第九話:敗者のプライドと、夜の価値観大逆転
激しいゲリラ豪雨がタープを叩く中、木村たちは差し出された温かいスープを啜り、ただただ震えていた。
彼らのプライドは、火が消えたコンロと同じように完全に冷え切っている。
「……なぁ、佐藤。悪かったよ」
木村がカップを見つめたまま、消え入りそうな声で口を開いた。
「俺ら、お前が美羽や加藤を連れ回してるのが羨ましくて、嫉妬してただけなんだ。火起こしなんて誰でもできるって虚勢張って……。でも、お前らはこの嵐の中でも平然としてる。次元が違ったわ。……もう美羽の前でイキがったりしねえよ」
木村の取り巻きたちも、力なくうなずく。
彼らは完全に心を折られ、自分の非を認めていた。ラノベの展開なら、ここで主人公がさらに説教をするか、あるいは彼らがただの引き立て役として退場するところだろう。
だが、俺はフッと息を漏らし、立ち上がった。
「木村。勝負はもうついた。だから、これ以上君たちを責めるつもりはない。……ただ、一つだけ言わせてくれ」
「え……?」
「君たちの持ってきたあの最高級のラムチョップ(羊肉)。雨水と泥にまみれたからって、あのままゴミ箱に捨てるつもりか?」
木村たちが絶望のあまり放置していたクーラーボックスの中には、彼らが今日のために奮発したであろう、見事なラム肉が残されていた。パックの隙間から少し雨水が入っているが、肉自体はまだ死んでいない。
「え、でも、もう着火剤の煙も浴びちゃったし、濡れてベタベタだし……」
「アウトドアを舐めるな、と言ったのは『自然』に対してだけじゃない。『食材』に対してもだ」
俺はそう言うと、マイナイフを取り出した。
「美羽、遥。ちょっと手伝え。この『死にかけた肉』を、今から最高の一皿に蘇生させる」
「はいっ、師匠!」美羽が嬉しそうに返事をする。
「……ふふ、佐藤のそういうお人好しなところ、嫌いじゃない」遥も小さく微笑んだ。
俺はまず、美羽に指示してラム肉の表面を綺麗な飲料水で徹底的に洗い流させた。水分をペーパータオルで完璧に拭き取り、着火剤の臭いが移ってしまった表面の脂身を、遥がナイフで薄く、美羽の目の前でミリ単位で削ぎ落としていく。これぞプロのナイフワークだ。
そして、俺が熾した備長炭の、最も火力の高い「中心部」へ肉を投入する。
ラム肉は独特のクセがあるが、この超高温の炭火で表面をパチパチと一気に焼き固めることで、臭みを閉じ込め、旨味に変えることができる。
仕上げに、俺がいつも携帯しているアウトドアスパイス『ほりにし』と、すりおろしたニンニク、そして遥が持ってきたハーブをまぶす。
タープの中に、先ほどの薬品臭い煙とは180度違う、暴力的とも言えるほどの香ばしい肉の香りが立ち込めた。
「ほら、食え。冷めないうちに」
俺は焼き上がったラムチョップを、木村たちの前に差し出した。
木村は戸惑いながらも、骨を掴んで肉に噛み付いた。その瞬間、彼の目がこれ以上ないほど見開かれた。
「なっ……なんだこれ……っ!? 美味すぎる!!」
「え、マジで!? ……うわ、本当だ! 臭みが全然なくて、外はカリカリなのに中はめちゃくちゃジューシーだ!」
男子三人が、貪るようにラム肉に喰らいつく。自分たちが一度「ゴミ」だと諦めかけた食材が、佐藤の手によって、人生で一番美味い肉へと生まれ変わったのだ。
「佐藤くん、すごーい! 完全に死んでたお肉だったのに!」美羽が我がことのように胸を張る。
「……食材のポテンシャルを極限まで引き出す火入れ。やっぱり佐藤には敵わないな」遥も満足そうに頷いた。
木村は肉を骨まで綺麗にしゃぶり尽くすと、今度は涙を流しながら、俺に向かってガバッと勢いよく頭を下げた。
「佐藤……! 俺、お前のこと陰キャだのセコいだの言って、本当にバカだった! お前は陰キャなんかじゃない、本物の『山の王』だ!!」
「いや、キングは言い過ぎだろ」
「頼む、佐藤! 俺たちにも! 俺たちにもその『肉を蘇生させる技術』、一から教えてくれ!!」
「そうだ、教えてくれ! 師匠!!」
「ちょっと待ちなさいよあんたたち! 佐藤師匠の『第一の弟子』はウチなんだからね! あんたたちは第三、第四のパシリからスタートよ!」
「なんだと美羽! 先輩風吹かせやがって!」
さっきまで泥沼の敵対関係だった教室の人間たちが、一つの炭火と、一枚の肉をきっかけに、タープの中でバカ騒ぎを始めている。
雨はまだ激しく降っていたが、俺たちの囲む炭火の周りだけは、どこよりも熱く、そして騒がしい笑顔で満たされていた。
(第九話 終わり)




