第十七話:大人の買い出しと、冷徹な視線
数日間の泥臭い労働で得た給料袋をポケットに入れ、俺はいつものアウトドア専門店『ワイルド・ルーツ』で最高級のウバメガシ備長炭を二箱買い占めていた。
ずっしりとした炭の箱を抱え、店を出たところで、不意に声を掛けられた。
「あら、佐藤くん。本当にすぐ買いに来たのね」
振り返ると、そこにはトレンチコートをスタイリッシュに着こなした冴島玲さんが、愛車のSUVのドアに背を預けて立っていた。バイト先で見せる事務員としての顔とは違い、洗練された大人の女性のオーラが周囲の通行人を惹きつけている。
「冴島さん。どうしてここに」
「このお店、私もよく使うのよ。それに、君が今週ずっと頑張って稼いだお金を何に使うのか、少し興味があってね」
彼女は俺の抱える備長炭の箱を見て、ふっと妖艶に目を細めた。
「いい炭ね。……ねえ、これから時間ある? 私の車で、一般には出回らない極上の乾燥ナラ薪を扱ってる裏の薪炭林へ案内してあげる。君が私の山の案内を引き受けてくれるなら、その炭の分も含めて、今日の足代は私がおごるわ」
二十代の、しかも圧倒的な美貌を持つ大人の女性からの魅力的な提案。
さらに、一般のルートでは手に入らない極上の薪。ソロキャンパーとして、その誘いはあまりに魅力的だった。
「……分かりました。それなら」
「決まりね。じゃあ、助手席へ——」
「——佐藤。そんなところで何をしてるの」
玲さんが車のドアを開けようとした瞬間、背後から、大気そのものを凍りつかせるような、冷徹で鈴の音のように涼やかな声が響いた。
俺の身体がピクリと硬直する。
振り返ると、そこには黒のテクニカルジャケットを羽織り、マイバックパックを肩にかけた他校のソロキャン仲間——加藤遥が立っていた。
遥の切れ長の瞳は、俺と、そして俺の隣で余裕の笑みを浮かべる玲さんを、完全にロックオンしていた。その瞳の奥には、冬山の吹雪をも凌ぐ冷たい執念が渦巻いている。
「加藤……。お前も買い出し偏か」
「うん。消耗品のガスを買いに」
遥は俺に一歩近づき、玲さんを牽制するように俺との距離を詰めた。
「それより、佐藤。その人は誰? 最近、学校の美羽たちからの誘いも『用事がある』って全部断って、週末も一人で消えてたって聞いたけど……。最近、何をやっていたのか、説明してくれる?」
遥の言葉には、あからさまな「品定め」と、俺が自分の知らないところで別の女性と関わっていたことに対する、静かな、しかし苛烈な嫉妬が混ざっていた。美羽の騒がしいアプローチとは違い、遥の嫉妬は逃げ道を塞ぐようにじわじわと外堀を埋めてくる。
「ただの、バイト先の人だ。遠征資金を貯めるために少し働いていただけだ」
俺が淡々と答えると、玲さんがクスクスと楽しそうに笑いながら、一歩前に出た。
「あら、ただのバイト先の人、なんて寂しいこと言わないでよ佐藤くん。私は冴島玲。この数日間、彼の『無駄のない完璧な身体の使い方』を特等席でじっくり見せてもらっていた人間よ。今日はそのお礼に、彼を大人の秘密の場所へ連れて行くところ」
玲さんはわざと挑発するような言い方を選び、大人の余裕を見せつけるように遥を見下ろした。
「身体の使い方……、秘密の場所……っ」
遥の眉がピキリと跳ね上がる。
彼女の手が、無意識にポケットの中のマイナイフ(ブッシュクラフト用)に伸びそうになっているのを、俺は見逃さなかった。修羅場である。大自然の猛風雨を何度も切り抜けてきた俺だったが、目の前の「ガチ勢お姉さん」と「クーデレガチ勢女子高生」が放つ一触即発のプレッシャーには、冷や汗が流れるのを止められなかった。
「加藤、誤解するな。俺はただ、一般に流通していない薪の仕入れ先に案内してもらうだけだ」
「……仕入れ先」
遥は俺の言葉に反応し、少しだけナイフから手を離した。だが、その冷たい視線は玲さんから外さない。
「それなら、私の方が佐藤にふさわしい場所を知ってる。来週、山を一つ買い取った知り合いの猟師から、極上のブッシュクラフトエリアを自由に使える許可を貰ったところ。……佐藤、そっちの車に乗る必要はない。私と一緒に来なさい」
「あら、若いのに随分と強引ね? でも、大人のルートは一味違うわよ?」
夕暮れのアウトドアショップの前。
俺が手に入れた給料袋と備長炭を挟んで、二人のガチ勢女子による、俺の週末の「独占権」を賭けた静かな、しかし熾烈な戦いが幕を開けようとしていた。
(第十七話 終わり)




