4 二人と二頭
しばらくの後、間もなく日の入りの鐘が鳴ろうかという時刻になると、驢馬の体が金色の光の粒に包まれた。
宰相は、旅のために用意しておいたノアベルトの着替えを、急いで驢馬の足元へ運んでくると、エルネスティーネを衝立の陰に隠した。
金色の光の粒がすっかり消えたとき、驢馬がいた場所には、一糸まとわぬ姿のノアベルトが立っていた。
「ノアベルトよ! 早く服を着るのだ!」
「あっ、はっ、はい!」
宰相に急かされ、ノアベルトは慌てて衣服を身につけた。
最後に靴を履いていると、衝立の陰からエルネスティーネが出てきた。
「ノアベルト、驢馬になっているときは、どんな感じだったのですか? 人間であったときの記憶は、失ってしまうのかしら? で、でも、わたくしのことは、わかったのですよね?」
「姿が変わっても、わたしはわたしでした――。エルネスティーネ様のことも覚えていましたし、おっしゃったこともわかりました。まるで、驢馬の体の中に、自分の心が閉じ込められているように感じました」
「そ、そう、なのですね――」
エルネスティーネが不安そうに顔を曇らせたとき、日の入りを知らせる鐘が鳴りだした。すると、彼女の体は、ノアベルトと同じように金色の光の粒に包まれ始めた。
身につけていた衣服を足元に落としながら、エルネスティーネは、金色の光の粒の塊となりゆっくり形を変えていく。
ノアベルトが、彼女の脱ぎ捨てた服を驚いた顔で見つめていると、宰相がバタバタと駆け寄り、拾い集めて衝立の陰に放り込んだ。
彼は最後に、ノアベルトに向かって、「見るでない!」と叫んだ。
金色の光の粒は、四つ足の生き物の姿を形作ろうとしていた。
先ほどの驢馬より体は小ぶりだが、巨大な尾がしなやかに風を切った。
暗い灰色の毛で覆われた大きな狼は、金色の光の粒を払おうとするように身震いした。
しかし、毛先についた黄金の輝きが、失われることはなかった。
それは、まさにエルネスティーネの髪の煌めきであり、狼の両眼はその奥に、王女の瞳によく似た露草色の光を宿していた。
「エ、エルネスティーネ様――、ほ、本当に、エルネスティーネ様なのですか?」
自分が変身したばかりだというのに、ノアベルトは、不思議そうな顔で狼を見ていた。
狼は、一回伸びをした後、ゆっくりと彼に近付き、その手に鼻先を押し付けた。その仕草は、獰猛そうな見た目には不似合いな奥ゆかしさと思慮深さに溢れていた。
ノアベルトは、狼の鼻面から額を愛おしむようにそっと撫でた。
それを見た宰相は、「ウォッホン!」と大きな咳払いをした。
「宰相よ、わ、わたしは、魔神に騙されたのだろうか? それとも、十年も前のことゆえ、わたしが記憶違いをしていたということだろうか?」
「陛下、どちらと思うかと尋ねられれば、わたくしなら、後者でありましょうと答えます。魔神が、嘘をついたとは思えません。ただ、どちらにしても、もうやり直すことはできませんから、ノアベルトもエルネスティーネ様も、このまま旅立つしかありません」
テーブルの上に置かれた二つのガラス瓶には、薬液は一滴も残っていなかった。
不安がないわけではなかったが、身を寄せ合う一人と一頭は、すでに堅い絆で結ばれているように宰相の目には映っている。
年齢の割に無垢で一途なところがあるノアベルトは、誠実に務めを果たそうとするだろう。王女でありながら、この日に備えて武術や学問はもちろん、薬師としての知識や処世術までに身につけたエルネスティーネは、彼と上手く支え合いながら自分の使命をまっとうすることだろう。
「そうだな――。賽は投げられたのだ――。明朝、日の出を知らせる鐘が鳴り、再び変身したら、二人は北の峰へ向かって出発するのだ。旅の支度は、すでに調えてある。今宵は、用意したそれぞれの部屋でゆっくり休み、旅立ちに備えるが良い」
国王は、疲れを滲ませた顔でそう言うと、あとのことは宰相に任せ、自分は部屋の外へ出て侍従と共に自室へと去って行った。
宰相は、国王を見送ったあと、隣の続き部屋へノアベルトを案内した。
そこには、寝心地が良さそうな寝台と、夕食が置かれたテーブルがあった。
「まずは食事を取り、しっかり眠るのだぞ。明日の朝、夜明け前にわたしがそなたを起こしに来る。驢馬に王宮内を歩かせるわけにはいかないからな! 旅の荷物やそなたの剣などを用意した納屋へ連れて行くから、そこで日の出の鐘の音を待つのだ」
「承知いたしました――。あの、宰相閣下――」
「何だ?」
「これは、夢ではありませんよね? 昨日の『王国一の騎士選び大会』から、ずっと夢を見ているような気分だったのです。明日の朝、目を覚ましたら、わたしは領地の草原で空を見上げてひっくり返っている――なんてことには――」
宰相は、いかにも愛おしそうにノアベルトを見てから、明るい声で笑った。
「ハハハハッ、そうはならないな! 残念ながら、いや、幸運なことに、これは夢ではない、本当に起こっていることだ。明日の朝、そなたは驢馬となり、エルネスティーネ様と王宮を旅立つ。思い出深い旅になると良いな――。この旅が、姫さまにとって、生涯で一番楽しい時間だったと思ってくださることをわたしは願っている――」
宰相は、ノアベルトに食事を勧め、狼となったエルネスティーヌがいる部屋へ戻った。狼は床に伏せ、静かに眠っているようだった。
狼の眠りを妨げないように、衝立の横にある木箱の蓋をそっと開け、エルネスティーネのために用意した旅装束が見えるようにした。
そして、慎重に扉を開け閉めし、王宮内にある自分の執務室へと去って行った――。
翌朝――。
様々な荷物を背負った驢馬を連れ、フードがついた外套をまとった人物が、王宮の裏門をひっそりと出て行った。
宰相が付き添っていたので、門番たちは、宰相直属の密偵が王領の内情を調べるために出発したのだと考えた。それは、ときおり見かける光景だった。
秋晴れの澄み渡った空の下、宰相は、旅立つ一人と一頭を、彼らが豆粒ほどの大きさになるまで名残惜しそうに見送っていた――。




