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第155話 ことのはの森


2月7日、土曜日。

バレンタインフェアのスタートの日。


開店前のカフェ・ラフォーレ リーヴルス。

バレンタインフェア企画「ことのはの森」の掲示ボードには、色や形の違う葉っぱ型のポストカードが、すでにいくつも飾られていた。


カフェの横、本棚エリアから展示エリアにつながる通路のボードの前では、ちょっとした騒ぎになっていた。


アルバイトの女の子たちが、掲示ボードを囲んで盛り上がっている。


「これ、陽菜ちゃんのだよね?」

「“ステキな彼氏ができますように”って、かわいい!」

「えっ、こっちは……“ケイくんLOVE! M.S”!?」

「ちょ、ミホちゃん、イニシャルで隠せてないから!」


朝の静かな店内に、にぎやかな笑い声が弾む。


「おはよー!」


そこへ、詩音と沙織が声をそろえてやって来た。


「おはようございます!」


アルバイトの虹香、くるみ、亜里沙が元気よく返す。


「どれどれ、もう貼り出してるんだ?」

沙織がボードをのぞき込みながら言った。


「今日からスタートですもんね」

少し遅れて、メイも合流する。


「メイちゃん、おはよう! 一緒に見よー!」


「もうこんなに集まってるんですね」

メイは並んだ絵葉っぱを見渡した。


葉っぱの形も色も、大きさも少しずつ違う。

文字も、丸かったり、丁寧だったり、勢いがあったり。

それぞれの“想い”が、そのまま貼り付けられているみたいだった。


「これ、かわいいじゃん!」

詩音が一枚を指さす。


『旅行にいっぱい行けますように ありさ』


「そんなぁ……」

亜里沙が照れたように声を上げる。


「これ、沙織さんのですよね?」

くるみが別の一枚を指した。


『朝起きたら、体重が5キロ減ってますように S.T』


「……枚数少ないと、すぐバレるよね」

沙織が苦笑いする。


「うわ、これは切実」

「願い事、リアルすぎ!」


わいわいと声が重なる中、

詩音がふと、別の一枚に目を留めた。


「これ、メイちゃんのだよね?」


『「好き」を、気兼ねなく話せる空気が広がりますように

平瀬メイ』


「フルネームなんだ」

「メイちゃんらしいね」


沙織と詩音が、そろってうなずく。


「……なんか、いいですね」

誰かがぽつりと言った。


「そうかな」

メイは少し照れたように、視線を外す。


その場に、ほんの一瞬、やわらかな沈黙が落ちた。


「詩音の、これか」


『美味しいもの、いっぱい食べられますように しおん』


「なんだこれ?」

沙織が言った瞬間、


「え?料理名、書かないとダメ?」


詩音がきょとんと首をかしげる。


「そこじゃないって!」

沙織の即ツッコミに、


一斉に、笑いが起きた。



「これは……?」


メイが見つけた一枚の絵葉っぱを指さした。


『宇宙の普遍的原理により、混沌が秩序へ変わりますように

 オノデラ』


「……ユキのだな」


そう言った瞬間、


「それ、熱力学第二法則」


背後から、淡々とした声がした。


「わっ!! ユキ、いたのか」


「エントロピーは増大する……必然」


相変わらず感情の起伏を感じさせない声に、

詩音が首をかしげる。


「ユキちゃん……意味わかんないけど、すごい」


その一言に、周囲からくすくすと笑いが漏れた。


笑い声の向こうで、

絵葉っぱの貼られた掲示ボードには、まだ余白が目立っている。


「まだ十二枚だから、ちょっとさびしいな」

沙織がボードを見上げて言った。


「ボードいっぱいにしていこうよ!」

詩音が勢いよく声を上げる。


「お客さんに、どんどん声かけていこう」

メイも続く。


「だな」

沙織がうなずいた。


そのとき、奥から声が飛んでくる。


「そろそろミーティング、はじめるわよ」


敦子の一声に、


「おはようございまーす!」


と声をそろえ、

みんなはカフェエリアへと移動していった。


ーーー


開店と同時に、カフェには次々とお客さんが入ってきた。

SNSでの事前告知もあってか、普段の土曜日よりも明らかに人の流れが早い。

扉が開くたび、冬の冷たい空気と一緒に、期待を含んだ声が流れ込んでくる。


午前中のうちから、店内はすっかりにぎやかだった。

限定メニューのバレンタインプレートはテーブルを彩り、甘い香りがカフェの空気をやわらかく包んでいく。


絵葉っぱのコーナーでも、立ち止まって眺める人の姿が絶えなかった。

席に着き、ペンを手にして、しばらく考え込む人。

書き終えたカードを、帰り際にそっと預けていく人。


集められた葉っぱは、スタッフの手で一枚ずつ掲示ボードに貼られていく。

そのたびに、誰かの想いが、静かに店の風景に加わっていった。



その日の夜には、一枚目の掲示ボードが、色とりどりの葉っぱで埋め尽くされていた。

誰かの願いが、またひとつ。

そんな小さな積み重ねが、店のあちこちに残っているようだった。


◇◇◇


二日目の日曜日。

午後から、展示エリアではアマチュアカメラマンの西原柚季による

「スマホで撮る!エモ写真教室」が開催されていた。


三十脚並べた椅子は、開始前にはすでに埋まり、

後方には立ち見の人の姿も見える。


「では、カメラマンの西原柚季さん、お願いしまーす!」


淳子の軽快な司会に迎えられ、

柚季は軽く会釈をして前に立った。


「今日は、スマホで写真を撮るときの、

ちょっとしたポイントをいくつか紹介しますね」


落ち着いた声でそう前置きしてから、柚季は続ける。


「まず気をつけたいのが、

構図を考える前に、立ち位置を変えてみることです。

ちょっと、やってみますね……」


淡々とした口調ながら、手元のスマホを使った説明は分かりやすく、

会場のあちこちから感心したような声が漏れる。


打ち合わせ通りにプログラムが進む中、

メイは文学館のスタッフの助けを借りながら、

音響やプロジェクターをタイミングよく調整していった。


柚季の合図に合わせて、

参加者たちはそれぞれのスマホを手に、試しに撮ってみたり、

隣の人と画面を見せ合ったりしている。


楽しそうなざわめきが、展示エリアいっぱいに広がっていた。


そんな光景を、メイは少し離れた場所から見守りながら、

必要なタイミングで小さく合図を送り続ける。

胸の奥が、ふっと温かくなるのを感じていた。


「西原柚季さん、ありがとうございました〜!

これで“スマホで撮る!エモ写真教室”は終了になりまーす」


淳子の声に拍手が重なり、

満足そうな表情のお客さんたちが、展示エリアをあとにしていく。


「楽しかったね」

「早く、撮りに行きたくなった!」


そんな声を聞きながら見送ったあと、

メイは小さく拳を握った。


「……よしっ」


誰にも気づかれないほどの、小さなガッツポーズだった。


ーーー


「お疲れさまでした〜!」


控え室に戻ってきたメイは、思わず足を止めた。

テーブルに突っ伏している淳子と、その様子を苦笑いで見守る敦子の姿が目に入ったからだ。


「淳子さん……どうかしました?」


声をかけると、敦子が肩をすくめる。


「淳子ちゃんね。噛みすぎたって、落ち込んでるのよ〜」


「もっと上手く回せたのに……」


テーブルに伏したまま、淳子がぼそりとつぶやく。


「いえ、すごく良かったです」


メイは、はっきりとした声で言った。


「お客さん、皆さんとても楽しそうでしたし。雰囲気も、すごくよかったです」


しばらくして、淳子が小さく息を吐いた。


「……次は、もっと上手くやるわ」


その言葉に、敦子がメイを見て、くすっと笑う。


「また司会、やりたそうね」


メイも思わず、ふっと笑った。


◇◇◇


一週間にわたって続いた、ラフォーレと文学館、葛城書店共催のバレンタインフェア。


日を追うごとに、「ことのはの森」の絵葉っぱは少しずつ増えていき、

気づけば掲示ボードは五枚分にまで広がっていた。

色も形も、書かれた言葉も、それぞれ違っていて、

通り掛かる人が足を止めては、静かに目を留めていく。


重なり合った葉っぱは、やがて一枚の壁のようになり、

その前に立つと、まるで森の小径に足を踏み入れたような錯覚を覚えた。

言葉の葉が揺れ、誰かの想いが、そっと行き交っている――

そんな空気が、そこには流れていた。


来店客数は、レポコンの予想を大きく上回った。


笑顔で写真を撮る人。

誰かの言葉を指差して、くすっと笑う人。

思い思いに、その時間を楽しむ姿。


こうして、

バレンタインフェアは、あたたかな余韻を残したまま、

好評のうちに幕を下ろした。


◇◇◇


ラフォーレの帰り道。


「大成功じゃない?」


詩音が胸を張って言う。


「そうだね。掲示ボードも、あんなにいっぱいになるなんて」


「明日は神社でお焚き上げだよね」


「深里神社でしょ? 初詣で行った……」


「うん、そうそう!

みんなの願い事、叶うといいなあ」


夜空を見上げて、詩音がそう言った、その直後。


「ねえ、メイちゃん! これから打ち上げ行こうよ!」


「え、もう?」


「だってお腹すいた!」


「あ、それは確かに。どこ行く?」


「美味しいものがいい!」


「あはは。詩音の願いごと、いきなり叶うパターンだ」


「いいじゃん! 願いは叶うためにあるんだから!」


そう言って、詩音はぐっと拳を握る。


「強引だなあ」


二人は顔を見合わせて笑い合い、

そのまま並んで、矢鞠駅の方へと歩き出した。


夜風は冷たかったけれど、

その足取りは、どこか軽やかだった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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