決闘①
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「一体何を考えてるの、ソラ君!?」
練兵場へ続く廊下にて。
エイベル騎士が両手を壁に突いて詰め寄ってくる。
いわゆる壁ドン状態。
食堂からずっと不機嫌だったが、どうやらここにきて感情が爆発したらしい。
俺は彼女を落ち着かせるよう、意識的にゆっくりと話しかける。
「まぁまぁ、自分でもちょっと突っ走り過ぎた感はありますよ。分かってるから、ここは空気を読んで……」
「ふざけないでっ! そんなモノ読むくらいなら、教会の分厚い聖書でも読んでる方がまだ建設的だってのッ!」
エイベル騎士の怒声が廊下に反響する。
声を荒げる彼女の顔は苛立ちで赤く染まり、眉根はきつく寄せられていた。
「分かってるの? 君はウェルズリーに手袋を投げつけて、アイツはそれを受け取った。これで『決闘』は成立してしまった。もう誰にも止めることはできない」
彼女の声が少し震える。
「最悪の場合、本当に命を落とす可能性だって……」
「もちろん。『決闘』とは本来、その覚悟の上で行われるべきものでしょう。それとも、今の時代の決闘は多少の怪我で済むような生温いものなんですか?」
アルカディア聖王国は尚武の国だ。
武と名誉を命よりも重んじる。
聖王国における『決闘』とは単なる私闘ではなく、地位争奪や領土割譲といった公的な意義を持つことさえある。
手袋の投擲は挑戦の証。
ひとたび決闘が成立したならば、たとえ王であってもこれを止める権利を持たない。
仮に逃げることあらば死をもって贖う。
命を賭した、互いの誇りのぶつけ合い。
「ああいう手合いは一度徹底的に叩き潰さない限り、何度でも同じように他人を攻撃する。アイツが逃げられない状況を作る必要があった。大衆の面前で決闘を挑まれれば流石に逃げることはないでしょう」
「だとしても!」
ミリアリアの声がさらに高ぶる。
「相手は新人とはいえ現役の騎士よ。ソラ君みたいな子供が危険な目に遭う必要なんてないじゃない!」
「まぁ、確かに元々俺が口出しすべき話じゃないんだろうけど、」
これは騎士団内部の問題で、もっと言えばミリアリアとあの男の間にある確執だ。
本来なら当事者同士が解決すべき問題で、俺が首を突っ込むことではない。
だけど。
それでも、だ。
「今更逃げることはできないよ。侮辱には剣をもって報いねばならない。それがアルカディアの騎士たる者の心意気だ」
廊下の先にある練兵場を眺め、
「あの勘違い馬鹿に、侮辱が高くつくということを骨の髄まで叩き込んでやらなきゃ俺の気が済まない」
俺は王であったことはあれど、騎士であったことはないが。
それでも、その心意気には大いに賛同できた。
利益や都合に合わせて忍耐することも、時には必要だろう。
だが、己の大切な者が脅かされ、あるいは貶められた時、人は剣を抜かねばならぬ。
己の境遇に甘んじて蹲るだけで、牙を剥かない臆病者に護れるものなど何一つとしてないのだから。
「………っ」
頬を歪に吊り上げる俺を見て、エイベル騎士が息を呑む。
それから申し訳なさそうに目を伏せた。
「……それは、私の名誉のため? それとも……ウェルズリーが食べ物を足蹴にしたことがそんなに許せない?」
「いいや」
きっぱりと首を横に振る。
その二つに対しても当然ながら怒りはある。
けど違うんだよ、エイベルさん。
俺が本当に怒ってるのはそこじゃない。
一人の英雄の最期が脳裏を過ぎる。
バナード=ノア=ウェルズリー。
我が戦友。
人魔大戦で命を散らした、真の騎士。
「結局俺は、ただ認めたくないだけなんだよ」
あの偉大な英傑の息子が、あんな矮小な男であることが。
他者の痛みを理解することなく、他者を見下すことしかできない男であることが。
つまるところ、これは自分のための戦い。
彼女が思ってるような御大層な理由じゃない。
この一戦にて、あのアランという男の本質を問う。
もしも、あの男が何の誇りも信念もなく、ただ偉ぶるだけが能の屑であるならば。
彼のかつての戦友として――その息子に、引導を渡してやらねばならない。
†
アルカディア聖王国第十七騎士団支部・第三練武場。
白亜の壁面に囲まれたこの場所は普段は騎士たちの模擬戦や訓練のために開放されているが、今日この時は違った。
微かな熱気と期待感に場内がざわついている。
食堂での騒ぎを聞きつけた騎士たちが壁面上の観覧席に散らばり、階下のアリーナを見下ろしていたのだ。
観衆の視線の先――円形の壇上に立つアラン=ローヌ=ウェルズリーはそんな彼らを見て苛立たしげに舌打ちをする。
「……ちっ、暇人どもが」
悪態が口をついて出る。
とはいえ、今の彼にとってそんなことは些末事だ。
鼻の奥に残る不愉快な鉄の臭い。
無様に地べたを這いつくばった時の光景が鮮明に蘇る。
(……あの小僧。絶対に許さん。なぶり殺しにしてやる……っ!)
握り締めた拳に爪が食い込む。
平民に公衆の面前で屈辱を与えられたこと。
それは単なる肉体的な痛みだけでなく、血統を尊ぶウェルズリーの矜持を根本から冒涜する行為だった。
頭を叩き伏せられ、見下されることなど十八年の人生で一度としてない。
この屈辱はあの少年の五体をバラバラに切り刻んでもなお飽き足らなかった。
(『聖騎士』の弟子か。確かに多少は魔術の心得はあるようだが、先ほどのはただ不意を衝かれただけだ。あんな小僧。ましてやあの女の弟子などに……ッ)
アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。
元 聖王近衛騎士団『聖焔騎士団』の一角にして、聖剣の現契約者。
ウェルズリーは以前から彼女のことが気に食わなかった。
現時点で自分より強いことは認めよう。
才があることも認めよう。
だが、そんなのはあくまで経験の差に過ぎない。
あの女の強さは戦場に恵まれただけのもの。
もしも自分があと数年でも早く生まれ、『人魔大戦』に参陣できていれば間違いなくあの女以上の功績を挙げていただろう。
練武場への入り口を睨みつける。
そこから出てきた二つの人影。
ミリアリア=エイベルと、ソラと呼ばれていた――まだ10代に差し掛かったばかりだろう白髪の少年だった。
二人はともに壇上へと登る。
こちらへ近づいてくるミリアリアの表情は硬かったが、少年の方には緊張した様子はなく、むしろこの上なく自然体に見えた。
それが、ウェルズリーを余計に苛立たせる。
「じゃあ始めようか、エイベルさん」
ソラがミリアリアに声をかけた。
ミリアリアは迷いを断ち切るように一度大きく息を吐き出すと、持っていた二本の木剣のうち一本をソラに手渡し、もう一本をウェルズリーへ投げ渡した。
「これより互いの名誉を懸けた『決闘』を執り行う。両者、三歩前へ」
壇上の中央についたミリアリアが厳粛に告げる。
二人は歩を進め、五メートルほどの距離を空けて止まった。
「勝利条件は相手を戦闘不能にすること。ただし、これは騎士同士の闘いではないゆえ、相手の命を奪うことは禁止とする。相手が降参、もしくは私が中止を宣言した時点で戦闘を停止すること。双方、異存はないか?」
二人は沈黙をもって答えた。
観覧席のざわめきが少しずつ収まり、張り詰めた空気が練武場に漂う。
「ウェルズリー」
ミリアリアの声が鋭く響く。
「いくら聖騎士殿の弟子とはいえ、彼はまだ年端も行かない子供だ。その腕輪は決して外すな。もし外せば、その時は私がお前を斬る」
……言われるまでもない。
ウェルズリーが右腕に着けているのは『魔封環』と呼ばれる魔具だった。
着用した者の魔力孔を狭め、魔力出力を強制的に減衰させる拘束具。
『魔封環』によってウェルズリーの魔力出力は四割程度にまで下がっているが、それでも目の前の少年をぶちのめすのに支障はない。
むしろ平民の子供相手に全力を尽くすなど、貴族の沽券に関わる。
「俺は別に外してくれても構わないぞ? 負けの言い訳にされても面倒だ」
「ほざけ、小僧。身の程知らずのその大言、後悔させてやる」
片や泰然自若とした様で立つ少年。
片や憎悪の眼差しを向ける騎士。
互いの視線が交錯する。
「一応訊くが、名乗りはどうする? 殺し合いではないとはいえ、これは決闘だ。礼儀は大切にすべきだぞ」
「笑わせるな、平民風情が。貴様に名乗るほど、私の名は安くない」
ウェルズリーは鼻を鳴らし吐き捨てる。
「名も、出自も。貴様に興味などない。語ることもない。この決闘が終わった後、どうせ貴様のことなどすぐに忘れるさ」
「そうか。なら俺も、お前のことは礼儀知らずの野良犬として処理するとしよう」
肩を竦めて少年は投げやりに返す。
やはり恐怖など微塵もない様子で。
ウェルズリーは血走った眼で歯噛みする。
「……殺してやるぞ、平民」
「ルールを聞いていなかったのか? まぁ、どのみちお前には無理だと思うがね」
「――双方、無駄口はそれまで。これより先は己の剣にて語りなさい」
横からミリアリアの声が飛ぶ。
ウェルズリーはそれに舌打ちし、ソラは肩を竦めて返した。
二人の口が閉じたのを確認すると、ミリアリアは右手を振り上げる。
「―――では」
ソラは木剣を軽く持ち上げ、肩に担いだ。
ろくに構えすら取らない。
「―――ッ!」
その立ち姿だけで理解できた。
舐めているのだ。
平民風情が貴族である自分を。
その侮辱は万死に値する。
ウェルズリーは大きく腰を落とした。
両手で木剣を持ち、腰だめに構える。
開始の宣言が成された瞬間に、一気に間合いに踏み込み、木剣を振りぬく算段だ。
狙いは頭蓋。
一撃必殺。
たとえ殺してしまっても構うものか。
その程度で死ぬような惰弱であれば首を引きちぎった後、ミリアリアに投げつけてやる。
「―――始めっ!!」
凛冽な宣言と同時に右手が振り下ろされた。
「オォオオ―――ッ!!」
裂帛の雄叫びを上げ、ウェルズリーの体が疾風の如く始動。
地を蹴る音が炸裂し、練武場の石床に深い窪みが刻まれる。
全身の筋肉がしなり、必殺の一撃へと収束する。
―――はずだった。
「………………………………………は?」
間抜けな声がウェルズリーの口から漏れた。
互いの間にあった距離は一瞬にして消失し、ウェルズリーの眼前には少年の姿があった。
トン、と。
喉元に軽い衝撃が走る。
木剣の切っ先を当てられたのだ。
少年の眼光がウェルズリーを射貫く。
「―――ッッ!?」
停止していた思考が再び動き出すと、ウェルズリーは咄嗟に後方へと飛びのく。
(何が起きた!? 一体、何が……っ!?)
理解が追いつかない。
呼吸が千々に乱れる。
そこへ、
「愚図めが。反応すらできないか」
未だ混乱から立ち直らぬウェルズリーにソラは冷えきった視線を向けた。
「だが、これで少しは危機感が芽生えたか? さっきから馬鹿の一つ覚えみたいに平民平民と言ってるが、お前の前に立っているのはお前を殺せる平民だ。御大層な地位だの肩書だのは持ってないが、少なくともお前を殺せる力は持っている。あと、手加減が苦手だ」
ソラは木剣を担ぎ直し、トントン、と地面を軽く蹴る。
余裕の仕草。
ウェルズリーにはそれが、猛獣が獲物に襲い掛かる前兆のように見えた。
氷のような汗が頬を伝う。
「さあ、仕置きの時間だ、クソガキ。死に物狂いで抗ってみせろ。死にたくなければな」
周囲の騎士たちが息を呑み、ミリアリアが目を見開く。
もはや闘いとも呼べぬ蹂躙劇が始まった。
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