17 王家からの招待状
その後——————
宝石店の元店員は警備兵に捕縛され牢へ。その場に居合わせた元同級生はそれぞれ屋敷へ帰ったという。
そして、襲撃してきた男たちについては捜査中で進展があれば教えると言われた。
ただ安全のためティリアは屋敷から外に出ることなく生活をするように。
そして、その日もいつものように広い庭で犬たちのブラッシングをしていたのだが、ふと顔をあげて空を眺めた。
「そろそろお父様から返事があってもいい頃ですが……」
辺境とはいえイーラスが現状をつづった手紙は届いている頃だし、場合によっては迎えが向かっているかもしれない。
襲撃者の目的が不明で、再び襲ってくる可能性もあるため、早めに実家に戻った方が良いことは分かっている。
「ですが、私は……」
これまでは周りから言われたことに疑問を抱くこともなく、その通りに動いていた。それが当然で、それが領民のためで、領地のためになると分かっていたから。
でも、今はその気持ちが揺らいでいた。
こんな感覚は初めてで、自分でもどうすればいいのかわからない。
「私は、どうすれば……」
紫の瞳にゆったりと流れる雲が映る。
そこにふわふわな毛が腕に触れた。
「わふっ」
「あっ、すみません」
視線をさげればブラシを持ったティリアの手の上に顎をのせるグレーの大きな犬が甘えるように上目遣いで見ている。その後ろには大人しく列を作ってブラッシング待ちをする大型犬たち。
意識を現実に戻したティリアはサッサッと手を動かしてブラッシングを再開した。
「ここが気持ちいいんですね」
「くぅ~ん」
狼にも似ているが、その甘えた声には迫力も野生味の欠片もない。
ピンと立った三角耳の後ろにブラシを通すたびに気持ちよさそうに目を細める。はじめは通りが悪かったごわごわとした毛も何度かブラシを通すうちに引っかかりがなくなり、光沢が現れてツヤツヤに輝く。
耳の後ろから首元、胸へとティリアがブラシを動かせばグレーの大きな犬はゴロンと芝生の上に転がり白い腹部をみせた。
「お腹もブラッシングしていいのですか?」
「わふっ」
腹部は急所となるため最初から甘えていた犬たちでも触らせることはなかった。それが最近になって少しずつ触らせてくれるようになっており、信頼されていることを感じる。
「お腹の毛は柔らかいのですね」
ザッザッとティリアが慣れた手つきで犬の腹部にブラシをかけていく。
ポカポカな陽気にブラッシングされている気持ち良さもあり犬がウトウトと微睡む。
その姿にティリアは少しだけ目を細めた。
「いい天気ですし、眠くなりますよね」
穏やかな風にのんびりとした空気。ずっと蔑まれ、嘲笑われていた学園の頃では考えられなかった生活。
癒され、満たされている……はずなのに。
気付けば脳裏に浮かぶ赤茶色の髪と黄金の瞳。長い前髪に隠れた精悍な顔立ちと、柔らかく微笑んだときに目尻に浮かぶシワ。
同年代にはない年齢を重ねた渋みと落ち着きに、これまで感じたことのない感覚が心を占める。
「はぁ……」
自然と落ちるため息。
(今は何をされているのでしょうか……この時間なら書斎でお仕事?)
ふと視線が屋敷へと動きかけた……ところで我に返る。
「だめ、だめ。今はブラッシング中ですから」
白銀の髪が盛大に揺れる。
突然の奇行に順番待ちで並んでいた犬たちが一斉にティリアを囲んだ。
「わう?」
「わふわふ?」
首を傾げて心配そうに見つめる犬たちの目。
自分の体と同じか、それより大きな犬たちに囲まれて普通なら怖くなりそうな状況だが、ティリアは犬たちの頭を順番に撫でながら軽く声をかけた。
「なんでもありませんから」
そう言いながらティリアは違和感を覚えた。
「……あれ、何匹かいない? ペロと黒色の毛のネグロと……」
集まった犬たちの数を確認していくティリア。
そこでブラッシングをされていたグレーの犬がブラシを咥えて差し出した。
「わふ! わふ!」
ブラッシングを止めたことを抗議するような声にティリアはブラシを受け取って謝った。
「あぁ、ごめんなさい。ブラッシングの途中でしたね」
「わん!」
その通りと言わんばかりにブラシを渡した犬が再びお腹をみせて転がる。
その愛らしい動きにティリアの顔が綻びかけたが、それを散らす大きな馬車の音が響いた。
「あれは……王城からの使者?」
王からの伝令を伝える馬車が屋敷の前で停まる。
「ごめんなさい、ブラッシングはまた今度で」
なんとなく嫌な予感がしたティリアがブラシと抜けた毛をまとめて屋敷へと走る。その背中を犬たちは黙って見送り、ティリアが屋敷に入ったところで一斉に姿を消した。
~~
ティリアが屋敷に戻るとメイドのマギーが声をかけてきた。
「ただいま来客がありまして。こちらでお待ちください」
「王城からですか?」
「旦那様は王族の方々とも交流がありますので、こうして使者の方が来られることがあります」
通常なら下級貴族である男爵家が王族と直接交流するなどありえない。
「あの、ずっと気になっていたのですがイーラス様は本当に男爵……」
そこに足音が近づいてきた。
「使者は帰ったから応接室の掃除を頼むよ」
赤茶色の髪をかきながら歩いてきたイーラスにマギーが笑顔で頷く。
「かしこまりました」
それから黄金の瞳がティリアを映した。
「それと、ちょっと話があるから書斎に来てくれるかな?」
「は、はい」
歩き出したイーラスの後をついていく。
広い背中からふわりと漂うシダーウッドの香り。いつもならその匂いに安堵するのだが、今日はなぜかざわざわと嫌な感じがする。
書斎に入るとイーラスはティリアにソファーを勧めた。
「とりあえず座って。あ、紅茶を持ってこさせようか」
「いえ、大丈夫です」
ソファーに座り膝の上に置いた両手をキュッと握る姿にイーラスは黄金の瞳を伏せた。
「じゃあ、先に話をしよう」
そう言いながらティリアの反対側に腰をおろすと、懐から封筒を取り出してローテーブルの上へ置いた。
「さっきの使者だけど、今度王城で第三王子が婚約発表をするから、それに参加しろって招待状を持ってきたんだ」
その内容に白銀の髪がピクリと揺れた。
ティリアの脳裏にクスクスと笑う同級生たちが浮かぶ。
新しい婚約者との婚約発表に婚約破棄をした相手を呼ぶなんて普通は考えられない。バカにするにも程がある。
無表情のまま静かに紫の瞳を伏せたティリアに対して、イーラスは肩をすくめながら息を吐いた。
「とことん君を笑いものにしたいみたいだねぇ。なかなかに悪趣味だ」
普通なら招待状を破り捨てるところだが、王族からの招待状が届いたのに出席を断ることは相当な理由がなければ不敬罪となるうえに、一代限りの男爵家など簡単に取り潰されてしまう。
そのことを知っているティリアは無言のまま体を小さくした。長い髪で顔を隠し、その下で口の端を噛んでひたすら感情を殺す。
そうやって表情を見せないようにしている白銀の髪にイーラスが軽く声をかけた。
「あ、君は心配しないで。私一人で出席するから。招待状に書かれていたのは私の名だけだからね」
「え?」
ティリアは反射的に顔をあげていた。
命令で嫁がされ、家からの承諾は得ていないが、現状としてティリアはイーラスの婚約者という立場になる。婚約者がいるのにパーティーに一人で出席するなど、それこそ笑いものになる。
ティリアの脳裏に学園で浴びてきた蔑みと好奇と侮蔑の視線が蘇る。少しでも動けば田舎者の作法と言われ笑われた。何も感じないように心を凍らせて、感情をなくし、耐えてきた。思い出しただけで体が震えそうになる。
そんな生活から離れ、やっと息ができるようになってきたのに。
王城でおこなわれるパーティーに行くということは、再びその空気の中に戻るということで。
思い出したくもない。二度と見たくない元同級生たち。けど、それよりも……
(イーラス様、一人にそんな思いをさせたくない!)
ティリアはしっかりと黄金の瞳を見据えて断言した。
「一緒に出席します」
予想外の言葉だったのか、いつも飄々としているイーラスの表情が少しだけ崩れる。
「……無理はしなくていいよ?」
「いえ、無理ではありません」
背筋を伸ばし、白百合のように凛とした姿にイーラスが目尻に深いシワを寄せて微笑む。
「わかった。一緒に出席しよう」
その言葉に固くなっていたティリアの心がほわんと柔らかなものに包まれる。触れていないのに伝わるぬくもりと、この人と一緒なら大丈夫かもしれないという希望。
ティリアがこれまで感じたことがない感覚に浸っていると、赤茶の髪がゆったりと動いた。
「じゃあ、ちょっと本気で準備をしようかな」
そう言って立ち上がったイーラスを追いかけるようにティリアも立ち上がる。
「あの、本気で準備って……何をするんですか?」
その言葉に振り返った黄金の瞳がにっこりと微笑む。しかも、その目の奥は狩りをする肉食獣のような輝きがあり……
「本気は本気だよ。あ、君もちゃんと協力してね?」
「は、はい」
声と表情は穏やかなのに有無を言わさないゾクリとする圧に反射的に返事をする。
そんなティリアを置いてイーラスが使用人に声をかけていた。
「セバスチャン、仕立て屋を呼んで。マギーはこの前オーナーが持ってきたアクセサリーに合わせたドレスの手配を……」
その途中で聞こえてくる言葉の端々にティリアは高額な金銭が動く気配を感じて背中が震えた。




