2 褒賞授与式
自分のために開かれた祝いの宴だったが、酒を飲まないノアベルトは、いつしか人々の輪から離れ、一人で静かに果実水を飲んでいた。
頭に載せたままにしていた月桂樹の冠に手を触れると、それを授けてくれたエルネスティーネの姿が目に浮かんだ。
(エルネスティーネ様は、本当にお綺麗になられたなあ! 失礼とは思ったが、じっと見つめてしまった……。お目にかかったのは、もう十年も前のことだ。あの頃、俺はまだ十一歳で、騎士見習いになったばかりだったっけ――)
地方の小さな領地を預かる男爵家に生まれたノアベルトは、長男ではあったが、父の再婚を機に、思うところあってわずか十歳で家を出た。
遠い親戚であるドレムラー伯爵の推薦状を手に、王宮騎士団の入団試験を受け、騎士見習いとして採用された。
訓練の合間に、宿舎の掃除や厨房の手伝いもする見習い生活で、彼が初めて命じられた騎士らしい任務が、エルネスティーネ王女を馬場へ案内するという役目だった。
担当の女性騎士が急な発熱で休んだため、「子どもだから、男でも大丈夫だろう」と副団長が言い、彼にお鉢が回ってきたのだった。
何が大丈夫なのかは、よくわからなかったが、彼はきちんと務めを果たした。
(あの時も、愛らしい方だと思ったが、蕾が花開くように美しくご立派になられた。どなたかの元へ嫁がれる日も、近いのかもしれないな――)
エルネスティーネの花嫁姿を思い浮かべ、ノアベルトがうっとりしていると、突然、誰かが後ろから肩を叩いた。
「おいおい、ノア! 今夜の主役が、こんなところに隠れていてどうする!? まだまだ宴は始まったばかりだぞ!」
振り返れば、すでにすっかりできあがった様子のアンセルムが、ジョッキを片手に立っている。
「俺はもう、十分に祝ってもらったよ。あとは、みんなが自由に楽しんでくれればいい。酒が飲めない俺は、それを遠くからながめているだけで満足なんだ」
「はんっ! かっこつけやがって! そう言って、おまえは故郷も捨ててきたんだろうな? 何もかも弟たちに譲ってさ――」
真顔になったアンセルムが、独り言のようにつぶやいた。
歳は五つも上だが、ほぼ同じ時期に入団したアンセルムは、良き兄貴分であり、気がおけない友でもあった。
ノアベルトが、辛い見習い生活を耐え抜けたのは、彼がそばにいたからだ。
「なあ、ノア。『王国一の騎士』に選ばれたのだし、一度、故郷へ帰ってみたらどうだ? 明日の授与式では、特別休暇とそれなりの額の褒賞金がいただけるはずだぞ。胸を張って、堂々と領地へ凱旋するといい!」
王領騎士団に所属するノアベルトは、各地方に点在する王領を見回ったり、国境の砦に駐留したりして、一年の三分の二以上は王都を離れて暮らしている。
騎士となって十年、多忙を理由に、故郷の男爵領へは一度も戻ったことがなかった。
「もうみんな、俺のことなんて忘れているさ――。年に一度わずかな仕送りをして、母上からその礼状が届くというだけの繋がりだからな」
母からの礼状――。
家族全員の無事と領地の安寧を知らせ、形ばかりのねぎらいの言葉を並べただけの毎度変わらぬ内容の書状――。おそらく家令に書かせ、彼女は署名だけをしているのだ。
そんなやりとりであっても、仕送りをやめれば終わってしまう気がして、ノアベルトはずっと仕送りを続けている。
「だったら、なおさらこういう機会を逃すな。ご両親や弟たちも、おまえの活躍を知れば、きっと話を聞きたがるはずだ。故郷へ行って、息子や兄としての役割をきちんと果たしてこい!」
アンセルムは、来たときと同じようにノアベルトの肩を叩くと、片目をつむって賑わいの中へ戻っていった。ノアベルトは、果実水のジョッキを掲げて彼を見送った。
友の気づかいはありがたかったが、彼にはまだ故郷へ足を向ける勇気がなかった。
ただ、弟たちの成長した姿を見てみたかったし、故郷の風も懐かしかった。
(確かに、良い機会なのかもしれないな? とりあえず、『王国一の騎士』に選ばれたことぐらいは、手紙で知らせておくか――)
ノアベルトは、見習い騎士らしき少年をつかまえて、空になったジョッキを渡すと、少し早足で騎士団の宿舎へ向かって歩き出した。
*
その翌日――。
国王は、侍従長に付き添われ「英傑の間」へと向かう。
上着の隠しには、この日まで大切に預かり続けた「あれ」が入れてある。
「褒賞授与式」は重要な儀式だが、彼にとっては、その後に控える「別の儀式」の方が気がかりだった。
礼装のマントの中に、人には言えない緊張感を隠しながら、国王は長い廊下を歩き続けた。
「英傑の間」の扉が大きく開かれ国王が入場すると、それを待っていたかのように、王宮の鐘楼の鐘が昼を告げ、「褒賞授与式」が始まった。
玉座の前にひざまずいたノアベルトに、国王は、報償の目録を読み上げた。
「オーヴェレイム王国一の騎士となったノアベルト・リューベックには、これより半年間の休暇を与える。その間に、各国を旅して武術の技をさらに磨き、騎士として一層の研鑽を積むことを命ずる。帰還の後には、王領騎士団における副団長の地位と王子たちの武術指南役という新たなる職務を与える。なお、ノアベルト・リューベックには、路銀として大金貨五十枚を供することとする――」
「ははっ! なんたる栄誉――、あ、ありがたくお受けいたします!」
侍従長から手渡された目録を押し戴きながら、ノアベルトは国王に深く感謝した。
英傑の間に集い授与式を見守っていた人々から、大きな拍手が湧き起こる。
大広間での祝賀の茶会も、和やかな雰囲気の中ですすみ、ノアベルトは、王宮に関係する様々な人々と知り合うことができた。
国王や王妃に挨拶し、いずれ武術を指南する王子たちとも顔を合わせた。
地方の小さな領地を預かる男爵家の息子である彼にとっては、あまりにも晴れがましく夢のような時間だった。
唯一残念だったのは、エルネスティーネ王女の姿を見かけなかったことだ。
昨夜は思ったよりも夜風が冷たかったので、ノアベルトは、王女が体調を崩したのではないかと密かに案じた。
いよいよ散会となり、出席者たちから旅の無事を祈られながら、ノアベルトが玄関へ向かおうとしたところ、侍従長が彼を呼び止めた。
「ノアベルト様、報償について、陛下よりもう一つお伝えしたいことがあるそうです。わたくしと一緒に、陛下の執務室までお越しください」
「あい、わかった」
侍従長は、ノアベルトを引き連れて、王宮の奥へと続く廊下を歩いて行く。
英傑の間や大広間がある公的な区画から、客間や応接室などが並ぶ区画を抜け、階段を上り、何度も角を曲がってたどり着いたのは、王族たちが居住する区画だった。
侍従長は「執務室」と言っていたが、いわゆる政務のための部屋ではなく、もっと私的な場所へ案内されようとしているようだった。
「こちらでございます――」
そう言って侍従長が立ち止まったのは、一枚板でできた重厚な扉の前だった。
形ばかりのノックをした後、侍従長はゆっくりと扉を開いた。
真っ暗な部屋の中には、一つだけ灯りが点っていた。
灯りが置かれたテーブルの向こうには、二人の人物が座っている。
先ほどの茶会で、ノアベルトが顔を合わせたばかりの国王と宰相だった。
侍従長は、ノアベルトを案内すると、自分は廊下に立ったまま扉を閉めた。
状況を理解し、慌ててひざまずこうとしたノアベルトを宰相が止めた。
「そのままで良い、ノアベルト――。陛下、時間もございません。すぐに、お話を――」
国王は、「うむ」と言ってうなずくと、ノアベルトと目線を合わせた。
「ノアベルト、昨日のそなたの闘い振りは見事であった。幾度も言うが、そなたは、間違いなく王国一の騎士である。実は、大会の目的は王国一の騎士を決めることだけではなかったのだ――。そなたには、もう一つ報償、いや、任務と言うべきか――を与えねばならない――」
国王から目線を向けられた宰相は、静かに立ち上がると、部屋の隅に置かれていた衝立の前に立った。そして、衝立へ向かって声をかけた。
衣擦れの音がして、衝立の陰から姿を現したのは――。




