10年越しの嫌がらせ
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霊力。気。オーラ。
あるいは――『魔力』。
呼び方は土地によって様々だが、この世界は万物に宿る生命エネルギーに満ちている。
このエネルギーは色彩を変え、血液のように世界を循環しているが、時として憎悪や怨嗟といった負の念と混じり合うことで黒く濁り、やがて生物の精神と肉体を蝕む『瘴気』へと転じることがある。
そしておよそ80年前、突如その瘴気が世界各地で爆発的な規模で発生する大事件が起きた。
――『災禍の滅日』。
後にそう呼ばれることとなったこの事件は、様々な憶測はあるものの、その原因は未だに解明されていない。
しかし、この事件は結果として人類にとって一つの壊滅的な戦乱をもたらした。
それが『人魔大戦』。
文字通り、人と魔獣が互いの存亡を懸けて争い合った大戦争である。
『魔獣』とは瘴気を浴び、肉体と魔力を変貌させた怪物のことを指すが、通常の生物と異なる点は大きく二つ。
一つは、高位の魔獣ほど人語を解するほどの高い知性を併せ持つということ。
そしてもう一つは、魔力を操れるということ。
瘴気という密度の高い強力な黒色魔力を手にした魔獣たちはその身体能力を数倍から数十倍にまで引き上げることを可能とし、また魔力によって覆われたその外皮は魔力を纏わぬ一切の攻撃を無効化する。
戦争の早期終結を楽観視していた各国の期待は大きく裏切られ、開戦から数年後、戦局は徐々に魔獣側へと傾き、人類は劣勢へと追い込まれていった。
しかし、そんな時代にも転機が訪れる。
アルカディア聖王国第九十六代国王、カイラード=ロア=エイドラム=ヴァン=アルカディア。
この稀代の大英雄が世に現れたのは『災禍の滅日』より半世紀以上経った後のこと。
魔獣たちの侵攻によっていくつもの国が滅び、世界人口が大戦以前の三分の一にまで低下していた戦乱の時代である。
カイラードは齢十七の時に救世の象徴たる『聖剣』を受け継ぎ。すぐさま国を出奔。
各地を巡る放浪の旅に出る。
その旅路の中で優秀な人材を次々と発掘し、やがてその人材たちは国の中軸を担う存在へと登りつめていった。
旅を終え、国へと帰還したカイラードは一部の王侯貴族によって独占されていた門外不出の魔力操作技術『魔術』と、特殊魔力兵装『魔具』に関する研究を全て開示させ、それらの量産・体系化を実現した。
また、当時権威主義に凝り固まっていた貴族議会と軍部を再建し、平民の騎士登用制度を立案・実施。
立場を問わず他国との技術交換を奨励し、世界全体の戦力向上を推し進めた。
さらには悪魔の生まれ変わりと忌み嫌われていた『異能者』に人権を与え、戦線へと加えることを宣言する。
これらの改革により、カイラード王はわずか二年で瓦解寸前だった聖王国を立て直し、諸国をまとめ上げ、対魔獣世界同盟を結成。
ついには大戦の最大目標であった『魔王』討伐を、自らの命と引き換えに成し遂げることに成功したのである。
彼と共に戦った者たちは、彼の偉業を称え、後にこう語った。
あの御方と共に闘えたことが我らの誇り。
我らの絶対の主君。
あの御方こそ、この世界で最も偉大な『聖王』である、と―――。
―――アルトリウス=ヴィスコンティ著『聖王賛歌』。
†
パタンと、静かに本を閉じた。
もうすぐ昼になろうという時間帯だった。
人気の少ない図書室の一角。
気持ちの良い冬晴れに、山と積まれた新聞や書籍の数々。
俺は窓から差し込む日の光に目を細め、若干現実逃避気味に思う。
―――なんて余計なものを書いてくれたんだあの野郎、と。
「……はぁ」
机に突っ伏し、額を押し付ける。
冷たい木製の机の感触が頭の熱を吸い取ってくれるのが少しだけありがたい。
知人の名前が書かれた本が書架に並んでいるのを見て、なんとなしに手に取ったのが間違いだった。
タイトルからして嫌な予感はしていたが、まさかこんな胸焼けするような伝記だったとは。
俺でさえ忘れていたようなことが事細かに書かれているうえに、それが逐一脚色されているから背中が痒くなる。
歴史上の偉人や英雄が美化されて語り継がれるのは世の常だけど、これはいくら何でも盛りすぎだ。
誰だこんな本に発行許可を出した馬鹿は。
検閲官はちゃんと仕事してんのか。
『――貴方が死んだら、僕は貴方のことを書いた本を出しましょう。貴方のことをこれ以上ないくらい褒め称えた内容の本を。貴方にとってはそれが何よりの嫌がらせになるでしょうから。ああ、断っておきますが僕に霊感はないので、文句を言いに化けて出て来られても聞いてあげられませんので、あしからず』
ふと、脳裏にかつての友人の言葉が思い出された。
確かにこれは俺にとって最大級の嫌がらせだよ。
まさか死んだ後に自分のことをここまで祭り上げた文章を読まされることになるとは……。
本当、人生なにがあるか分からないもんだ。
「まったく……」
アルのやつがこの本を書いている姿を想像して苦笑が零れた。
今となっては文句を言うどころか、会いに行くのも難しくなってしまった友人。
生まれ変わった俺は、以前の俺とは完全な別人だ。
アルが今の俺を見ても、カイラード本人だとはとても信じられないだろう。
いや、アイツは昔から妙に勘の良いところがあったから、色々と察した上で腹を抱えて笑うかな。
それはそれでムカつくが。
「……さっきからなんだか表情が忙しないね、ソラ君」
物思いに耽っていたら、対面に座って分厚い戦術書を読んでいたエイベル騎士が声をかけてきた。
年齢はたぶん二十歳前後。
茶色の髪をポニーテールにした可愛い系の美人さんだ。
彼女はこの支部にいる間の俺の付き添い役だった。
色々と忙しいだろうに、こんな子供の世話を突然任されても嫌な顔一つせずに付き合ってくれている。
若いながらも小隊長を任されるだけあって、アーラと違い人間ができていた。
いや、それともアーラが子供っぽすぎるだけなのか?
年齢は彼女の方が下だろうに、果たしてこの差はどこで生まれたのだろうか。
「いや、つい本に熱中しすぎちゃって。そんなに変な顔してましたか?」
「んー、変というか……眉間に皺を寄せて悶えてたかと思ったら、急に懐かしむみたいに口元が緩んだり。見ててちょっと面白いなぁって」
どうやらエイベル騎士はページをめくりながらも、こちらの様子も観察していたらしい。
彼女は俺が読んでいた本にちらりと視線を移して、
「『聖王賛歌』。今出ている本の中では一番先王について詳しく書かれた史実書だね。他の歴史書だと不正確な情報も割と多いんだけど、その本の作者は先王の側近だったっていうから。でも物語調ってわけでもないし、ソラ君がそんな百面相するような本だったかな」
「エイベルさんもこの本読んだことあるんだ……」
「そりゃね。人魔大戦の英雄と言えば真っ先に名前が挙がるような方の本だから。騎士学校の授業で普通に参考文献として使われてるよ?」
「おぅ……」
どうやら思った以上に売上は好調なようだった。
それだけ俺への嫌がらせが世に拡散されているということでもある。
とりあえずアルに会う機会があったら一発ぶん殴っておこう。
「それで? ソラ君はその本のどこがそんなに気になったの?」
「いや、気になったというか……個人的に痛いところを刺激してくるというか……」
「?」
エイベル騎士が不思議そうに首を傾げる。
茶色の長いポニーテールがさらりと流れた。
「よく解らないけど、ソラ君が退屈してないならよかった。何かあったら言ってね」
そうしてエイベル騎士は再び手元の戦術書を読み始める。
こうして適度に放っておいてくれるのはありがたい。
気を取り直して俺も次の資料に手を伸ばした。
さて、なぜ俺が急に図書室に籠って史料を読み漁っているかというと、当然アーラの悪評を払拭するためだ。
どうやらアーラは俺から『聖剣』を受け継いだことで、『紛い物』などと呼ばれているらしい。
それもかなり広く、根深く。
俺は俺の家族がそんな風に貶められてるのが許せない。
侮辱され、命までも狙われている現状に我慢がならない。
だから、アーラがこれから先の人生を胸を張って歩いていけるように、その評価を必ず覆す。
もしも俺がこの世界に死に戻ってきたことに意味があるのだとしたら、それはきっとあの子を救うためなんだろう。
とはいえ、失点を取り返すには失点を覆すだけの得点を重ねなければならない。
その手段の一つとして、封印されている『魔王』を殺すという目標は立てたが、その前に現状をきちんと把握する必要がある。
俺が死んだ後の10年間でこの世界は一体どうなったのか。
まずはそこからと思い、図書室に来たというわけだ。
騎士団支部内の一施設としては過剰に広大な図書室。
それを隅から隅まで歩き回り、関係がありそうな資料や新聞を一通りかき集め読み漁ってみた。
そうして分かったのは……今のこの世界は最初の印象ほど平和ではない、ということだ。
人魔大戦において確かに人類は魔獣たちに勝利した。
しかし、その代償はあまりにも大きすぎた。
特に深刻だったのは――戦災難民だ。
魔獣たちによって滅ぼされた国々。
そこで暮らしていた人々は土地と財産を奪われ、生きるために隣接国へと流れ込んだ。
とりわけ世界最大の国土を持つアルカディア聖王国にも難民は怒涛のように流入し、未曾有の民族問題を抱えることを余儀なくされた。
生き方も価値観も宗教も異なる者同士が衝突するのは必然。
大戦によって国力が疲弊していたところにさらに民族問題が重なったことで国内の緊張は一気に高まり、今ではあちこちで内戦が起きているという。
さらに問題は国境を越え、なお続く。
土地を領有する領主家や国が滅びたことによってできた空白地帯。
民族あるいは国家同士がその地と利権を求めて戦争を始めてしまったのだ。
聖王国だけでもこの10年ですでに三度の対外戦争を行っており、その戦火は未だ収まる気配がない。
『魔王』という人類最大の敵を倒した後で、今度は人間同士で争い合う時代がやってきたというわけだ。
けれど、それでも聖王国は諸外国に向けて『聖剣』というカードを切らなかった……というより切れなかった。
魔獣との戦いで希望を灯した『聖剣』を人類に振り下ろしていれば周辺国家から激しい非難を受けることは免れなかっただろうし、加えてまだ完全に消滅していない『魔王』の封印の継続と『魔の森』に残存する瘴気の浄化。
これらには聖剣の力が不可欠となる。
ゆえに、聖王国は聖剣の現契約者であるアーラを『聖騎士』としてラルクスに縛りつけた。
王を護れなかった罪人に対する罰として。
「……まったく、不愉快だな」
「ん? 何か言った?」
「いえ。何も」
「そ」
……いかんな。
苛立ちが抑えきれずについ愚痴を零してしまった。
とにかくシンプルに『魔王』を滅ぼせばいいという話ではなくなった。
アーラを解放するにはそれだけじゃ恐らく足りない。
おまけに『聖剣』がなくなった後、ラルクスがどうなるかを考える必要もある。
この都市の復興と発展は聖剣の庇護がなければ成し得ないものだったはずだ。
軌道に乗った現在のラルクスであれば、『魔王』という潜在的脅威さえ取り除けば聖剣がなくとも問題はないのかもしれないが、それも絶対じゃない。
ああ、今にして思えば、セリアが提案した『聖騎士の弟子』という肩書。
あれは聖剣の次代契約者に俺を据えるための布石だったのかもしれないな。
だとしたら抜け目のないことだ。
「さて、どうしたもんかな……」
溜息一つ。
状況は思っていた以上に厳しい。
窓の外では青空が広がっていた。
悩みなどひとつもないかのように澄み切っている。
それが少しだけ憎らしかった。
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