3 魔神との約束
「エ、エルネスティーネ様!?」
ノアベルトに大きな声で名前を呼ばれると、エルネスティーネは、嬉しそうな顔をして彼に笑いかけた。
王女の登場によって、重苦しかった室内が明らかに華やいだ。
彼女の微笑みを見た国王は、今日もまた溜息をつかずにいられなかった。
呆然と立ち尽くしているノアベルトへ目線を戻すと、国王は静かに告げた。
「もう一つの褒賞というのは、北の峰に棲む魔神の元へ、エルネスティーネを無事に送り届けるという任務だ――」
「エルネスティーネ様を、ま、魔神の元へ? そ、それは、いったい……」
「かねてより、魔神に約束していたのだ。王女が十六歳になったら嫁がせるということを――」
「魔神の元へ、と、と、嫁がせる!?」
さらに驚き、王女を見つめたまま押し黙ってしまったノアベルトへ、国王は十二年前の不思議な出来事についてつまびらかに語った。
「そなたも覚えておろう? 十二年前、王国は、干魃と流行病によって未曾有の危機に瀕していた。干魃を止めるために雨を降らし、流行病の特効薬となる薬草を王宮の薬草園に生やしてくれたのが、北の峰の魔神なのだ」
「魔神が、厄災から王国を守ってくれたのですか? 魔神は、本当にいるのですか?」
「そうだ。わずかな者しか知らないことだが、魔神の力によって王国は救われた。そして、わたしはその見返りとして、エルネスティーネが十六歳になったら、魔神に嫁がせることを約束した――」
エルネスティーネは、ノアベルトと目を合わせ小さくうなずいた。
国王は、溢れそうになった涙を素早く指でぬぐうと話を続けた。
「魔神に王女を嫁がせることを知れば、邪魔をする者や魔神を倒そうとする者が現れるかもしれない。魔神と敵対する神殿が、輿入れを妨害するかもしれない。それを恐れた魔神は、エルネスティーネに凄腕の護衛を一人付けて、二人だけで密かに北の峰へ向かわせるように言ってきた――」
「つ、つまり、このたびの『王国一の騎士選び大会』は、エルネスティーネ様の護衛役を選ぶためのものだった――ということですか?」
「そうだ。褒賞の目録の最後には、『加えて、もう一項目あり』と記されている。それこそが、今伝えている任務を指している。そなたは、目録を受け取った――。それが、どういう意味かわかるな?」
ノアベルトは、くずおれそうになる体を必死で支え、何とか立ち続けていた。
驚き、怒り、悲しみ――、様々な感情が胸の内に湧き上がり、息をするのさえ苦しく感じられた。しかし、魔神に嫁ぐことを決めたエルネスティーネの気持ちを考えれば、自分の惑いなどは取るに足らない小さなことだと気づいた。
「承知いたしました、陛下! このノアベルト・リューベック、王国一の騎士の名に恥じぬよう、何があろうとエルネスティーネ様をお守りし、無事に北の峰の魔神の元へお連れいたします。旅の途中で命を落とすようなことがあれば、死霊となってでも姫さまについて参ります!」
ノアベルトの瞳は、その決意を表すかのように、暗がりの中で力強く輝いていた。
エルネスティーネには、それが、この先に待ち受ける苦難の旅路を照らす希望の灯火のように思えた。その光によって、彼女の心にわだかまっていた最後の陰りも消え去った。
「ありがとう、ノアベルト! どうか、よろしく頼みます」
「もったいないお言葉! ご心配はいりません、わたくしにすべてお任せください!」
ノアベルトは、初めてエルネスティーネに出会ったときと同じように、右手の掌を胸に当て、彼女に向かって一礼した。あの時よりもずっと逞しくなった、彼の大きな手と広い胸から、王女は目を離すことができなかった――。
「さて、旅立つ前に、二人にはもう一つ大事な話をしておかねばならない。これは、エルネスティーネにも、まだ伝えていないことだ」
国王は、二人を呼び寄せると、上着の隠しから二本の薬瓶を取り出して、テーブルの上に置いた。
灯火を反射し、赤と青のガラス瓶が怪しく煌めいた。
「魔神からは、赤い壜の薬液は、エルネスティーネに、青い壜の薬液は、護衛の騎士に飲ませるように言われている」
「お父様、二つの薬液には、どのような効能があるのですか?」
「薬液を飲むと、エルネスティーネは、昼間は驢馬の姿となり夜だけ人の姿に戻る。逆に、護衛の騎士は、昼間は人の姿をしているが夜は狼に変身するそうだ。二人が共に人でいられるのは、日の出と日の入りの前後のわずかな時間だけのようだ」
魔薬によって、王女は、旅の間その姿を人目にさらさずにすむし、騎士は、昼と夜それぞれ別の形で王女の身を守ることができる。
同時に、二人が人として関わる時間を極力短くすることで、気持ちが近づきすぎることがないよう魔神は目論んだのだった。
「おそらく北の峰にたどり着けば、魔薬の薬効は消えるのだろう。我々は、魔神の言葉を信じ、言われるままにするしかないのだ。そなたらは、明日の朝には旅立たねばならない。日の入りの鐘が鳴る前に、それぞれ魔薬を飲み、薬効を確かめておいた方がよかろう」
エルネスティーネとノアベルトは、顔を見合わせ小さくうなずいた。
北の峰へ行くことを決めたからには、二人に選択の余地はなかった。
エルネスティーネは赤い壜を、ノアベルトは青い壜を手に取ると、壜の栓を外し、一気に薬液を飲み込んだ。
国王も宰相も、エルネスティーネの体に起こる変化を見届けようと、息を殺して彼女を見つめていた。
だが――。
小さく呻きながら喉を押さえ、金色の光の粒で体を包まれたのは、エルネスティーネではなく、ノアベルトの方だった――。
「へ、陛下!? こ、これはいったい!?」
「な、なにが起きた!? なぜ、こうなる!?」
国王と宰相は、慌てふためき悲痛な叫びを上げた。
その間にも変化は進み、先ほどまでノアベルトが立っていた場所に、彼の破れた衣服や靴が散らばり、光の粒は獣の姿を形作ろうとしていた。
エルネスティーネは、両手で口元を押さえ、ノアベルトの変化をじっと見守っていた。
光の粒の最後の煌めきが消えたとき、彼女の隣には、暗褐色の瞳と麦わら色のたてがみをもつ、一頭の驢馬が立っていた。
そっと手を伸ばし、たてがみを撫でてやると、驢馬は嬉しそうに尾を振った。
「ノアベルト――、わたくしのことがわかるのですね?」
「オヒーッ!」
驢馬は、エルネスティーネの問いかけに、驢馬らしく答えた――。




