決闘③
お読みいただきありがとうございます
「なんとも無様だなぁ、ウェルズリー! 血筋だけの腰抜けめ! 偉大なご先祖様も草葉の陰でさぞ嘆かれているであろうな!」
練武場を覆う静寂の中、最初の声が轟いた。
声を発したのは観覧席の後ろに座る年配の騎士だった。
一切の容赦なき罵声。
ウェルズリーの無様な姿に憤ったのか。
それとも、ウェルズリー自身に対し普段から思うところがあったのか。
いずれにせよ、その声はすぐさま周囲の者たちへと伝播する。
「子供相手に手も足も出ないとは情けない! 騎士団の恥さらしが!!」
「臆病者め! 騎士であるならばせめて戦って死ね! 」
「所詮は貴族のボンボンだな! どうせ騎士団に入れたのもご立派な家名に頼ったのであろうよ!」
罵声と野次が次から次へと飛び交う。
観衆の騎士たちは口々にウェルズリーを罵り始めた。
止まることのない非難の嵐。
それらが容赦なくウェルズリーを責め立てる。
しかし、己を非難する観衆に対しアラン=ローヌ=ウェルズリーは言い返すことができなかった。
そんな気概など、もはや欠片も残されていない。
全身に走る激痛。
骨が軋み、筋肉が痙攣し、内臓が悲鳴を上げている。
そして、それ以上に彼の心は完全に折れていた。
貴族としての誇りは粉々に砕かれている。
いや、恥も外聞もなく言えば、だ。
ウェルズリーはソラが恐ろしかった。
あの自分の半分ほどしか生きていないだろう子供に対し、明確な恐怖心を抱いていた。
(なんだ、コイツは……? 一体……なんなんだ!?)
ウェルズリーはミリアリアを恐ろしいと思ったことはない。
幾度となく手合わせをし、勝ちを拾えたことこそないが、少なくともその背中は見えていたから。
彼女の力について理解できないことはなかった。
今は敵わずとも、時が経てばいずれ必ず越えられると、その確信を持つことができた。
だが、少年の強さについては何も解らなかった。
彼が行使した魔術の術理も、剣技も、何一つ理解できない。
膨大な鍛錬と実戦を経てようやく得られるだろう力。
どのような道を辿り、どのようにこの強さを身につけたのか、まるで見当がつかない。
それが、己を圧倒した力以上にウェルズリーは不気味で怖ろしかった。
足は震えて動かず、手はかろうじて木剣を握っているが力が入らない。
死神の鎌を首に突きつけられたような感覚だった。
少年がどんな表情を浮かべているのか、俯いたままのウェルズリーには分からない。
代わりにウェルズリーは祈るようにミリアリアに視線を向けた。
この決闘は相手の降参か、もしくはミリアリアの宣言によって終了する。
ゆえに、ウェルズリーは審判であるミリアリアに宣言を求めた。
もう自分の負けでよかった。
だが、自分から降参することはしたくなかった。
審判が止めたという形にすれば、最後まで闘おうとしていたのにと言い訳ができる。
ほんの一欠片でも面子は保たれる。
ミリアリアは過熱する罵声に不快げに眉を顰めていた。
馬鹿が。
何をそんなものに気を取られている。
いいから、お前はさっさと終了を宣言しろ。
勝敗など、誰の目にも明らかだろう。
一秒でも早く終わらせて、この恐怖から自分を解放してくれ。
だから早く。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く―――!!
「すっこんでろチンピラどもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
突如。
少年から発せられた怒号が練武場を揺らした。
おそらくこの場にいる騎士の数は100名を下らぬだろう。
それらすべてからの罵声に負けぬ大音声だった。
場内が水を打ったように静まり返る。
ミリアリアが目を丸くし、ウェルズリーも思わず顔を上げる。
少年の瞳は怒りによって見開かれ、観客席の騎士たちを烈火の眼光で睨みつけていた。
「チンピラどもが。部外者の貴様らにこの闘いに関してとやかく言う権利はない。これは我ら二人の闘い。我ら二人の名誉を懸けた『決闘』だ。激励はよかろう。叱咤も許そう。だが、侮辱することは断じて許さん。今この瞬間にコイツに何かを言っていいのは俺だけだ。闘っている俺だけの特権だ」
練武場に詰めかけた100を超える騎士たち。
壇上に立つ少年に、恐れた様子は見られなかった。
熱に侵された百戦錬磨の魔術士たちを前に、少年は一歩も引かない。
ただただ堂々と騎士たちを睨みつけ、 宣戦布告とも取れる言葉を発した。
「次、下らぬ発言でこの決闘に水を差してみろ。その首、斬り捨ててくれる」
危険な言葉だった。
激昂した騎士たちが一気に壇上に雪崩れ込んで来かねないほどの。
貴族に限らず、騎士は基本的に誇りを重視する。
正面から公然と侮辱されて黙っていられるような温厚な人種ではない。
しかし、
「…………ッッ」
観衆は誰も口を開かなかった。
否、開けないでいた。
10代にようやく差し掛かった子供に恐れおののき、幾人かが腰を抜かして席に座りこんだ。
――必要とあらば全員を相手取る。
そんな不退転の覚悟を確信させるほどに少年の覇気は凄まじく、誰一人として声を発することができなかった。
沈黙を了解と取ったソラはもはや用はないと観衆から視線を外す。
そして、じとり、と。
未だ壇上の外で膝をついているウェルズリーを睨みつけた。
「――それで? お前はいつまでそうして固まっているつもりだ、クソガキ」
ビクリッ、とウェルズリーの肩が揺れた。
立ち上がることさえできず、手足は震え顔は俯いたままだ。
怯えきった様子のウェルズリーを少年は冷たく見下ろす。
「馬鹿が。今の隙に打ち込んで来れば良かったものを。何もせずにヘタレたままとは。……それともまさかお前、この期に及んでエイベルさんが止めてくれると期待してるわけじゃあないだろうな?」
――ふざけるなよ、と。
怒りを籠めて、ソラはウェルズリーを睨む。
「勝ちを獲りに行く気概もなく、さりとて敗北を認める度胸もない。なけなしの誇りを保つために、己が見下した平民にさえ縋り寄る。そんな日和見の決着が許されると思うなよ。たとえ終了が宣言されようと、その前に俺はお前を殺すぞ」
一歩。
ソラが歩を進めた。
その一歩は少年の小さな体からは考えられないほどに大きかった。
ウェルズリーは慌てて後ずさる。
あまにりにも情けないその姿に、ソラはやれやれと頭を掻いた。
「……バナードの息子というだけで期待しすぎたか。連中といいお前といい、今の時代の騎士の格はこうまで低いのか」
失望の溜息が漏れる。
こんなのがあのバナードの血縁だとはとても信じられない。
最初からその振る舞いには呆れていたが、まさかここまで根性なしだとは思わなかった。
「なぁ。一つ訊くが、お前は何故そうまで平民を見下す? 決闘を挑んだのは確かに俺だが、その理由はさすがに理解しているだろう。平民蔑視がウェルズリー家の家訓というわけでもあるまい」
「……あ?」
問いの意図が解らずウェルズリーは呆ける。
しかし、意識せずともその答えは口をついて出た。
「……愚劣ゆえに。出自も、能力も、貴族に劣るがゆえに。平民は貴族の下に従い、大人しく支配されていればいい」
貴族は尊く、平民は卑しい。
それが貴族たちの意識の根底に広がる価値観。
そういう意味ではウェルズリーは多分に貴族的であると言えた。
それを、少年は鼻で嗤って切り捨てる。
「はっ。それがお前の理由か。心底くだらないな。テンプレすぎて驚きもない」
トントンと木剣で肩を叩き、ソラは言う。
出来の悪い生徒に教え諭す教師のように。
「魔力の色は個人によって千差万別だが大きく七つの属性に分類される。赤・黄・緑・青・紫・白・黒。魔術士の家系――とりわけ貴族は同属の家系同士で婚姻を結ぶことで純度を高め、血と魔力を次代へ繋いでいく。生まれついてのアドバンテージだ。平民が貴族に劣っている、というのもそういう意味では間違いじゃない」
しかし、と。
「極まれに、凡百の生まれの中から異才が芽吹くこともある。彼らの力は時として、連綿と続く血族の力さえ凌駕する」
例えばそれはアウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。
血の力に依らず、紅蓮の色彩を纏い生まれ、弱冠14歳で『煌』へと到達した『赤』の申し子。
人魔大戦の時代、カイラードが見てきた中でも随一の天才だった。
褒められた感情ではないのだろうが、彼女が周囲から目の敵にされるのも仕方のないことだったのだろう。
「だが、俺に言わせれば貴族にしろ平民にしろ、生まれ持った才能に胡坐をかくだけのヤツなんて戦場では脆いもんだよ。下手に才能があるせいで彼らは壁を乗り越えるという経験が浅く、打たれ弱い。強い剣と成るには幾度となく鍛たれねばならない。芯がなければ容易く曲がり、折れもする。お前みたいにな」
「……私には芯がないと、そう言いたいのか?」
「事実だろう。実際さっきからお前、俺にビビッて目を合わせることもできてないじゃないか」
「知ったような口を……っ」
あまりの悔しさにウェルズリーは唇を嚙みしめた。
憎悪を籠めてソラを睨みつける。
しかし、恐怖に揺れる視線は焦点が合わず、何の迫力もありはしない。
「自分のためだけに戦う人間なんて脆いものさ。戦う理由が自己で完結している者は、自分を守るためならばすぐに諦めをつけられる。だが、それは騎士の在り方ではない。民、主君、同胞、領土、国。騎士とはそれらを――誰かを護る剣であるがゆえに」
アウローラとてそれは同じだった。
彼女が戦う理由は常に主君であるカイラードのためだった。
それ以外のモノに関心はなく、万人に共感されるような信念ではなかったのだろうけれど。
少なくとも、自分以外の誰かを護るためであることに違いはない。
「説教を垂れるつもりはない。ただ、あの偉大な男からもお前のような腰抜けが生まれるのだなと思うだけだ。バナードが生きていたらきっとお前を殴り飛ばしていただろうよ」
「さっきからっ……! 貴様が、我が父の何を知っているというのだ!?」
拳を握り、ウェルズリーが堪らず叫んだ。
何も知らないくせに、お前のような子供に父を語る資格はない。
そんな不快感に満ちた叫びだった。
ソラは少しだけ目を伏せる。
死者の想いを勝手に代弁したことを詫びるような、そんな仕草。
「……そうだな。悪かった。今のは俺の勝手な妄想だった。お前の言う通り、俺がアイツについて知っていることはそう多くはない。知っているのは、あの男が紛れもない英雄だったということぐらいだ」
「………は、ぁ?」
言い切るソラに、ウェルズリーはぽかんと口を開ける。
伝聞で知った程度で、会ったこともない父を想像で語る少年に怒りを感じ、糾弾した。
けれど、少年はあっさりと謝罪の言葉を口にする。
梯子を外された気分のウェルズリーを無視して、ソラは大きく息を吐き出し、天井を仰いだ。
「不器用な男だったと思うよ」
ポツリと。
過去を懐かしむように呟く。
「無口で、頑固で、不愛想で。人間関係が絶望的に下手くそで。けど……だからこそ、というわけじゃないんだろうが。アイツの背中は誰よりも雄弁だったよ。アイツはいつだって己の信念を口先ではなく行動で示してきたんだ」
「――――――」
言葉もないウェルズリーを前に、ソラは脳裏に在りし日の――偉大な英雄の姿を思い浮かべた。
第三西方戦線――通称『死の灰域』。
50体の『上位級』と1000の『中位級』、2万を超える『下位級』の魔獣に囲まれた極寒の地にて。
彼は常に最前線で戦い続けた。
片腕を失いながらも剣を握り。
腹を貫かれてもなお進撃を止めず。
その雄姿で仲間を励ましながら、戦陣を駆け抜け、敵戦力の三割を単独で壊滅せしめた。
見事な散り様だった。
後世に語られるべき偉大なる英雄譚の一幕だった。
「苦難を前に畏れず、義に殉じ、死力を尽くし、弱者を救う。騎士の理想、その体現者だった。惜しい男を亡くしたと、心から思うよ」
「貴様は、さっきから何を……」
言っているのだ? と。
さも知ったような口調に、ウェルズリーは混乱する。
父が、バナードが死んだのは人魔大戦の最中……12年も前の話だ。
どう見ても年齢が合わない。
父が死んだ時、少年は生まれてさえいなかったはずだ。
なのに、少年の語り口に嘘は感じられず、むしろ情感が籠っているように思えた。
ひどく親しげな。
まるで往年の友であるかのような。
そんなこと、ありえるはずがないのに。
「貴様は父の、なんなんだ……?」
「戦友だった。信じられないだろうし、それを証明できるものは何も持っていないけど」
簡潔に告げて、ソラは今一度、歩を進めた。
ウェルズリーは後ろに退がろうとしたが、その前にソラが叫ぶ。
「退くな、『ウェルズリー』!!」
「―――ッ」
絶叫がウェルズリーを捉える。
金縛りにあったように動けない。
「目を逸らすな! 俺を見ろ! お前の前に立っているのは万の軍勢ではなくただ一人だ。お前と同じたった一人だ。条件は対等。ならば剣を握れ。足を踏み出せ! 騎士であるならば、絶望を前にしても己の足で進み続けろ!!」
叱咤が。
強烈な激励の言葉が練武場に木霊する。
ミリアリアも、観衆の騎士たちも、もはや何も言えない。
少年の気迫に、ただ身を竦めるのみだった。
「身勝手な押しつけだって、分かってるけどさ」
ああ、まただ、と。
ソラは自己嫌悪する。
前世での死に際と同じだ。
アウローラの想いを蔑ろにして、自分が死ぬことを棚に上げて、彼女に生きろと強要した。
己の感傷を押しつけ、他者の人生を縛ることがどれほど罪深い行いなのか、この世界へ死に戻ったその日のうちに目の当たりにしたはずなのに。
「俺はお前のことを何も知らない。それでも個人的な願望を言えば、だ。どうか逃げないでほしい。どんなに怖くても、泣き叫びたくても、勇気を振り絞って立ち向かう男であってほしい」
「……なぜ?」
ウェルズリーは問う。
関係ないはずだ。
自分とお前は。
むしろ悪印象しか持たれていないだろう。
そのぐらいの自覚はある。
なのに何故お前は、私を慮るようなことを口にするのだと。
それに、少年は当然のように答えた。
「お前が、我が戦友の息子であるがゆえに」
「――――――」
「死に逝く者は、残された者に期待せずにはいられないんだよ。それが自分の血を分けた子であればなおさら。真の英雄とは、たとえ死しても他者の心に火を灯し、その遺志を次の誰かに繋いでいく。アイツが最期まで護り抜いた想い。貫き通した信念。それらが……ほんの一欠片でも、お前の中に在ってほしいと思ってる」
「――――――」
その時。
どうしてか、亡き父の姿と少年の姿が重なった。
そうだ。
幼い頃に見た父はこんな眼をしていた。
こんな眼差しで自分を見守ってくれていた。
少年はまた一歩、前に出る。
今度は退がらなかった。
少年の瞳はまっすぐにウェルズリーを見つめている。
信じるように。
期待するように。
ウェルズリーが立ち上がるのを待っていた。
「己の位置を保つために、他者を貶めることを誇りを護るとは言わんぞ。敵を前にお前は情けなく縮こまるだけか。牙を剥かず、吠えるだけの負け犬に護れるものなど何もないぞ」
心臓が跳ねる。
鼓動が加速度的に早くなる。
手足は情けなくブルブル震えていた。
恐怖はいまだ消えない。
体中の細胞が逃げろと警鐘を鳴らす。
―――だけど。
ここまで言われて黙っていられるほど、安いプライドは持ち合わせていない。
「根性みせろ、ウェルズリー!! その血の重みを忘れるな! 己が『ウェルズリー』の名を継ぐに値する男であると、ここで証明してみせろ!!」
「――応とも!!」
ウェルズリーは力の限り立ち上がった。
木剣を握りしめる。
熱い塊が喉元へと迫り上がってくる。
内から湧き上がる熱量のままウェルズリーは吠えた。
「我が名はアラン=ローヌ=ウェルズリー! 偉大なる英雄バナードの子!! 恐怖になど屈しない! 貴族たる者の誇りを今ここに示そうぞ!!」
宣誓の雄叫び。
騎士としての名乗り上げ。
若獅子の雄々しき咆哮に、ソラは気持ちよさそうに眼を細めた。
「これまでの非礼を心よりお詫びする。願わくば、貴公の名を改めて訊かせてほしい」
「ソラだ。名乗る家名はもうない。置いてきた。……見下すか?」
「いいや」
ウェルズリーは木剣を下段に構え、体勢を低くした。
木剣を後ろに流した半身の構え。
もう目は逸らさない。
嘲りも傲慢もない。
そこにあるのは、格上相手に闘志を燃え上がらせる挑戦者の面持ち。
「出し惜しみはなしだ。今から全身全霊で貴公に斬りかかる。あれだけ偉そうな口を叩いたんだ。まさか受けられない、などとは言うまいな?」
「……くははっ。生意気な」
ウェルズリーの挑発に、ソラは笑った。
木剣を肩から外し、両手で握りしめる。
切っ先をウェルズリーの喉笛に突きつけた正眼の構え。
これまでの適当な片手遣いとは違う本気の構えに、ウェルズリーの身体が奮えた。
それが恐怖なのか武者震いなのか、ウェルズリーには判らない。
しかし、今はそんなことはどうでもいい。
己の感情も少年の正体も思考の外だ。
息を吸い、この小さく幼い、最強の好敵手へただ一言だけを告げる。
「――参る」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
「続きが気になる!」「おもしろい」と思ってくださったら、画面最下部にある【☆☆☆☆☆】をタップして、星で評価を応援していただけると執筆の励みになります!(星1つでも、ブクマだけでも本当に嬉しいです!)




