思わぬ遭遇(前編)
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「はー……。すごい賑わいだな」
その光景を見て、ソラが感心したように呟く。
アークレイの屋敷を出て、バスに揺られること30分弱。
停留所からほど近くにある大市場。
ソラとアウローラの二人は今その場所にいた。
もうすぐ正午に差し掛かる時間帯。
市場は往来する人々に溢れ、賑やかな喧噪に包まれている。
ラルクスは都市の中央にそびえ立つ大時計塔を中心として、主に戦災被害の少ない古くからの街並みを残す旧区画と、瓦礫を撤去し現在も再開発が進められている新区画とに分かれている。
二人がいる新区画は観光客向けの店も多く、服飾や雑貨以外にも飲食店や屋台などが軒を連ね、そこかしこから食欲をそそる匂いが漂っている。
ソラは楽しそうに目を輝かせながらときょろきょろと辺りを見回している。
そんな子供っぽい仕草が可愛くて、アウローラは思わず笑みを零した。
「くふふっ。兄様、手を離さないでくださいね」
そう言ってアウローラはソラの小さな手をぎゅっと握った。
結局アウローラがソラを抱きかかえるという提案は本人の強い意向により却下された。
今朝もそうだったが、どうやら主は過度に世話を焼かれることにひどく抵抗感を覚えるらしい。
恐らくは照れや意地の問題だろうか。
殊更に子供扱いをするつもりはないのだけれど、見た目に引っ張られるせいか、ついつい構ってしまいたくなる。
少し自重しなければならない。
やり過ぎて嫌われてしまっては元も子もないのだ。
「わざわざ繋がなくてもはぐれたりしないっての。てか離そうとしてもお前の方が離してくれないだろ、アーラ」
苦笑交じりにソラはアウローラの手をゆるゆると振りほどこうとする。
けれど、アウローラは決してその手を離そうとはせず、むしろさらに強く少年の手を握りしめた。
絶対に離さない。
そう目で訴えかけると、少年は観念したように小さく肩を竦める。
「あら? 抵抗はもういいのですか?」
「しても無駄だろ。手ぐらい別にいいよ。せっかくのデートだしな」
「デート……!」
その言葉にアウローラはドキリとする。
デート。
それは親密な関係にある男女が二人きりで出掛けることを意味する。
まさか主の方からその言葉が出るとは思わず、アウローラは熱くなった頬に手を当てて小さく体を震わせる。
そんな彼女の反応をどう受け取ったのか、ソラはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「……兄様。なんですか、その顔は?」
「いや? なんだかようやく反撃できたなと思って。それより買い出しするんだろ? 早く行こうぜ」
そう言ってソラはくいくいと手を引っ張り、先を促す。
なんだか誤魔化された気がしないでもないけど、アウローラはまぁいいかと思い直した。
主と手を繋いで歩くこの感覚は少しくすぐったくて……それ以上に心が温かくなる。
まるで幼かったあの頃に戻ったかのよう。
そのうえ誰の邪魔もない二人きりのデート。
それだけで彼女は天にも昇るような気持ちになる。
ああ、なんて幸福な時間。
アウローラは弾む足取りで少年の手を引き駆けだした。
†
――そのわずか数十分後。
「あ、あれ? おかしいですね。確かこっちが中央の広場のはずなんですが……」
「アーラ、お前……」
自信満々に先導していたアウローラの声に早くも不安の色が滲み始める。
そんなアウローラにソラはかわいそうなものを見るような目を向けた。
ソラたちは最初こそ順調に目的の店へ向かっていたものの、市場の入り口から中心部へ向かうにつれ人の数は増していき、その波を避けるうちに気づけば人通りの少ない路地裏に入り込んでしまっていた。
建物の影が落ちる薄暗いその空間からは活気ある喧騒も遠ざかり、代わりにどこかひんやりとした空気が漂っている。
「……これ完全に迷ってないか?」
「そ、そんなことはありませんっ」
ソラの指摘につい勢い否定したものの、アウローラの目は思いっきり泳いでいた。
声も泣きそうなくらい震えている。
そんなはずはないと本人は自分に言い聞かせているようだが、残念ながらさっきから同じ道をぐるぐる回っている事実は変わらない。
「ち、地図! そう、この地図が解りにくいのがいけないんです!」
視線に耐えかねてアウローラは出かけに渡されたフェリシア手製の地図をぶんぶんと振り回して猛烈な抗議を行う。
ソラはその地図を受け取って見てみると、そこには几帳面な字で店の名前や取り扱っている商品、行き方などがシンプルかつ丁寧に書かれている。
ラルクスに住む者なら逆に迷う方が難しいレベルの内容だった。
「………………」
「……うぅ。そんな目で見ないでください」
「いや、別に責めてるわけじゃないんだけど……」
『代償』によってアウローラの色覚は健常者に比べ、極端に弱くなってしまった。
色の識別による周囲の状況把握が困難となったことで、アウローラはとかく道に迷いやすい。
当然ソラもそのことを知っているし、言った通りアウローラを責める気は毛頭ない。
とはいえ、曲がりなりにも10年住んだ街で迷うとはさすがに思っていなかったが。
「まぁ迷ったものは――」
「迷ってませんっ!」
「……オーケー。お前は迷ってない。ちょっと道を間違えただけだよな。うん、兄ちゃん分かってる」
涙目で睨んでくるアウローラに、ソラはそっと視線を逸らして内心で溜息を漏らす。
見た目は完璧なクール系美人に成長したのに、妙なところで意地っ張りなのは子供の頃のままだった。
「まぁ、ひとまず引き返して大通りの方に出ようか。そこで誰かに道を訊けばとりあえず何とかなるだろ」
「……はい」
どこか納得のいかない様子でアウローラが渋々頷く。
このまま彼女に任せていたら日が暮れても目的地に着かない気がしたので、今度はソラが前を歩き先導することにした。
細かい道順は分からないが、おおよその方角は把握しているので通りに出るくらいは出来るだろう。
ソラはアウローラの手を引き、来た道を引き返そうと踵を返す。
その時だった。
「……ん?」
不意にアウローラとは逆の手が引っ張られる。
振り返ってみると、そこにはソラの袖を掴む幼い少女の姿があった。
歳は今のソラと同じ……10歳ほどだろうか。
肩口で切り揃えられた真白い髪と可愛らしい顔立ち。
袖を掴む力は存外に強く、立ち止まっても離してくれる気配がない。
「……小娘。誰の許可を得てその人に触れているのかしら?」
突然現れた少女にソラは戸惑ったが、アウローラの方はというと二人きりの時間を邪魔された苛立ちの方が勝ったらしい。
アウローラの声はこれまでになく低いものだった。
紅い双眸には大の大人でも震え上がるほどの怒りに満ちている。
しかし、そんなアウローラの眼光にも少女は怯むことなく、じっとソラを見つめる。
「どうかした? ひょっとして君も迷子なのか?」
怯えさせないよう努めて穏やかに少女に問いかけた。
しかし、少女はその問いには答えない。
まるで心の奥底を覗き込むように、ただ静かに琥珀色の瞳でソラを見つめ続けるだけだった。
(……一体なんなんだ?)
怪訝に思っていると、ふと少女の手がソラの頰へと伸びる。
それは敵意も害意もない、極々自然な仕草。
だからこそ油断していたのだろう。
少女の手が触れた瞬間―――
強烈な眩暈にソラの意識がすっ飛ばされた。
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