5 欲望
「聖女に相談すれば、何かが変わるらしいぞ」
そんな噂が、広がり始めた。
村の外にまで広がった噂には尾ひれがついて、過剰な期待をされるようになり…困惑することが増えた。
そんなある日、教会の扉が乱暴に開かれた。
「おい、そこの聖女!俺の悩みを聞け!」
現れたのは、村長だった。
肥えた体に金の刺繍が施された服をまとい、顔には傲慢さが滲んでいた。
「村長さん……どうされましたか?」
私は、いつものように席を勧めた。
けれど、彼は椅子に座ることもなく、教会の中央で大声を張り上げた。
「俺の悩みはな、女どもが俺に媚びないことだ!」
教会の空気が凍りついた。
「昔はな、俺が一声かければ女は群がった。だが今はどうだ?ハーレムの女どもは我儘ばかり言いやがる!俺に従わん!静まらん!俺に尽くさん!」
私は言葉を失った。
「それは……悩み、というより……」
「お前は聖女だろうが!人の悩みを聞くのが仕事だろうが!」
彼の怒声に、相談に来ていた村人たちは怯え、教会からそっと出ていった。
私は、深く息を吸い込んだ。
「村長さん。私は、心の痛みや迷いを聞くためにここにいます。ですが――」
「俺の心は痛んでるんだよ!女に裏切られてな!」
「……それは、あなたが彼女たちをどう扱ってきたかによるのでは?」
村長の顔が赤くなった。
「お前、俺を責めるのか?孤児あがりの聖女のくせに!」
「私は、誰かを責めるためにここにいるわけではありません。ただ、悩みの形をした欲望には、お応えする事はできません」
その言葉に、村長はしばらく黙っていた。
そして、低く呟いた。
「……なら、お前を連れて帰って、俺の悩みを解決させてやる」
「え?」
「お前がいれば、女どもも従うだろう。聖女様が俺に尽くしてるんだってな」
私は、背筋が凍るのを感じた。
「それは、違います。私は誰かの所有物ではありませ…」
「黙れ!」
村長は、私の腕を掴んだ。
「お前は、俺の悩みを解決する鍵だ!聖女なら、俺の望みを叶えろ!」
教会の奥から、シスターが駆け寄ってきた。
「村長!何をしているんです!」
「邪魔するな!これは村のためだ!」
私は、村長に引きずられるようにして教会を出た。
その時、あの青年――旅人風の彼が、教会の門の影からこちらを見ていた事に気が付いた。
目が、合った。
彼は、何かを言いかけたが、村長の怒声に遮られた。
手を、伸ばすわけには…いかない。
迷惑をかけてしまうに違いないから。
私は、心の中でそっと祈った。
「誰か……助けて」
その祈りが、届くことを信じて――
村長の屋敷は、教会とはまるで別世界だった。
絹のカーテン、金の装飾、豪華な食器…。見目麗しい調度品が、ホコリひとつついていない清潔な空間に並んでいるのだが、館内の空気は、どこか淀んでいた。
「お前はここで、俺の悩みを解決するまで働け!いいな!!」
村長はそう言って、私を屋敷の一室に閉じ込めた。
「悩み……ですか」
「そうだ。俺のハーレムが崩壊寸前なんだ。女どもが我儘ばかり言って、俺に媚びない。ギャアギャアわめいて静まらない。俺に尽くさない」
私は、言葉を失った。
「それは……人の心を、物のように扱っているからでは?」
「はあ?俺は村長だぞ?女どもは俺に従う義務がある!」
「人は、義務で心を捧げるものではありません」
「うるさい!お前は聖女だろうが!俺の悩みを解決しろ!」
私は、深く息を吸い込んだ。
「村長さん。私は、悩みを聞くことはできます。でも、それが“欲望”であるなら、私は何もできません」
「欲望?これは悩みだ!俺は苦しんでるんだぞ?!」
「……では、彼女たちの声を聞いてみては?」
村長は鼻で笑った。
「ふん!! そんなもの聞く必要などない。俺が正しいんだ、女どもが間違ってる」
私は、現代日本の常識を思い出していた。
人権、尊厳、対話、共感――この世界には、それが欠けている。
屋敷の中では、ハーレムの女性たちがそれぞれの部屋で暮らしていた。彼女たちは、村長の“寵愛”を受ける代わりに、自由を奪われていた。
「あなたが聖女?」
ある日、一人の女性が私の部屋に訪ねてきた。
「はい……あなたは?」
「私は、村長に“気に入られた”女の一人。でも、もう限界なの。誰も幸せじゃない」
彼女の瞳は、疲れ切っていた。
「どうして、ここに?」
「村長が、あなたなら私たちを従わせられると思ってる。でも、そんなことできるわけない」
「……私も、そう思います」
「じゃあ、逃げましょう」
「え?」
「この屋敷から逃げるの。あなたが来てから、私たちの中にも希望が生まれたわ。あなたが“聖女”なら、私たちを…救って。お願い……」
私は、迷った。
逃げることは、村長の怒りを買う。
けれど…、このままでは誰も幸せになれない。
私は、いつもの言葉を、口にした。
「…あなたの幸せを、祈ります」
その夜、私は女性たちと共に屋敷の裏口に向かった。
「逃げる気か?」
村長が待ち構えていた。
「聖女…お前は、俺の悩みを解決するまで、ここから出さない!」
村長は、私の腕を掴み、地下室へと引きずった。
「ここで一生、俺のために祈っていろ!」
暗く、湿った空間。
そこに、私は閉じ込められた。
「誰か……助けて」
私の祈りは、静かに空へと昇っていった。
そして――遠くで、教会の鐘が鳴った。
私は、信じていた。
優しさは、必ず誰かに届く。
——————情けは、人の為ならず。
そして、報いは……必ず、訪れる。




