私が縋ったのは――
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全身から血を流し倒れたグリフィスをアウローラは一瞥する。
グリフィスの命はもはや風前の灯火だった。
右腕は焼け焦げ、残る手足もあり得ない方向へとねじ曲がっている。
上空へ蹴り上げられた時点ですでに骨と内臓を痛めていたのに、そこへさらに空中での追撃を受け、最後は地表へと叩き付けられたのだ。
常人であればそれだけで全身がバラバラに砕け、死んでいただろう。
彼の傍らにはアウローラの斬撃によって粉々に砕けた剣の残骸が散っていた。
「げほッ……ごほ……ッ!!」
口から血反吐を吐き散らし、激痛に耐えながらグリフィスは必死に立ち上がろうとする。
しかし、もはや指一本動かすことも叶わず、気を抜けば途切れそうになる意識を繋ぎとめるだけで精一杯だった。
「――あら。意外としぶといのね。まだ生きているなんて」
地面に転がるグリフィスを見下ろし、アウローラはつまらなげに呟く。
その瞳はどこまでも冷たく、まるで道端に転がる石ころでも見ているかのようだった。
いや、事実アウローラにとってグリフィスの命などその程度の価値しかないのだろう。
人も、命も、世界も。
全てがどうでもいいなどと宣い、切り捨てる――無関心なその在り様。
それが、グリフィスにはどうしようもなく腹立たしかった。
「なぜ……だっ」
グリフィスの口から疑問の声が零れた。
アウローラに対し、ずっと胸の中に燻っていた失望と怒り。
ひとたび零れだした想いは堰を切ったように止まらず、グリフィスは激昂する。
「なぜ……そんな眼で世界を見れる? なぜ、世界に対しそんなにも無関心でいられる!? それだけの力を持ちながら! どうしてこの10年……もっと主体的に動こうとしなかった!? 神の与え給うた聖剣の契約者となりながらその責任を果たそうとせず、のうのうと過ごして! お前がそうしている間に一体どれだけの人々が犠牲になったと……ッ!!」
「――グダグダとやかましいわね」
心底から煩わしそうな口調でアウローラはその訴えを切り捨てる。
吠えかかる野犬を払うような、冷ややかな拒絶だった。
「世界だの神だの、貴方たちの言うことはいつもそれね。貴方が信じるモノと私が信じるモノは違う。貴方たちの理由を私に押し付けないでくれる?」
「―――なぜ、」
「なぜ? それは私こそ訊きたい。世界も神も、どちらも見ることも触れることも出来ないものでしょう。そんなあやふやな存在を、貴方たちはどうして信じることが出来るの?」
暗闇の中で向かう先も解らず、何かに縋ろうとする心。
それ自体は理解できる。
どれだけ強い力があろうとも、アウローラもまた弱い心を持つ人間だから。
けれど、だからこそ。
縋る先に実体のない偶像を選んだ理由がアウローラには理解できなかった。
「貴方たちが信じるほど神は有能でも慈悲深くもない。――貴方たちが崇める『聖剣』が、今この瞬間に貴方を救わないように。人を救うことが出来るのはいつだって人だけでしょう」
神はアウローラを救わなかった。
寒い寒い雪の中、世界から拒絶された幼い自分を救ってくれたのは血と肉の通った人間だった。
だから、アウローラは神になど祈らない。
世界のためになど戦わない。
今も昔も彼女が戦う理由は一つだけ。
己を救い、全てを与えてくれた、ただ一人の主君のためだけにこの力を振るう。
「私が縋ったものには確かな重みがあり、貴方たちが縋ったものにはそれがなかった。だから貴方たちは弱く、こうして地べたを這っているのよ」
「……ふざける、な……知ったふうな口をたたくな、この紛い物が」
呻くようにグリフィスは吐き捨てる。
アウローラは無言でそれを聞き届けた後、これ以上言葉を交わすことさえ無駄だと言わんばかりに背を向けた。
アウローラが歩み寄った先には、戦いの一部始終を見守っていた少年がいた。
少年はアウローラを労うように頭を撫でるようとするが、少年の背丈では手を伸ばしても、アウローラの頭には届かない。
それに気づいたアウローラは膝をついて頭を差し出す。
少年はそんな彼女に苦笑し、優しく撫でつけた。
その光景を見て、ふとグリフィスは不思議に思った。
かの『聖王』以外に従うことのなかったあの狂剣が、今は嬉しそうに目を細め、少年の手を受け入れている。
グリフィスには二人の関係性はどこかチグハグに見えた。
少年が主で、アウローラが従。
二人の間には明確な上下があり、対等の関係には見えない。
アウローラの少年への振る舞いはまるでに父に甘える子のようでもあり、王に傅く騎士のようでもあった。
そして、少年もまたそれを当然のように受け止めている。
思えば、始めから奇妙な少年だと感じていた。
見た目の年齢にそぐわない落ち着きと言動。
そして、この僅かな間に垣間見えた、アウローラの少年に対する異常なまでの執着。
(………まさ、か)
グリフィスの脳裏にある仮説が思い浮かんだ。
ありえないと思いつつも、思考は段々とそちらへ傾いていく。
そうだ。
そもそもあの女は先程はっきり言っていたではないか。
あの少年のことを『我が主』と。
気づいた時、グリフィスはこちらを振り返るアウローラと視線が合った。
アウローラは困惑したグリフィスの表情からその考えを察したのか、口元に指を当て妖しく微笑む。
しぃー……、と。
大事な秘密を隠すような仕草で口ずさむ。
それが全ての答えだった。
「そういう、ことか……」
グリフィスは全身の力を抜き、息を零した。
それから、己に向かって飛来する剣を茫然と眺める。
(……この少年は、あの御方の―――)
その思考を最後に。
聖天教暗部の一翼を担った男の意識は永遠に断絶した。
†
赤黒い血液が地面を染めるのを幕に、暗部との戦闘は終わりを告げた。
頭部を貫かれ、物言わぬ死体となったグリフィスにソラは静かに黙祷を捧げる。
グリフィスが最期に何を想ったのかは知らない。
何やらこちらを眺め、複雑そうな表情を浮かべていたが、彼が死んでしまった以上は永遠に解らないままだろう。
ただ、覚えていようとは思った。
少年がこの世界へ死に戻って初めて命を奪うことを命じた者たちのことを。
「……さて、と」
数秒後、眼を開いたソラは改めて周囲を見渡す。
夜の海浜公園。
その一帯の破壊の程は凄まじいの一言に尽きた。
公園に設置されていたベンチや街灯は軒並み吹き飛び、路面はクレーター状にごっそりと抉られている。
魔術士としての最高位――『煌』。
その力の一端を解放した結果である。
その尋常ならざる大破壊をもたらした当の本人はというと―――
「くふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
少年を高々と抱え上げ、その胸にぐりぐりと額を押し付けていた。
ひとしきり満足した後、アウローラはソラを見上げ満面の笑みを浮かべる。
その笑みはこの惨状を作り出した直後とは思えないほど、ドロドロに溶けた甘いものだった。
「いかがでしたか、兄様? 貴方の剣の切れ味は」
「……うん、上出来だ。よくやった、アーラ。どうやら腕は錆びてないみたいだな」
アウローラが問いかけると、ソラは一瞬だけ躊躇した後でそう返した。
実際は上出来というか、明らかにやりすぎではあったのだけれど。
そのあたりは言わぬが華というものだろう。
労いの言葉をかけられたアウローラは、くふふっ、と嬉しそうに頬を赤く染める。
「しかしまぁ、この状況はどうしたもんかなぁ……」
ソラは後ろ頭を掻きながらぼやいた。
散乱する死体に、血臭たちこめる空気。
一般人にはとても見せられたものではない。
「特段気にする必要もないのでは? 殺しにかかってきた者を殺し返したとて、文句を言う道理などないでしょう」
「その言い分で誰もが納得してくれるといいんだけどな……」
能天気なアウローラの意見に、ソラは疲れ切った様子で溜息を吐く。
世間一般からすれば、ここでのことは大事件だ。
セリアから騒ぎを起こすなと釘を刺されていたのに、早々に破ってしまった。
不可抗力とはいえ、ここまでの騒ぎを引き起こした以上、彼女の心労が増えるような事態になることは間違いない。
今も領主としての仕事に勤しんでいるであろうセリアに謝罪の念を送っていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
おそらく騒ぎを聞きつけた警察や軍の人間だろう。
「……はぁ。早速のお出ましか。セリアにはどんな言い訳をしたものか」
「ご安心ください、兄様」
憂鬱そうな表情を浮かべるソラに、アウローラは微笑む。
「誰が敵に回ろうと、兄様のことは私が護ります。いざとなれば、この街を出て世界の果てまで逃げきってみせましょう」
ラルクスを離れないというセリアとの約束など忘れて、アウローラは自信満々に言ってのける。
彼女に全面的に任せることに一抹の不安を感じつつ、ソラは肩を竦めて返した。
「……ま、なるようになるか」
というか、なってほしい。
切実に。
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