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鳴神の嫁取り 〜橋の下で拾った龍神様に、十五年越しに溺愛されています〜   作者: まきぶろ


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龍神の帰還


 その頃、神祇省の陰陽寮では千咲の父、御影宗継がいつものように文机に向かっていた。


 磨き込まれた漆塗りの文机の上には、結界保守の報告書と、暦から組んだ国の祭祀日程の草案、地方の社から届いた、神域を維持するために執り行われた様々な祭祀記録が積まれている。

 白い紙に黒々と並ぶ文字の群れを眺めながら、宗継は朱の印を取り、承認するもの、確認が必要なものとを分けて書類へひとつずつ押していった。


 神祇省。

 この国において、人と神との間を取り持つ役所をそう呼称する。

 この国の主神は、天照大神。人々は畏れと敬いを込めて、ただ大神と呼ぶ。

 大神をはじめ、水神、山神、風神、雷神、田の神、火の神。他にも八百万おわすこの国の神々は、昔語りや絵巻物の中だけの存在ではない。

 神域に座し、祭祀の場に御姿を現し、時には質量のある姿をとって都を歩く。機嫌を損ねれば風は荒れ、雨は止み、火は祟りとなって家々を焼く。逆に神々の御心が安らかであれば、田畑は潤い、川は静まり、子は健やかに育つ。


 だからこそ、神に仕える者たちは、ただの信仰者ではない。

 陰陽師と巫女だけでなく、儀式で使われる護符や御札を作る札師、刀鍛冶や宮大工、祭祀の実行に関わる末端の人間や各地の神域を管理する地元の者まで含めると膨大な数の人間が神祇省に関わって生活している。


 呼び名はそれぞれ違えど、現在ではその多くは神祇省に属し、俸給を受け、国の命に従って働いている。

 華やかに見えるが、その実、神事とは地味な積み重ねの連続だった。どの社で、何の神に、いつ、誰が、どのように祭祀を行ったか。その祭祀でどの祝詞を唱え、神に何を供えたのか。誰がどんな御札を納めてどこに使ったか。

 記録を残し、手順を間違いなく後世に伝える。誤れば神の不興を買ってしまうからだ。神に仕える役所であると同時に、神の怒りを人の暮らしへ及ぼさぬための堤でもあった。


 御影家もまた、代々その神祇省に仕えてきた家である。

 古くは札作りと祭祀を得意とし、神域へ納める守り札、結界の護符を含めて様々な御札を作ってきた。特に、御影に作れない札はない、と評判だった時代もある。


 ただし、今の当主である御影宗継自身が、陰陽師として特別に優れているわけではなかった。


 結界の保守はできる。一般的な祭祀も滞りなく行える。暦を読み、方位を選び、弱い妖異なら調伏する事もできる。

 だが、周りを感嘆させるほどの霊力はない。荒ぶる妖を一息で鎮めるような力もない。

 どこまでも、役所の中で大過なく働く平凡な陰陽師でしかなかった。


 それでも宗継は、自分が歴史の長い御影家の当主である事に誇りを持っていた。

 妻の菊乃は、優秀な巫女として知られている。娘の澪には、水神の加護がある。息子の要は跡取りとして神祇学校でよい成績を取っている。

 ならば、御影家はまだ十分に名家であると、宗継はそう思っていた。


 長女の千咲については、少し扱いに困っている。

 家事はする。帳面も付けられる。菊乃が忙しい時には雑用も引き受けているようだ。家の中の細々とした用事にも、文句を言わずに手を動かすので細かい気もきく。

 だが、人前で話せるようなちゃんとした長所がないのだ。

 簡単な札は書けるらしい。しかし、神祇省や奥方衆の間で評判になるような札を納めているのは、菊乃と澪だけである。

 長女なのだから、巫女として忙しい母と妹を支えるのは当然。

 家に残っているのだから、家の仕事をするのも当然。

 表に立つ力がないのなら、裏で家を支える役割を負うべきだろう。

 それは宗継の中では、筋の通った役割分担だった。


「御影殿」


 机の向こうから、同僚の陰陽師が声をかけてきた。


「奥方の厄除け札、また評判になっておりましたよ。先日の茶会で、城北の奥方がたいそう喜ばれたとか。気の流れが澄む、よい札だと」

「ああ、そうでしたか」


 宗継は静かにうなずいた。

 誇らしい。だが、当然でもある。

 菊乃は優秀な巫女だ。

 霊力の高い巫女だと評判で御影家に嫁いできただけはある。我が家の家業である御札を作る腕も良いとは今でも嬉しい誤算だった。


「澪嬢の水守りも、相変わらずよく効くそうで。水神の加護持ちは違いますな。先月、東の井戸に納めた札も、ずいぶん評判がよいとか」

「お褒めいただき光栄です」


 別の同僚が感心したように言った。それに、嫌味に見えない程度に控えめな謝意を示す。


「いや、御影家は安泰ですな。奥方は巫女として名高く、澪嬢は水神の加護持ち。要殿も学校で優秀と聞いております。羨ましい限りです」

「ええ。要もよく励んでおります」


 家族を褒められた宗継は少しだけ口元を緩めた。

 要は跡取りだ。家の名を継ぐ者として期待しているが、それだけではなく実際に応えてくれる優秀な息子だ。

 ふと、千咲の名を口にする同僚はいなかった事に気付いたが、宗継も特に言う必要を感じなかった。

 千咲は家の中の事をしている。それは大切な事ではあるが、この場でわざわざ誇るような功績ではない。家を回すための裏方仕事をするのは長女ならば当然だろう。

 そういうものだ。


 宗継は仕事に意識を戻すと、次の書類に印を押した。

 その時、陰陽寮の奥の方から、低いざわめきが広がったのに気付く。

 神祇省は、神々の名を扱う場所である。普段から、声を荒げる者は少ない。とりわけ大神宮からの書状や、神域に関わる記録を扱う部署では、廊下を走る事さえ慎まれる。

 それなのに、今は廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。

 誰かが「本当なのか」と息を呑む声も聞こえて、その騒々しさに思わず宗継は顔を上げた。


「何事です」


 同僚たちも一斉に喧騒の元、廊下の方を見る。

 やがて、一人の若い役人が衣擦れの音を盛大に立てながら駆け込んできた。

 頬を紅潮させ、息を切らし、その手には大神宮からの正式な書状を示す金縁の白い筒が握られている。


「知らせです! 大神宮より、正式な知らせが届きました!」

「落ち着きなさい。何の知らせです」


 上役が声をかけると、若い役人は一度深く息を吸った。そして、震えを抑えるように背筋を正してから口に出した。


「大神宮より、御神託が下りました。大神の弟君、鳴神龍臣命が、長き修行を終えられ……大神より、ひと柱の神として新たに神座へ戻る事を認められたとの事です」


 部屋の空気が、一瞬で変わった。

 大神の弟君。鳴神龍臣命、それは荒ぶる水と雷を司る龍神。

 かつてあまりにも激しい力ゆえ、神々の間でも畏れられ、大神によって神の世を追放されていた存在だ。

 その龍神様が、神の座に戻られた。


「それは……なんとめでたい」

「大神の弟君が水を司る神として座へ戻られるとは」

「水に関わる神々も、これでより安定するだろう」


 陰陽寮の中に、安堵と祝いの空気が広がった。

 龍神が神の座に戻る。それは、ひと柱の神が帰還するというだけの話ではない。


 この国において、水は恵みであり、同時に災いでもある。

 田畑を潤す雨も、度を越せば濁流となる。井戸を満たす水も、滞れば穢れを生む。川は人の暮らしを支え、同時に、怒れば家も橋も押し流す。

 その水を司る龍神が、大神より神座へ戻る事を認められた。それは、この国の水の巡りが、より強く神の守りを得るという意味でもあった。


 十五年前まで、この国は永く水に苦しんでいた。

 雨が降らない土地では、井戸の底が白く乾き、田畑はひび割れ、稲は穂をつける前に枯れていった。村々では雨乞いの祭祀が繰り返され、神祇省から陰陽師や巫女が派遣され何度も祈祷が行われたが、空は一向に雲を運んでこない時もあった。

 かと思えば、別の土地では、ようやく降った雨が恵みではなく災いになる。山から流れ落ちた水は川を膨れ上がらせ、橋を流し、家を押し潰し、人々が必死に築いた堤を一夜で壊した。


 水が足りない。けれど、降ればすべてを壊していく。

 渇水と濁流が隣同士の土地で同時に起こる、その原因は分かっていた。わが国には「水」を司る最高位の神がいないのだ。大神によって追放されたとは言い伝えられていたが、詳しい事情は神託を直接見聞きできるような国の上層部しか知らない事だ。大神の弟君の事は、地上の人々が軽々しく詮索できるものでもなかった。

 だがそれが永い間この国の日常で、各地にいる水の神々の力をお借りして、何とか人々は暮らしていた。


 けれど十五年前、その乱れがふいに鎮まり始めたのだ。

 枯れかけていた井戸には少しずつ水が戻り、ひび割れていた田畑には、種を流さない程度の穏やかな雨が降るようになった。雨がふるたび荒れ狂っていた川は、まるで怒りを忘れたように静まり、毎年のように流されていた橋も、その年からは壊される事がなくなった。


 誰もが、神の御業だと思った。実際、その予想は当たっていた。神託が降りたのだ。

 その神託の解読によって、大神の弟君鳴神龍臣命が神の座に戻るべく修行を始めた事、そして水に関する神に強く愛された子がこの国のどこかに生まれたらしい事が分かった。

 こうしてその年に生まれた子供達を調べ始めた神祇省によって、御影家に生まれた澪に、水神の加護があると判明したのだ。

 以来、澪は国の水を鎮めた神に愛された娘として扱われている。


 水神の加護を持つ娘。

 御影家の誇り。

 いずれ国の水祭祀を支える巫女になるべき娘。

 宗継にとって、澪はただの末娘ではない。御影家の名を高め、家の未来を明るく照らす誇らしい存在だった。

 だから、龍神の帰還は宗継にとっても無関係ではなかった。

 水を司る神が神座へ戻られるなら、水神の加護を持つ澪の名も、より重くなるかもしれない。水神の加護を持つ娘として、より多くの祭祀へ呼ばれるかもしれない。御影家は、さらに神祇省の中で重く扱われるようになるかもしれない。

 宗継が胸の奥が高鳴るのを感じた、その時だった。


「御影殿」


 陰陽寮の入口に、ひときわ高貴な色の衣をまとった役人が立っていた。

 上位祭祀官である。国が直接管理する神域に関わる重要な祭祀に携わり、帝とも直接お目通りの叶う立場の者だ。歴史が長い家とはいえ宗継のような家格の陰陽師へ、直接声をかける用事はあまり思い浮かばないのだが。

 宗継は慌てて立ち上がった。


「はい。御影宗継でございます」


 上位祭祀官は、先ほどまで広がっていた祝いの空気とは対照的に、真剣な顔をしていた。

 それを見た宗継の背筋も、自然と伸びる。


「御影家の御令嬢について、確認したい事があります」

「娘、でございますか」


 宗継の脳裏に浮かんだのは当然、澪だった。

 水神の加護を持つ娘。御影家の誇り。神祇省でも名の知られた巫女。


「御影澪の事でしょうか」


 宗継がそう言うと、祭祀官は短くうなずいた。


「その御影澪殿です。十五年前、水神の加護を受けたと記録されている娘ですね」

「はい。間違いございません」


 宗継は背筋を伸ばした。

 同僚たちの視線が、一斉にこちらへ向く。驚きと羨望と好奇心、そしてわずかな緊張。

 悪い気はしなかった。


「澪は幼い頃より、水の加護をいただいております。これまでも水守りの札や祭祀補助で、神祇省にお役立ていただいているはずです」

「ええ。その記録は確認しております」


 祭祀官は手元の書状を見た。


「実は、このたび神の座に戻られた鳴神龍臣命が、ある娘を探しておいでなのです」


 その言葉に、宗継は瞬きをした。


「龍神様が、娘を?」

「ええ。鳴神龍臣命から、こちらの御札を書いた者を探せとご用命されました」

「これは……たしかに、娘の……澪の書いた御札です」


 宗継は祭祀官の差し出した御札を手に取り、裏に書いてある名前を確認する。

 その答えを聞き、周囲がざわめいた。

 鳴神龍臣命は、長年祀られる神が不在となっていた「水を司る神」が祀られるはずだった社に降りられた。そこに、神の御力の一端を少しでも補うために奉じられている御札の一つを手に取りそう言われたのだという。

 大神の弟君たる龍神が、澪を探している。 そう聞いた誰もが、同じ結論を思い浮かべた。


「まさか……」


 同僚の一人が息を呑んだ。


「御影殿、これはもしや、澪嬢が龍神様に見初められたという事では」

「水神の加護を持つ娘が、龍神様の目に留まったのか」

「御影家にとって、大変な誉れではないか」


 宗継は、すぐには言葉が出なかった。

 澪が水神の加護を持つ事は、御影家の誇りだった。だが、大神の弟君である龍神が探しているとなれば、話はそれどころではない。


 もし澪が、龍神の目に留まったのだとしたら。

 水神だけでなく、最高位の龍神のご加護を授かるのかもしれない。いや、もしかしたら神嫁……神の伴侶に召し上げていただける可能性も宗継の頭の中をよぎった。

 そうならば御影家は、ただの加護持ちの娘を出した家ではなくなる。

 大神の弟君と縁を結ぶ家となる。神祇省における御影家の地位もこれまでとは比べものにならないほど高まるだろう。

 宗継は、胸の奥で熱いものが広がるのを感じた。


「祭祀官殿」


 宗継は声を抑えた。


「それは、澪が龍神様の……」

「神の御心を勝手に推し量るような真似は出来ません」


 祭祀官は慎重に言った。


「しかし、龍臣命が探しておられる娘と、御影澪殿で間違いないと思われる。つきましては、後日、正式な対面の場を設ける事になります」


 正式な対面の場を神祇省が設ける。

 つまり大神の弟君である龍神と、御影澪を引き合わせるという事だ。

 その重みを理解した瞬間、宗継の胸が大きく鳴った。


「承知いたしました。御影家として、万全の支度をいたします」


 宗継は深く頭を下げた。同僚たちが、口々に祝いの言葉をかける。


「御影殿、これはめでたい」

「水を司る龍神が戻られたと喜んだばかりなのに、なんと。御影家はますます栄えますな」

「澪嬢は、やはり特別なお方だったのですね」


 宗継は力を込めて重々しく頷いた。

 そうだ。澪は特別だ。水神の加護を持ち、国を救った神に愛された娘。その澪が、今度は龍神の目に留まった。

 御影家の名は、いよいよ高まる。


 妻には、澪の支度をしっかりさせなければならない。高位の神の前での作法など、さすがに澪の歳では知らないだろう。

 要にも、跡取りとして恥ずかしくない振る舞いをさせなければ。

 宗継は、頭の中で家の段取りを組み始めた。

 神域へ出向くなら、澪の着物は何を用意するべきか。私達家族も恥ずかしくない装いをしなければならないだろう。それに、龍神にお目通りするならば、奉納する供物も用意する必要がある。支度にはこうした細々とした部分がある。千咲にはこうした裏方働きをしてもらう事になるだろう。


 宗継は、気付いていない。

 龍神が求めたのはこの御札を「書いた者」で、御札に書かれた名前の人物を探しているのではない事に。

 本当に探すべき娘は、晴れの場に立つ澪ではなく、家の片隅で古い着物の袖を墨で汚しながら御札を書いている長女だという事を。

 母と妹の名で評判になっている札のほとんどが、誰の手から生まれているのかを。

 御影宗継は、まだ知らなかった。


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