14 黄泉比良坂 (トヨちゃん視点)
「ここはどこでしょう~?」
わたし――トヨウケビメ――は、そうつぶやきながら心細くさ迷っていました。
わたしは高天原メチャウマキノコを採集していましたが、突然、猛スピードのスポーツカーがいきなり現れて、天の羽衣で飛んでよけるヒマも無くはねられてしまったのです。そして、高天原から落っこちて、気絶から目覚めたらここにいて……。
「真っ暗でよく見えませんけれど、血の匂いがする川や人面樹、けたたましい声で鳴く見たこともない鳥……何だかおどろおどろしいところですわ。天の羽衣があったら、高天原へ飛んで帰ることができるのですが……」
きょろきょろ周囲を見回しながら、わたしはてくてく歩いて行きました。地上とは真逆の黄泉国の方角へと向かっているとは露知らずに。
「これこれ、そこのお嬢さん。お腹は空いていないかね? 美味しい果物があるよ?」
大きな亀裂が走った巨大な岩が道を塞いでいる場所まで来たとき、一人のおばあさんがわたしに声をかけました。
このおばあさんは、岩の向こう側から岩肌を這い上り、こちら側に来たみたいです。なかなかアグレッシブなおばあさんです。
「何という果物でしょう?」
わたしは食物の神で、アマテラス様のために美味しい食事を用意することを生きがいにしています。だから、「美味しい食べ物」と聞くとすぐに飛びついてしまうのです。
「死者の国の穢れを栄養分に育てた黄泉の梨……げふん、げふん。違う、違う。リンゴだよ。青森県産の栄養たっぷりのリンゴだよ。ほっぺたがぐちゃぐちゃのべちょべちょに落ちてしまうぐらい美味しいから、一個食べてみなさいな」
「まあ。よろしいのですか? ……でも、そんなに美味しいのなら、アマテラス様に持って帰って……」
「だったら、二個あげるよ。一個をあんたが味見して、もう一個をアマテラス様にあげればいいさ」
「本当ですか? おばあさんはとても親切な方ですね。ありがとうございます!」
喜んだわたしは、何の疑いもせず、黒い衣で顔と体を覆ったおばあさんからリンゴを受け取り、口に運ぼうとしました。
ですが、そのとき、
「トヨウケビメ殿! それを食べてはいかん!」
闇に染まった空に裂け目ができ、そこから一本の矛が光の速さで飛んできて、わたしの手のひらにのっていた赤い果実に突き刺さり、地面に落ちたのです。
「あらら……?」
何が起きたのか分からないわたしが、足元に転がっている矛を見下ろすと、果実が刺さっている刃の部分から黒ずみだし、腐敗し、あっと言う間に矛はぐちゃぐちゃに溶けてしまったのです。
「間に合って良かった。また矛が溶けてしまったが、やむを得ないな……」
裂けた空間から飛び降りて着地したサルタヒコさんは、何が何だか理解できていないわたしを背負うと、おばあさんのことなど相手もせずに巨岩とは逆方向に向かって全速力で走り出しました。
「別の空間へとワープできる矛を失ってしまったから、走って逃げるしかない! スペアの矛は彦太郎に手入れさせている最中だったことを忘れていた……!」
「あ、あの、サルタヒコさん? これはどういう……あ痛っ!」
「いましゃべったら舌を噛みますぞ、トヨウケビメ殿。話はあの老婆――黄泉醜女から逃げ切り、黄泉比良坂を抜け出した後です」
「ええっ!? ここって、よもつひら……痛っ!」
サルタヒコさんは自動車と競争しても勝ちそうな韋駄天走りでおばあさん……黄泉醜女から逃れようとしましたが、黄泉醜女はその折れ曲がった腰からは想像もつかない速さでサルタヒコ様を追いかけて来ました。
こ、これはもしかしなくてもピンチなのでは……!?
黄泉醜女は、黄泉の鬼女の中でも戦闘力が高くて穢れもたくさん持った恐ろしい鬼たちで、アマテラス様のお父様イザナギ様も彼女たちに追いかけられて死にかけたことがあるぐらい危険な存在なのです。わたしはいまごろになって、自分とサルタヒコさんが命の危機にさらされていることに気づきました。
だんだん距離を縮められ、走りながら後ろを振り向いたサルタヒコさんは「やはり、黄泉醜女の足には敵わないか」と言い、舌打ちしました。
しかも、一度振り向けば二人、二度目振り向けば四人、三度目振り向けば八人といったふうに黄泉醜女の数がどんどん増えていき、サルタヒコさんとわたしを黄泉国へ引きずり込もうと猛追して来ます……!
「トヨウケビメ殿。何か食べ物を持ってはいないか?」
「え? さ、採集した高天原メチャウマキノコならありま……いひゃい!(また舌を噛んだ)」
「それを黄泉醜女たちめがけて投げてくれ! 食い意地が汚い奴らは拾って食うはずだ!」
「た、食べ物を投げ捨てることなんて、死んでもできません! 食物神ですから!」
「死んだ気になって投げて欲しい! そうしないと、オレたちは本当に死ぬ!」
「そ、そんな……。食べ物を粗末にするなんて嫌です……。で、でも……アマテラス様ともう二度とお会いすることができなくなるのは、もっと嫌……。う、う、う……うわぁぁぁぁぁ!!」
わたしは激しい葛藤の末、背中のカゴにどっさりと入れていた高天原メチャウマキノコをすべて放り投げました!
「ああああああ……! 食物神が食べ物捨てちゃった食物神が食べ物捨てちゃった食物神が食べ物捨てちゃった食物神が食べ物捨てちゃった食物神が食べ物捨てちゃった……! ふ、ふぇぇぇ~~~ん!!!」
「トヨウケビメ殿、神の信条に反することをさせてすまない! だが、これで、黄泉醜女たちを足止めすることができる――」
「ふははは! 馬鹿めー! この程度の数、〇・五秒で完食じゃーーー!」
黄泉醜女たちは走るスピードだけでなく、食べるスピードも段違いだったのです!
あっという間に高天原メチャウマキノコを食べ尽くし、すぐにわたしたちを追いかけて来ました!
「ま、まずい! このままでは追いつかれてしまう! ……いや、あきらめてなるものか。オレは、妻のもとへ必ず戻る!」
サルタヒコさんは下駄を脱ぎ捨て、裸足で走り始めました。足の裏が黄泉比良坂の固くでこぼこした道で傷つき、血がにじんでも、ただひたすら地上めざして疾走します。ですが、それでも黄泉醜女たちは、サルタヒコさんを嘲笑いながら、曲がった腰で追い上げて来ます……!
も、もうダメ!
わたした死を覚悟して目をつぶったそのとき――。
「天羽々斬よ、薙ぎ払えっ!!」
突如、大風が巻き起こり、あと三十歩ほどでわたしたちにに追いつくところだった黄泉醜女たちは「うぎゃぁぁぁ!!」と叫びながら、はるか後方に吹き飛ばされました。
え? 何が起こったのですか!?
「スサノオ様! なぜここに? というか、アロハシャツから衣装チェンジしている!?」
「お前もカウボーイのかっこうから山伏の装束に着替えているではないか。これが、オレの神としての真の姿だ」
スサノオ様は、金襴の衣(糸に金箔を巻きつけた衣)にだらりと引きずるほど長い黒の袴という姿で現れました。右手にはあの八岐大蛇を切り刻んだ天羽々斬という剣を握っています。
「トヨウケビメに死なれたら、未来永劫、姉上に許してもらえないからな。それに、うずめに説教されたし……」
「え? うずめが何と?」
「何でもない! サルタヒコ、さっさと逃げろ。オレも、黄泉津大神となってしまった母上の手下たちをこの剣で消し炭にするわけにはいかぬから、適当にあしらってから退散するつもりだ」
「……恩に着ます!」
サルタヒコさんは、スサノオ様に頭を下げると、再び地上をめざして走り始めました。
「うおらぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!」
後方からは、黄泉醜女に対して剣を振るうスサノオ様の咆哮が聞こえていました。
<雑談コーナー:うずめ×トヨちゃん>
うずめ
「そういえば、トヨちゃんは同じ食物神のオオゲツヒメ(故人)とは面識あったの?」
トヨちゃん
「いえ、ウワサで聞いたことがあるだけですね。同じ食物神として、どんな料理を作る方だったのか気になりますが……」
うずめ
「……と、トヨちゃんは鼻や口、お尻から食材出したりはしないよね?」
トヨちゃん
「わたしはちゃんと高天原の都のスーパーで買い物しますよ?」
うずめ
「ほっ……」
トヨちゃん
「まあ、やろうと思ったら同じことできますが」
うずめ
「!?」