1 王国一の騎士
「やめいっ! そこまでだ! 勝者は、ノアベルト・リューベック!」
審判の力強い声が、満員の闘技場に響き渡る。
息をのんで勝負の行方を見守っていた人々は、一斉に立ち上がって歓声を上げた。
その声に応えるように、ノアベルトは、右手に持った木剣を高々と空へ突き上げた。
そして、すぐさま対戦相手のアンセルムに左手を差し伸べ、木剣を打ち払われ尻餅をついていた彼を立ち上がらせると、互いの健闘を讃えて抱き合った。
人々の興奮は頂点に達し、二人の勇者の周りには、たくさんの花が投げ込まれる。
「ノアベルト・リューベック、陛下の御前へ!」
「ははっ!」
駆け寄ってきた小姓に木剣と兜を預け、ノアベルトは闘技場の階段をゆっくりと上っていく。
そして、貴賓席の前までたどり着くと、国王の足元に顔を伏せてひざまずいた。
「ノアベルト・リューベック! そなたを、オーヴェレイム王国一の騎士と認める!」
「身に余るお言葉、光栄の極みであります。このノアベルト、謹んで王国と陛下にこの身を捧げることを誓います!」
国王は満足そうに微笑むと、隣に座っている王女の方を見た。
「エルネスティーネよ、ノアベルトへ勝者の証を!」
「はい、お父様」
金色の髪を結い上げ、瞳と同じ露草色のドレスを身にまとった王女エルネスティーネは、手にしていた月桂樹の冠をノアベルトの頭にそっと載せた。
一瞬だけ見つめ合った二人の瞳に、互いの姿が強く焼き付けられる。
心の内を隠すように、王女は、ひざまずく騎士へ威厳に満ちた声で命じた。
「お立ちなさい、ノアベルト。もう一度皆に、勝者の晴れ姿を見せておあげなさい!」
「おおせの通りに!」
王女の声に導かれるように立ち上がったノアベルトは、観衆の方を向き姿勢を正すと、感謝の思いを込めて深々と一礼した。
その謙虚さは、さらに人々の心を打ち、再び称賛の声が闘技場に湧き起こった。
エルネスティーネは、この場にいる誰よりも胸を熱くしながら、ノアベルトの後ろ姿をみじろぎもせず見つめていた――。
*
「ノアベルトは、先日の馬術や弓術の試合でも、優秀な成績を収めております。あの者は、間違いなく我が国第一の騎士と申せましょう」
「そのようだな――。だが、ノアベルトは、まだ二十一になったばかりであろう? 『王国一の騎士』の真の役割を思えば、もっと年長で何ごとにも動じなさそうな人物を選びたかったなあ――」
夜半が近づいても、王宮の中庭で続く祝勝の宴をバルコニーから眺めながら、国王と宰相は、同時に小さな溜息をついた。
事前に優勝候補として名前が挙がっていたのは、ノアベルトより年嵩の騎士だった。
彼は国王のおめがねにも適っていたが、ノアベルトに敗れ早々に退場した。
巷では、この勝負が密かに賭けの対象にもなっていた。ノアベルトに賭けた者は、おそらく二ヶ月ぐらい遊んで暮らせるだけの金を手にしたはずだ。
「すんだことはすんだこと! 後悔先に立たず! そのようなことをおっしゃるなら、『王国一の騎士選び大会』に、年齢制限を設けるべきだったのでございますよ、陛下!」
「ああ、今さらどうにもならないことはよくわかっておる。誠実な王として、結果は素直に受け入れるさ。取り決め通り、ノアベルトには『褒賞』を与えよう。ただなあ――」
国王は、闘技場で目にしたエルネスティーネの笑顔が忘れられなかった――。
幼い頃に抗えぬ運命を背負わされた王女は、嘆きも怒りもせず、その重みに耐えながら生きてきた。
何も泣き言を言わないのをいいことに、国王は、彼女が自分の宿命をどう思っているのかは、あえて尋ねないようにしてきた。
(エルネスティーネは、ノアベルトの姿を食い入るように見つめ、あの者が勝ち進むたびに安堵した様子を見せていたな。そして、月桂樹の冠を授ける際は、この十年間一度も見たことがないような、幸せそうな笑みを浮かべていた――。まさかとは思うが、もしや姫は――)
国王は、小さく首を振りながらバルコニーを離れた。
後に続いた宰相が、バルコニーの扉を静かに閉める。
誰かがリュートを奏で始め、中庭の宴は、ますます賑やかに盛り上がっていく――。
*
「エルネスティーネ様、そろそろ寝台へお戻りください。夜風が、だいぶ冷えてまいりましたわ。あまり長く当たられては、お体に障ります」
遠くから聞こえてくる楽の音や歌声に、うっとりと耳を傾けていたエルネスティーネは、「クシュン!」と小さなくしゃみをした。
侍女のイルザは、慌てて彼女の肩に毛織りのストールを掛けた。
東の塔にあるこの部屋からは、中庭の様子は見えない。
だが、漏れ聞こえてくる音から、宴の賑わいの中心で、にこやかに杯を酌み交わしているノアベルトの姿を思い浮かべるだけで、エルネスティーネは幸せだった。
(見上げるほどに背が高くなって、当時の面影はすっかり失われたように思えたけど、屈託のない笑顔は変わらなかったわ――。あの人は、驚くほどあの頃のままだった――)
十年前、ノアベルトは、見習い騎士としてエルネスティーネの前に現れた。
初めて乗馬の稽古をする彼女を、馬場へ案内するために――。
たったそれだけの出会いだったが、幼い王女の強ばった心は、まるで春風が吹き込んできたかのように温かなもので満たされた。
ノアベルト・リューベック――。
その名前が、その後の彼女の「希望」になった。
だが悲しいことに、エルネスティーネが彼と顔を合わせることは二度となかった。
少しだけ姿を見ることも、遠くで声を聞くことさえも――。
今日、闘技場の貴賓席に座るまでは――。
(ノアベルト・リューベック! あなたにもう一度会えたのだもの、これでもう何も思い残すことはないわ! わたくしは、王国のため民のため、勇気を持って北の峰へ向かうわ!)
エルネスティーネは、窓を閉めてイルザに微笑みかけると、胸の思いを抱きしめるように、ストールにくるまったままそっと寝台に身を横たえた。




