22 イーラスの提案
こうしてイーラスの屋敷へ戻ったティリアたちはドレスから私服へ着替えて今後について話し合い……はずだったのだが。
「……なぜ姉上がここに?」
ティリアの父、ケフローグも交えて話しをするため応接室へ移動したティリアたちの視線の先には、まるで私室でくつろいでいるかのようにソファーに座る女帝がいた。
想定外の光景に額を押さえながら訊ねたイーラスに対して女帝が心外そうに笑う。
「おや、可愛い弟の屋敷へ遊びにきてはいけなかったか? 久しぶりにセバスチャンが淹れた紅茶も飲みたかったのだが」
そう話しながら優雅に紅茶のカップを持ち上げた。その隣には慣れた様子で給仕をする老齢の執事。
「なら先に一声かけてください」
「サプライズという言葉を知っているか?」
そう楽しそうに話す女帝は服も豪華なドレスから室内用の簡易ドレスになっており、計画的な行動であることは一目瞭然で。
イーラスは軽くため息を吐くと背後にいたティリアとケフローグへ声をかけた。
「場所を変えましょうか?」
その言葉に女帝が素早く反応する。
「おや、私だけ仲間外れか?」
「姉上には関係ないでしょう?」
「何を言う? 可愛い弟の婚約の話なのだから、関係大ありだろう」
「婚約については第三王子が勝手に決めたことで、正式ではありません」
「だから、それをこれから正式にするのであろう?」
そう言って悠然とカップに口をつける女帝にイーラスがゆっくりと首を横に振った。
「私にそういうつもりは……」
ここで言葉を遮るようにケフローグが間に入る。
「ああなった女帝は場所を変えてもついてくるだろ? それなら、ここで話した方がいいと思うが?」
「よろしいのですか?」
「こちらは問題ない」
ケフローグが堂々と頷く。
だが、その態度と言葉遣いにティリアは小さく父の袖を引っ張りながら小声で訊ねた。
「あの、イーラス様への不敬になりませんか?」
その指摘にケフローグがあぁ、と説明をする。
「イーラスとは幼少期にいろいろあって兄弟のように育ってな。つい、その頃の調子で話してしまった」
初めて聞く話にティリアが確認するようにイーラスを見る。
すると眉尻をさげて軽く笑うように頷いた。
「そうなんだ。あの頃は幼いながらにいろいろと教えてもらったね。私にとって兄というか先生というか、そんな存在だから言葉遣いとか態度は気にしなくていいよ」
そう言いながらイーラスは二人を応接室内へと案内した。
女帝を挟んで左側の二人掛け用のソファーにケフローグとティリアが、右側の一人掛け用のソファーにイーラスが座る。
そこで最初にケフローグがローテーブルに額がつきそうなほど深々と白銀の頭をさげた。
「この度は我が娘が大変世話になった。この恩義、我が命尽きるまで胸に刻み、帝国へ尽くすことをこの場で誓う」
「お、お父様!?」
国王ではなく隣国の弟帝に忠誠を誓う言葉にティリアが慌てる。
だが、イーラスは驚く様子なくゆったりと足を組んで両手を膝の上にのせた。
「実直一直線なところも変わらないですね。ですが、今はあの頃とは違います。あなたはこの国の辺境伯ですし、帝国の臣下ではありません」
「それは承知の上だ。だが、もしこの国と帝国が争いになった時、私は帝国の臣下として動くことを誓おう」
頭をさげたまま迷うことなく断言する姿を横目に黄金の瞳がティリアを映す。
「それだけご息女が大切なら、もう少し気にかけてもよかったのでは?」
「それに関しては弁解の余地は一切ない」
清々しいほどに言い切ったケフローグがバッと顔をあげる。
「だからこそ、次の婚約者は慎重に、だが迅速に選び直したい」
この国では学園を卒業する前後で婚約者を決めることが多い。そのため優良な人材ほど早く婚約者が決まっていく。
ティリアと同い年、もしくは年上から婚約者を探すなら早急に動く必要がある。
「私もそう思います。辺境伯の重要性を理解しつつ、王家とも強い繋がりを持つ貴族を早めに選んだ方がいいでしょう」
「あぁ。そこで相談をしたいのだが、弟帝からみてオススメの貴族はいるか?」
まるで店先でオススメの野菜を訊ねるようなケフローグの口調。
だが、イーラスは真剣な表情のまま顎に手を当てて考えた。
「オススメ……ですか?」
「あぁ。帝国の番犬としてこの国の貴族を監視してきた弟帝が選んだ人材なら問題はないだろう」
「そうとは限りませんよ?」
眉尻をさげて渋い顔をするイーラスにケフローグがフッと笑う。
「この国の情勢について誰よりも把握しているのに、何を謙遜する?」
「いえ、少し詳しいだけですよ」
そんな二人の会話をティリアは黙って聞いていた。
女帝の弟であること、帝国の番犬としてこの国を監視していたことなど、イーラスの正体にいろいろと思考が追い付かない。
そこに婚約者の話まで出てきたらまともに頭が回らない。
(とにかく、今は目の前の課題に集中しないと)
必死に頭を切り替えて二人の会話に意識を集中させる。
イーラスがどのような人を婚約者として勧めるのか。イーラスが勧めるのだから問題はないだろうが……それよりも、胸が苦しいような変な感じがして意識が逸れてしまう。
(……領地のためにも、早く次の婚約者を決めないといけないのに)
頭では理解しながらも、感情は沈んでいく。
そんな微かに俯いたティリアを視界の端に映しながらイーラスは話を進めた。
「……そう、ですね。ここですぐに名をあげるのは難しいので、何人か候補を出して書簡でそちらへ送るのはどうでしょう?」
「そうだな。ここで焦って結論を出すより一度領地へ戻って検討した方が良いな」
そこにビシッと鋭い声と折りたたんだ扇子が入った。
「勝手に話しを進めるな、男ども。本人の意見も聞け」
その指摘にイーラスとケフローグが白銀の髪で表情を隠しているティリアに注目する。
集まった視線に驚いたティリアが慌てて顔をあげた。
「わ、私ですか!?」
大きな紫の瞳をパチクリしていると、女帝が優しい声音で訊ねた。
「そなたはどうなのだ? このままだ領地に戻って勝手に婚約者を決められるても良いのか?」
「私は……」
突然、話を振られていつも無表情な顔が少しだけ戸惑いに染まる。
ティリアは幼い頃から徹底して従順であるように育てられた。
それは辺境伯令嬢として領地や領民、国のために最善の選択ができるように。そして、この国を維持するための駒の一つとして生きるため個人としての意見はもたないように教育されていた。
だからこそ、学園でどれだけ蔑まれても田舎者と笑われても、この国の駒の一つとして個を捨てることで耐え抜くことができた。
(領地のため、領民のためを考えれば、婚約者は早めに決め直した方がいいことは明白。しかも、この婚約には領地だけでなくこの国と帝国にも影響がある……けど)
心の奥底で何かが叫んでいる。必死に両手を広げて訴えている。
だが、ティリアはその声に蓋をするように強く目を閉じて口を動かした。
「領地に戻り——————」
「ティリア嬢」
突然、名を呼ばれて顔をあげる。
その先では女帝が赤い髪を揺らして柔らかく微笑んでいた。
「そなたの本当の気持ちを述べよ。ここで本当の気持ちを述べても誰も罰しはせん」
王城の広間で見せた冷徹さは一切ない。穏やかな雰囲気に慈愛と慈悲を存分に含んだ声音。
その言葉に押されるようにティリアは自然と顔を正面へ向けていた。
そこにあるのは優しく自分を見守る黄金の瞳。年齢を重ねて渋みが漂う精悍な顔。それは、自分に居場所をくれた何よりも大切な存在で。
その目に、表情に、胸が甘く締め付けられる。
「わ、たし、は……」
ティリアが俯き、膝の上でスカートをキュッと握りしめる。
ずっと周囲に言われる通りに生きてきた。そうすることが辺境伯令嬢として当然のことで、それが最善だったから。
でも、私自身の気持ちは——————
膝の上に置いている手が微かに震える。
初めて自分の気持ちを言いたいと……
心の奥底で叫んでいる感情を言葉にしたいと感じる。
——————でも、怖い。
ここで自分の気持ちを言って、否定されたら、拒絶されたら……この気持ちをどうしたらいいのか分からない。
ティリアは何度か口を動かして声に出そうとしたが音にならなかった。
どうしても、最後の勇気が出なくて、声が言葉にならない。
戸惑いや不安が強過ぎて、自分でもどうすることもできない。
そんなティリアの様子にイーラスは組んだ足の上に乗せていた手をギュッと強く握り込んだ。
一見すると白銀の髪に顔を隠して俯いているだけにしか見えない姿。だが、イーラスはこの短い期間でティリアの表情を感じ取れるようになっていた。
必死に何かを訴えようとしているが、言葉にできない。
己と葛藤しているティリアの姿にイーラスは黄金の瞳を閉じた。
脳裏に蘇るこれまでの記憶。久しく忘れていた……いや、もう抱くことはないと思っていた、心の奥底に沈ませていたはずの感情。それが微かに揺れ動く。
イーラスはゆっくりと目を開き、静寂に満ちた応接室に低い声を響かせた。
「では、私とシィーク辺境伯が手合わせをして、私が勝ったら今後のことについてはご息女が自由に決める、というのはどうでしょう?」
思わぬ申し出にケフローグが片眉をあげた。




