第十三話:新たなる孤高の領域へ——無人島ブッシュクラフト
街の喧騒から逃れるように、俺は一人でバックパックを背負った。
雪山での一件を経て、俺の魂が求めていたのは、やはり他人の介入が一切ない「完全なる静寂」だ。誰の面倒を見ることもなく、ただ自然と一対一で対峙する、あのストイックな時間。
今回俺が目指したのは、定期船すら通わない完全な無人島——通称『烏ノ島』だ。
週末、俺は地元の年配の漁師に頭を下げ、船をチャーターしてその島へと渡った。
「ボウズ、本当に明日まで一人で大丈夫か? 携帯も繋がらんぞ」
「問題ありません。予定通り、明日の夕方に迎えをお願いします」
波しぶきを上げて去っていく漁船を見送りながら、俺は一人、誰もいない砂浜に立った。
聞こえるのは、寄せては返す波の音と、吹き抜ける潮風の鳴き声だけ。完璧な孤独。これこそが、俺の求めていた世界だ。
今回の旅のテーマは、最小限の装備で挑む「完全自給自足のブッシュクラフト(現地調達キャンプ)」。
冬の無人島は過酷だ。遮るもののない強烈な潮風が体温を奪い、真水の確保すら己の知恵だけが頼りになる。
俺は歩いて島全体の地形を確認し、最も風の影響を受けにくく、かつ岩肌を伝って雨水がわずかに湧き出る可能性のある「岩陰の窪地」をベースキャンプに割り出した。
バックパックを背負い直し、砂浜を歩く。
今回は重いテントは持ってきていない。持参したのは、頑丈な軽量タープ(3m×3m)が一枚だけだ。
ベースに到着した俺は、すぐさまブッシュクラフトナイフを抜き放った。
海岸に落ちている流木や、山側の頑丈な枝を拾い集め、シェルターの骨組みを組んでいく。ロープワークを駆使してタープを強固に固定し、地面には冷気を遮断するために、枯れ葉や乾いた海藻を厚く敷き詰めた。
「次は、水と食料だな」
潮の満ち引きの時間を計算し、ちょうど干潮になるタイミングで俺は磯場へ向かった。
ナイフの背を使って、岩にへばりついている大きなカサガイやムラサキイガイを慣れた手際で剥ぎ取っていく。さらに、岩の隙間から滴り落ちるわずかな雨水をクッカーに集め、携帯型の浄水器を通して安全な飲料水へと変えていく。
拠点に戻る頃には、瀬戸内の海に巨大な夕日が沈みかけていた。
あたりが急速に闇に包まれ、冷たい夜風が吹きすさぶ。
俺は拾い集めておいた流木を中央に組み、バックパックの奥から、俺の相棒である最高級の『ウバメガシの備長炭』を三本だけ取り出した。無人島に落ちている流木は塩分を含んでおり、爆ぜやすく火持ちが悪い。だからこそ、この火力が安定する備長炭を「芯」として使う。
手袋を外し、冷え切った指先でフェロセリウムロッド(火打ち石)を構える。
乾燥させた麻紐の火種に向けて、ナイフの背を激しく擦り下ろした。
バチィィッ!!
暗闇の無人島に、鮮烈な火花が散る。
一発で着火した火種に、伸縮式の火吹き棒でピンポイントに息を吹き込む。俺の肺活量に応えるように、火はまたたく間に大きくなり、備長炭を赤々と染め上げていった。
じわぁ……と、無人島の闇を拒絶するような、圧倒的な暖かさが俺を包み込む。
クッカーに浄水した水を入れ、現地調達した貝類を放り込んで炭火にかける。
味付けは、持参した一握りの岩塩だけだ。
しばらくすると、グツグツという音と共に、磯の濃厚な香りが立ち込めた。スープを一口すする。貝の旨味が身体の隅々にまで染み渡り、思わず吐き出した息が白く消えていった。
「……美味い」
誰の面倒を見ることもない。ただ、自分が選び抜いた道具と、己の技術だけで、自然から命を勝ち取る贅沢。
だが、パチパチと爆ぜる炭火を見つめながら、俺はまだ知らなかった。
この静寂を完全に切り裂くような、観測史上最大級の『冬の大嵐』が、すぐそこまで迫ってきていることを、この時の俺はまだ、全く知る由もなかった——。




