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第158話 安久里の晩ごはん


二階の和室に、しばし静かな時間が落ちていた。


マイのスマホの画面はすでに暗くなっているのに、

メイの視線だけが、まだそこに縫い留められたまま動かない。


胸の奥に残った、説明のつかないざわめき。

それを言葉にする前に——


「メイちゃーん、マイちゃーん。おるかね〜?」


一階から、よく通る声が響いてきた。


「……あ、律子おばちゃんだ!」


先に反応したのはマイだった。

ぱっと立ち上がると、そのまま階段のほうへ駆けていく。


「ちょっと降りてくるね!」


その背中を見送りながら、

メイは一拍だけ間を置いてから、ゆっくりと腰を上げた。


頭の中は、まだ整理がつかないまま。

けれど、今はそれを抱えたまま動くしかなかった。


階段を下りると、店の奥にあたる居間のほうが、少し賑やかになっている。


「よう、来んしゃったねぇ」


親戚の律子おばちゃんが、にこにこと笑いながらマイの前に立っていた。

両手を軽く合わせて、まるで挨拶の続きを確かめるみたいに。


「久しぶり〜!」


マイも嬉しそうに声を弾ませる。


少し遅れて、メイも居間へ顔を出した。


「……久しぶりです」


小さく手を振って、そう言う。

口元は笑っているはずなのに、その表情はどこかぎこちない。


律子おばちゃんはそんなことには気づかない様子で、

「あらまぁ」と楽しそうに声を上げていた。


「メイちゃん! 元気だったけ?」


律子おばちゃんが、ぐっと距離を詰めて声をかけてくる。


「はい。おばちゃんも、元気そうで」


そう答えると、


「りっちゃんは、元気すぎるさー!」


土間のほうから、よく通る声が飛んできた。


振り向くと、

珠代おばちゃんと菊江おばちゃんが、おばあちゃんと一緒に晩ご飯の支度をしている。


「キクちゃんには、言われとうないわ」


「ギャハハ〜!」


「たまちゃん、笑いすぎだに!」


手を動かしながら、笑い声だけが先に転がってくる。


「この三人は、やかましくてかなわんずら」


おばあちゃんは、そう言いながら皿を抱えて居間のほうへ来た。


「あれ? おばちゃんたち、姉妹だっけ?」


マイが首をかしげる。


「んーにゃ。ただの親戚ずら」


「ただの、は余計ずら」


「ギャハハ〜!」


また笑いが弾ける。


その様子を見て、

メイの表情も、ほんの少しだけ和らいだ。


「おばあちゃん、手伝うよ」


皿に手を伸ばすと、

おばあちゃんはくすっと笑って首を振る。


「あんたらは、中で座ってな」



おばあちゃんに促されて、

メイとマイは居間のふすまを開けた。


その瞬間、

低くてよく通る声が飛んでくる。


「おう、メイちゃん、マイちゃん! 久しぶり!」


おじいちゃんの隣で胡座をかいていたのは、

日に焼けた肌にがっしりした体つきの、いかにも漁師らしい男だった。


「あ! 郡介おじさん!」


マイが、ぱっと声を弾ませる。


「おう! 久しぶりだなぁ」


懐かしそうに笑う郡介おじさんの横で、

おじいちゃんは、すでに一杯やっているらしく、すっかり上機嫌だ。


「郡介はな、魚、持ってきよったんじゃよ」


「刺身な。金目も。今朝、獲れたやつじゃ」


「やった! お刺身〜!」


マイが、両手を上げて喜ぶ。


「ご無沙汰してます」


メイは、軽く会釈をした。


「ふたりとも、大きくなったのぉ。いくつになった?」


「レディに歳を聞くのは、失礼じゃねえけ?」


その声と同時に、

菊江おばちゃんが、煮物の大皿を抱えて居間に入ってくる。


「いえ、二十二になりました」


「私はハタチ!」


「そうかぁ……」


郡介おじさんは、感慨深そうにうなずいてから、


「わしらが年取るのも、当たり前じゃなぁ」


と、豪快に笑った。


「みんなな、『矢鞠が来とる』って聞いて、ぞろぞろ集まってきたんさ」


そう言って、

お猪口をぐいっと空ける。


さっきまでの「とうふや」とは、まるで別の場所みたいな賑やかさ。


メイは、その空気に少し戸惑いながら、

――でも、困惑の理由は、きっとそれだけじゃない。

そんなことも、どこかで分かっていた。


店のほうから、

ガラガラ、とシャッターの閉まる音が響く。


どうやら、いつも店の開け閉めをしてくれているシンペイおじさんも、来ているらしい。


「清次さん、あの人には飲ましちゃダメずらよ。

人が変わるだに」


グラスを載せたお盆を持ってきた律子おばちゃんが、

念を押すように、おじいちゃんに声をかける。


「わかっちょる、わかっちょる」


おじいちゃんは、どこか楽しそうに笑った。


「おまえらも、飲むか?」


郡介おじさんが、気軽な調子で言う。


「ちょっと、もらっちゃおーかな〜」


マイが、ためらいもなく答える。


「メイちゃんは?」


「……」


少しの沈黙。


「メイちゃん?」


「あ、はい……」


遅れてそう返しながら、

メイはマイの隣に腰を下ろす。


土間のほうから、

金目鯛の煮付けの、甘辛い匂いがふわりと流れてきた。


◇◇◇


食卓には、ご馳走が所狭しと並んでいた。

捌きたての刺身に、艶のある金目鯛の煮付け。

煮物や野菜のおかず、あおさの入った金目のあら汁まで揃っている。


お酒も振る舞われ、食卓はすっかり賑やかだ。

“三人姉妹“のおしゃべりも、相変わらず止まらない。


「ほら珠ちゃん、それ醤油かけすぎだに」

菊江おばちゃんが言う。


「え〜? このくらいが美味しいんさ」


「また始まったずら」と、

呆れる律子おばちゃん。


「りっちゃんが一番うるさいくせに!」


同時にしゃべり出す三人に、

おばあちゃんがひと言。


「相変わらず、やかましいずら」


そのやり取りに、マイがふふっと笑った。

箸を伸ばして、金目鯛の煮付けをひと口。


「キンメの煮付け、美味しい!」


「それ、あたいだに」


珠代おばちゃんが、胸を張った。


「はぁ? あんた、うそこいちゃいけにゃあよ」

「刺身に醤油ばかつける衆にゃあ、この味は出せにゃあよ」


すかさず菊江おばちゃんと律子おばちゃんが、ツッコミを入れる。


「バレちまった」

珠代おばちゃんが、ギャハハと大声で笑った。


その騒ぎを肴に、

おじいちゃんと郡介おじさんは、顔を赤くして酒を飲んでいる。

シンペイおじさんは、少し離れたところでウーロン茶をすすりながら、

相変わらずニコニコと笑っていた。


「ねえ、珠代おばちゃんは、何作ったの?」

マイが聞く。


「なんも作ってないさー」

菊江おばちゃんが即答する。


「ただの障害物。横で笑ってるだけだに」

律子おばちゃんが追い打ちをかける。


「ギャハハ〜!」


また笑い声が弾けた。


メイも、場の空気に流されるように、口元を緩めた。

けれど、その笑い声は、どこか遠くで聞こえているみたいだった。


あら汁から立ちのぼる湯気を、

メイはぼんやりと見つめていた。


その様子を、

おばあちゃんが、そっと視線の端に留める。

何も言わず、ただ見守るように。


ーーー


しばらくして、

食卓の騒ぎも、ひと息ついた。


皿が空になり、

誰かが湯呑みに手を伸ばす。


そんな、何気ない間のあとで。


「あ、そうだ。これ見て」


マイが箸を置き、スマホを手に取った。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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