉を遮った。


その尻尾が、ぴしりと一度だけ揺れる。


「先ほど、地方ではもっと収穫が少ないとおっしゃっていましたわね?」


「……お、おう」


「来年の作付けにも影響が出そうですの?」


「ああ、そうだねぇ。種に回す分まで減ってるところもあるらしくてな……」


おじさんは再び麦の話を始めた。


(……?)


(……今、何か言いかけていたような……)


アビゲイルさんの方へ、そっと顔を向ける。


けれど、アビゲイルさんの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。


(……まあ、いっか!)


「……このままでは、冬の暮らしも厳しくなりそうですわね」


「そうだねぇ……」


おじさんは、小さく息をついた。


「……それに、来年の収穫も心配ですわ」


(……来年も……?)


(……今年だけじゃ、終わらないかもしれないんだ……)


しばらく、誰も口を開かなかった。


けれど、おじさんは、すぐに明るい声を上げた。


「それでも、戦は終わった。若い連中も帰ってきたし、これからさ!」


「……これから?」


「ああ! それに、俺たちには獣王様がいるからな!」


おじさんの声が、誇らしげに弾んだ。


「あのお方がいる限り、獣国はそう簡単には倒れねえよ!」


(……獣王様……)


(……みんな、獣王様のことを信じているんだ……)


「……そうですわね」


アビゲイルさんの声が、少しだけ柔らかくなった。


「獣王様なら、きっと……」


そう言いかけて、アビゲイルさんは小さく首を振った。


「……ですが、作物が育たないことには、困りますわ」


「ははっ! そりゃあ、そうだ!」


おじさんが豪快に笑う。


「だからこそ、俺たちも頑張らねえとな!」


(……そっか……)


(……獣王様だけじゃなくて、みんなも頑張っているんだ……)


私は、並んだ麦袋にそっと手を伸ばした。


(……来年は、たくさん実るといいな……)


「苺の種、見つかるといいな!」


「はい! ありがとうございます!」


◇◇


それからも、いくつものお店を回った。


ぱちぱちと薪のはぜる音がするお店では、焼きたてのパンの香りが漂っていた。


(……わぁ……!)


(……いい匂い……!)


その隣には、干した茸や木の実を売るお店。


森の奥にいるような、湿った木と香ばしい木の実の匂いが混じっている。


「鹿大族の森から届いたばかりだよ!」


(……鹿大族の森……!)


(……アルお兄ちゃんが教えてくれたところだ!)


少し先では、大きな樽の蓋が開く音がした。


ぱかっ。


途端に、つんとした酸っぱい香りが漂ってくる。


(……っ!)


(……すっぱい匂い……!)


「きゅっ!」


クーが、びくっと身体を縮めた。


〈……なに、これ!〉


(……ふふっ。クー、びっくりした?)


〈……ちょっとだけ!〉


(……ふふふっ!)


「こちらは、野菜を漬け込んだものですわ」


アビゲイルさんが教えてくれた。


「……お野菜を?」


「ええ。長く保存するための工夫ですの」


「……へぇ……!」


(……こんな匂いになるんだ……!)


さらに進むと、今度は香草屋さん。


小さな瓶や、乾燥させた葉を束ねたものが、所狭しと並んでいた。


ふわり。


風に乗って、いくつもの香りが漂ってくる。


すうっと鼻を抜ける爽やかな香り。


甘くて、少し眠たくなるような香り。


その隣には、思わず鼻をくんくんさせたくなる、不思議な匂い。


(……わぁ……!)


(……同じ葉っぱなのに、こんなに違うんだ……!)


「お嬢様、こちらはお料理に使う香草なんですよ」


ミーナさんが、優しく教えてくれた。


「……お料理に?」


「はい。例えば、こちらのタイムは、お肉やお魚の臭みを和らげてくれるんです」


「……へぇ……!」


「それから、こちらはフェンネルです。少し甘い香りがするでしょう?」


そっと顔を近づける。


ふわり。


(……あれ……?)


(……なんだか、お菓子みたいな匂い……!)


「……これ、お菓子に入れるんですか?」


「ふふっ。お菓子にも使いますよ。お料理にも使えるんです」


「……すごい……!」


(……お肉にも、お菓子にも使えるんだ……!)


「こちらは、サラダバーネットです」


ミーナさんが、別の葉を教えてくれた。


「葉に、キュウリに似た風味があるんですよ」


「……キュウリ……!?」


(……葉っぱなのに……?)


「ふふっ。不思議でしょう?」


(……すごい……!)


(……葉っぱなのに、キュウリ……!)


すると、ふわりと、甘い香りが鼻先をくすぐった。


(……あれ……?)


(……今度は、なんだろう……)


お菓子のような、柔らかい甘さ。


「……あの、こっちは……?」


「おっ、お嬢ちゃん、いい鼻してるねぇ!」


香草屋さんの店主さんが、楽しそうに笑った。


魔素を通して、丸い耳と、背中の方へくるんと持ち上がった大きな尻尾を感じ取る。


(……ふさふさの尻尾……!)


(……リスの獣人さんだ……!)


「そいつはヘリオトロープさ。甘い香りがするだろう?」


「……はい!」


(……ふわぁ……!)


(……なんだか、バニラみたい……!)


「ただし、こいつは香りを楽しむ花だからね。食べちゃいけないよ」


「……そうなんですか……!」


(……食べられないのに、お菓子みたいな匂い……!)


(……不思議……!)


「きゅうっ!」


クーが、鼻先をひくひくと動かしていた。


〈ルシア! こっちも!〉


(……ん?)


クーの向いた方から、爽やかな香りが漂ってくる。


(……あっ!)


(……レモンみたい……!)


「そっちはレモンマリーゴールドだよ。葉を軽くこすると、もっと香るんだ」


「……わぁ……!」


(……本当に、レモンみたい……!)


〈いい匂い!〉


(……ふふっ。クーも好き?)


〈うん!〉


クーの尻尾が、嬉しそうに揺れた。


「それから、こいつは獣国でも珍しい香草でね」


店主さんが、別の束を取り上げた。


「月雫草《つきしずくそう》っていうんだ」


「……つきしずくそう……?」


「夜露を浴びると、香りが強くなるんだよ」


「……夜露で……?」


「ああ。昼間はほとんど香らないんだが、夜になると、ほんのり甘い匂いがするのさ」


(……へぇ……!)


(……夜になると、いい匂いがする葉っぱ……!)


(……なんだか、お月様みたい……!)


「きゅう!」


クーも興味津々なのか、鼻先をひくひくと動かしていた。


(……ふふっ。クーも気になるよね!)


知らない匂いがいっぱい。


聞いたことのない食べ物の名前もいっぱい。


お店の人たちの耳や尻尾も、形も動きもみんな違う。


(……すごいなぁ……!)


(……獣国の市場って、こんなに賑やかなんだ……!)


目には何も映らないけれど。


どこからか聞こえてくる笑い声。


石畳を踏む、さまざまな足音。


風に乗って届く、甘い香りや香ばしい匂い。


その一つひとつが、私の知らなかった世界を教えてくれる。


(……ふふぅ……!)


(……市場って、楽しい……!)


けれど、いちごの種だけは、なかなか見つからなかった。


一軒、また一軒。


知らない食べ物に出会うたび、胸が弾む。


けれど、いちごの種を尋ねるたびに、少しだけ肩が落ちた。


(……次のお店には、あるかな……?)


歩いても、歩いても。


(……どこにあるんだろう……)


ぐぅぅ……。


「……!」


また、お腹が鳴った。


(……あれ?)


(……朝ごはん、あんなにいっぱい食べたのに……)


(……それに、焼きリンゴも、月花実も、陽蜜柑も食べたのに……!)


そっと、お腹に手を当てる。


(……もう、お腹すいちゃったの……?)


(……私のお腹、どうしちゃったんだろう……?)


「お嬢様、お疲れではありませんか?」


ミーナさんが、心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫です!」


「ですが、もうずいぶん歩いていますし……」


ミーナさんの長い耳が心配そうに垂れる。


「少し、お休みになりませんか?」


(……お休み……)


確かに、足は少し疲れてきた。


でも。


(……まだ、歩ける……!)


(……そういえば、獣国に来た日は、歩くだけでも大変だったのに……)


(……今は、こんなに歩けるんだ……!)


なんだか、それが嬉しくなった。


「……まだ、大丈夫です!」


(……ふふぅ!)


(……体力、ばんざーい!)


「きゅうっ!」


クーが、私の足元にふわふわの身体をすり寄せてきた。


〈ルシア、がんばれ!〉


(……うん!)


(……絶対、見つけるんだから!)


「……それにしても、おかしいですわね」


アビゲイルさんが、ぽつりと言った。


「……何がですか?」


「以前、この辺りに種や苗を扱っているお店があったはずなのですけれど……」


「……本当ですか!?」


思わず声が弾んだ。


「ええ。確か、この通りだったと思うのですが……」


アビゲイルさんが、周囲を見回しているようだった。


けれど、それらしいお店は見つからない。


「……店じまいしてしまったのでしょうか」


ミーナさんが、ぽつりと呟いた。


(……残念だな……)


すると、近くから声がした。


「おや、種苗屋を探してるのかい?」


声のした方へ顔を向ける。


お店の前に、垂れた耳と、ゆるく揺れる尻尾を持つ獣人さんがいた。


少ししゃがれた、穏やかな声だった。


「はい! いちごの種を探しているんです!」


「苺の種かい。そりゃあ、今の時期はなかなか難しいねぇ」


「……どうしてですか?」


「冬に入ったばかりだからね。畑仕事も減るし、店じまいしてるところが多いんだよ」


「……そうなんですね……」


「それに、ここ何年も不作続きだろう? 今年は特に厳しいし、種や苗を手放す農家も少なくなってるんだ」


(……ふさく……)


(……そういえば、さっきのお店でも……)


「……では、もう買えないんですか……?」


「うーん……」


獣人さんは、少し考え込んだ。


「そういえば、もう少し先を歩いて、右に曲がったところにある店は、まだ開いていたような気がするねぇ」


「……本当ですか!?」


「ああ。小さな店だから、見落とさないようにね」


「ありがとうございます!」


ぺこりと頭を下げた。


(……やった!)


(……まだ、あるかもしれない!)


「お嬢様、行ってみましょうか」


ミーナさんの長い耳がぴょこんと揺れる。


「はい!」


教えてもらった道を進む。


賑やかな大通りから外れると、行き交う人の声も少なくなった。


さっきまであんなに近くにあった呼び込みの声が、少しずつ遠ざかっていく。


代わりに、石畳を踏む私たちの足音が、こつこつと響いた。


(……もう少し先……)


(……右に曲がって……)


(……どんなお店だろう……?)


(……いちごの種、あるといいな……!)


「きゅう!」


突然、クーが声を上げた。


〈ルシア! あそこ!〉


(……え?)


〈あのお店だよ!〉


「……本当!?」


思わず足が速くなる。


「ミーナさん! アビゲイルさん!」


「あっ、お嬢様! 走っては危ないですよ!」


「……あちらに、お店があるみたいです!」


クーに案内されて進むと、通りの端に、小さなお店があった。


周囲の屋台とは違い、木箱や小さな袋がいくつも並べられている。


乾いた草の匂い。


土の匂い。


それから、かすかに漂う若葉の香り。


(……ここ……!)


「いらっしゃい」


お店の奥から、年配の男の人の声がした。


そちらに意識を向けると、頭の上に大きな角を持つ獣人さんがいた。


左右に広がり、木の枝のように何本も分かれた角。


その下には、細長い耳がついている。


(……鹿獣人さん、かな?)


少し背中の曲がった、小柄なおじいさんだった。


「何を探してるんだい?」


「いちごの種はありますか?」


「……苺の種?」


おじいさんが、少し考え込んだ。


「種は置いてないねぇ。だが、苗ならあるよ」


「……なえ?」


「そう。もう芽が出て、葉っぱが育っているものさ」


「……!」


(……もう、芽が出てるの!?)


(……それって……!)


「……いちごが、育てられるんですか!?」


第9話を読んでくださり、ありがとうございます!


今回も、ルシアの初めての城下町での冒険をお届けしました!


……そして、またまた長くなってしまいました(笑)。


実は、1話5,000文字程度を目安に執筆しているのですが……。


前回は約9,600文字。そして今回は、なんと約12,700文字!


……あれ? おかしいですね(笑)。


いちごの種を探すだけのはずだったのですが、獣国の食べ物や市場の様子を描いていたら、いつの間にかこんなことに……。


どうやら、ルシアだけでなく、作者も市場を満喫してしまったようです(笑)。


◇◇◇


さて、今回のルシアはというと……。


焼きリンゴに、月花実《つきはなみ》、陽蜜柑《ひみかん》!


すっかり食べ物に夢中です(笑)。


ちなみに、今回登場した獣国ならではの作物たち。


今後のお話にも、また登場するかもしれません(笑)。


そして、今回はアルお兄ちゃんとの懐かしい約束も登場しました。


特に、二人が尻尾と小指で約束を交わす場面は、作者としても温かく見守りたくなる、お気に入りのシーンです。


◇◇◇


そして、肝心のいちごの種探しはというと……。


ようやく、種や苗を扱うお店にたどり着きました!


しかも、いちごの苗があるとのこと!


……よかったね、ルシア!


果たして、無事にいちごを育てることができるのでしょうか?


次回、第10話もお楽しみに!


◇◇◇


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