それは仄暗い悦びだった
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「アーラ。次は海の方へ行ってみないか?」
ソラがそう言ったのはラルクスの街並みが夕焼けに染まり始めた頃だった。
あの奇妙な少女たちと遭遇した後、ソラとアウローラは引き続き買い物を続けていた。
ソラがこれからこの街で暮らしていくために必要な衣類や日用品の買い出しだ。
小規模店舗が軒を連ねるこの辺りでは複数の店を跨ぐ必要があるため、それなりに時間はかかる。
とはいえ、たかだか子供一人分の生活用品。
食事や休憩……アウローラが方向音痴であることを差し引いても、フェリシアのメモに記されていた物たちは遅くとも昼過ぎには全て揃うはずだった。
しかし街の中央に鎮座する大時計塔を見上げれば時刻はすでに17時を回っている。
ここまで時間がかかったのは、ひとえにソラが事あるごとに足を止めたからだ。
大通りで行われていた大道芸に目を引かれては立ち止まり。
香ばしい揚げ菓子の露店に釣られては立ち止まり。
怪しげな占い師に声を掛けられては立ち止まり。
ソラが足を止めるたびにアウローラは苦笑しつつも結局は少年が満足するまで付き合ってしまう。
退屈だとか、面倒だとは感じない。
街の喧噪や営みに瞳を輝かせる少年を見ているだけで、アウローラは言いようのない幸福感に包まれる。
そして、諸々の道草の末にようやく全ての買い物を終えた二人は時計塔の足元にある中央広場で休憩を取っていた。
噴水の縁に座りながら興奮を隠さぬ様子で誘うソラにアウローラは微笑みながら頷く。
愛する主君が望むなら、当然彼女に否やはないのだから。
†
中央広場から海岸のある旧区画の方へ進むにつれ、街の雰囲気も徐々に変化していく。
整備されていた道は荒れはじめ、左右に並ぶ建物や家屋も古めかしく、塗装の剥がれ具合が目立つようになってくる。
そんな街の変化を横目に見ながら道路に並列された歩道を進んでいくと、やがてソラたちは目的の場所に到着した。
海沿いにある海浜公園だ。
今の時間帯は少ないが、昼間は人の往来に溢れ、家族連れやカップルたちの憩いの場としても知られている。
人通りの途絶え始めた石畳の遊歩道。
その外側には遠く水平線を臨む大海原が広がっていた。
寄せては引いてを繰り返す波が海岸を濡らし、潮の香り混じる冬風がソラたちの間を通り過ぎていく。
その感覚がなんだか寂しくて、アウローラは繋いでいたソラの手をぎゅっと握る。
ソラはそんなアウローラの行動を仕方ないなとでも言うようにそっと握り返した。
「……くふふっ♪」
波の音と互いの息遣いだけが聞こえる静かな時間。
ソラはただ黙って水平線の彼方に沈みゆく夕日を見つめていた。
(あぁ、愛おしいなぁ……)
アウローラは瞬きすら惜しんでソラの顔を網膜に焼き付ける。
このままずっと主を眺めていたいという気持ちと、その瞳に自分だけを映して欲しいという独占欲がぐるぐると渦巻く。
そんな視線に気づいたのか、ソラはこちらを向いて苦笑を漏らした。
「そう見つめられると流石に恥ずかしいんだけど。俺の顔に何かついてるか?」
「……いえ、そういうわけでは。ただ……何となく兄様が思い悩んでいるように見えたので。何か気がかりでもあるのですか?」
誤魔化し半分、本音半分でアウローラは答えた。
これは先ほどから思っていたことだ。
あの奇妙な小娘とシスターに出くわしてから、主は少し様子がおかしかった。
買い物の間も楽しそうに笑ってはいたけれど時折物思いに耽っているようだったし、今もその表情にはどこか憂いを帯びているようにも見える。
問いかけに、ソラは一瞬驚いた表情を浮かべる。
それから、まいったなぁ、と頭を掻いた。
「そんなに解りやすかったか、俺?」
「いいえ。昔から兄様は本音を隠すのが上手だったから。だから、少しでも気になることがあるなら言ってほしい。私にできる事なら何だってしますから」
アウローラは身をかがめ、少年と目線を合わせる。
我ながら必死過ぎるとは思うけど、それでも彼の力になりたいという気持ちに嘘偽りはない。
だから、どんな些細なことでも話してほしかった。
主が望むなら自分は何だって叶えてみせるから。
「……別に勿体ぶるような話でもないんだ。ただ、さっきあのスピカって子に視せられた映像がちょっとな」
「ビジョン?」
「ああ。それがあの子の能力なんだろう。他人の精神に干渉し、心を読む『異能』。俺が視たのはあの子の能力によって引き出された過去の記憶だった」
――『異能者』。
その能力ゆえに、かつて人々に悪魔の生まれ変わりと怖れられ、迫害されてきた者たち。
異能者とはこの世界に稀に存在する生まれつき特異な能力を有する者たちの総称だ。
彼らの持つ能力は千差万別であり、天災のような脅威となるものもあれば、逆に人類にとって多大な恩恵を齎すものもあるという。
人魔大戦にて多大な戦功をあげ、『聖王』カイラードによってその人権が公認されて以降は世界的にも受け入れられつつはあるが、未だその存在を否定する者は少なくない。
もっとも、アウローラにとってそのような背景などどうでもいい。
どうでもよくないのは――
「兄様……過去の記憶というのは一体いつの?」
「……まあ、過去というか、つい最近の出来事なんだけど。『あっち』の世界で俺が死んだ時の記憶だな」
ソラが正直に言うと、アウローラの美貌がたちまち怒りに歪んだ。
憤怒は一瞬にして臨界にまで達し、紅い瞳は紅蓮に燃える。
「あの小娘……よりにもよってそんな記憶をッ! やはりあの時斬り捨てておけばよかった……ッ!!」
怒りのままに吐き捨てると、アウローラは足早に街へ向かおうとする。
言葉の通り、あの少女を斬り殺すつもりなのだろう。
ソラは慌ててアウローラの腕を掴み、引き止めた。
「待て待て、落ち着け、アーラ。あの子も悪意があってやったわけじゃない。能力のコントロールがまだ上手くできてなかっただけなんだろう。だからそう怒るな」
「ですがっ!」
「いいんだって。進んで視たいモノじゃなかったのは確かだけど、おかげで思い返すことができた。……俺が反省しなくちゃいけないこと」
どこか寂し気な微笑を浮かべてソラはそんなことを言う。
その言葉への反発と少女への怒りで、アウローラはつい主に対し刺すような視線を向けてしまった。
「反省など。兄様が悔いることなんて何もないでしょう。兄様はいつだって自分に出来ることを懸命に為してきた。あんな無礼な小娘のために心を乱す必要なんてありません」
「反省と後悔は違うよ、アーラ。失敗であれ成功であれ、どんなことにも反省っていうのは必要なんだ。次に活かし、より良い結果を掴むためにはな」
まぁ死んだら次も何もありはしないんだけどな、とソラは笑う。
彼にとっては何でもない軽口だったのかもしれない。
でも、アウローラはそれに何一つ笑えなかった。
「不謹慎です、兄様。冗談でも怒りますよ」
「……そうだな。悪い。まぁとにかくあの子のおかげで色々と思い返すことができたんだ。かつての人生に後悔なんてないけど、反省すべき点はたくさんあったんだなって。……なぁ、アーラ。俺のいなかったこの10年――お前はちゃんと笑えていたか?」
「え……?」
問われた瞬間、潮騒の音色がアウローラには遠くなった。
黒い双眸と視線が交差する。
色も形も。
10年前とは何もかもが違うというのに、その瞳に込められた優しさはあの頃と何も変わらない。
……ずるい、とアウローラは思った。
そんなの、答えられるわけがない。
アウローラにとって彼は生きる理由そのものだった。
だから10年前、彼がいなくなってから、どうやって生きればいいのか分からなくなった。
人が生きていくためには夢とか希望とか、生きがいとか。
そういった原動力が必要で。
そんな諸々を失くした自分はあの日からずっと、生きながらにして死んでいるようなものだった。
聖剣の言う通り、ただ無為に命を消費していただけの10年。
こうして再会を果たすまで、笑えていたはずがないというのに。
「……あの時、兄様は私に生きろと命じた。だから私は生きるしかなかった。兄様の命令を果たすためだけに私は今日までを生きてきたのです」
結局出てきたのは、そんな遠回しな否定の言葉だった。
曖昧なその答えにソラは、そうか、と哀しそうに漏らす。
……ああ、ごめんなさい。
貴方のせいじゃないのに。
貴方のいない世界に取り残された私が、それでもなお生きようとしたのは貴方のことを心から愛していたから。
貴方が遺してくれた優しい命令を無かったことにしたくなかったから。
そう言いたかったけれど、今にも泣きだしそうな少年の表情を見てアウローラは言葉を詰まらせる。
夕日は水平線へと沈み、いつの間にか周囲は昏く寒々しい闇を湛えていた。
まるで今の自分の心境を表しているようだった。
そう。
アウローラはソラの哀しむ顔を見て、胸が張り裂けそうなほどに苦しかったけれど……それと同時に仄暗い悦びを感じていた。
愛する人が自分のために哀しんでくれている。
その事実がたまらなく嬉しくて―――興奮する。
「…………っ!」
ぞくぞくと背筋が震えた。
ああ、自分は本当に歪んでいる。
この人は私の幸せを望んでくれているというのに。
私のために傷つくその姿を、自分は何よりも愛おしいと思う。
彼への愛が深まるほどにアウローラの心は黒く濁っていく。
その衝動に突き動かされるままに、アウローラはソラの唇を奪った。
「―――んむッ!?」
突然の出来事にソラは驚き、目を見開く。
けれど、アウローラは構うことなく少年の口内に無理やり舌をねじ込んだ。
上顎を掴み、歯列をなぞりながら、大きく口を開いて噛みつくように少年の唇を覆う。
甘美な味だった。
酔いしれるほどに。
永遠に続けていたかったけれど、ソラの吐息に苦しさが混じり始めたためにアウローラは唇を離す。
名残惜しむように二人の間に銀色の橋がかかり、プツリと途切れた。
それがなんだか勿体なくて、アウローラは唇に残った少年の唾液をぺろりと舐めとる。
「……あまい」
濡れた瞳で、耳まで真っ赤になった少年の顔を見つめる。
心臓は爆音を奏で、呼吸は全力疾走した後のように激しい。
衝動は全く収まらなかった。
もっとこの人に触れたい。
この人の全てが欲しい。
そんな欲望が次から次へと溢れ出てくるのを止められない。
ソラの唇についた唾液を指でふき取ってやる。
ぴくり、と震える姿が身もだえるほどに可愛かった。
アウローラは少年の身体を抱き寄せ、再び唇を重ねようとする。
そして――間に挟んできた少年の掌によってその口づけは受け止められてしまった。
「……兄様?」
「誰か来る」
ソラは背後を振り返りながら短く答えた。
どこか緊迫した雰囲気を孕んだその言葉に、浮かれていた熱は一気に冷め、アウローラは周囲への警戒感を引き上げる。
「……一般の観光客や地元の住民ではないのですか?」
「かもしれないが……まぁ、これだけあからさまな殺気を放ってくる連中だ。少なくとも友好的な相手じゃないんじゃないか?」
そう言ってソラは凝らすように暗闇を睨みつけた。
視線の先――星明りが照らす夜の海浜公園。
そこに、ぼんやりと白い空白が浮かび上がる。
骨を削りだしたかのような無貌の仮面だった。
それらが闇の中から這い出るように一つ、また一つと増え、浮かんでいく。
さらにその者たちは皆一様に黒いローブを纏っていた。
突如現れた黒装の集団は、ソラたちと対峙するかのように10メートルほどの間合いを隔てて立ち止まる。
「……ああ、こういうのをフラグ回収って言うのかね」
集団を見据えながら、ソラは肩を落として呟く。
少年の言う、ふらぐ? というのはよく解らなかったけれど。
――主との至福の時間を邪魔したこいつらはとりあえず殺そう。
アウローラは静かに決意を固めた。
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