16 はじめてのおつかい~後編~
中年男の動きに素早くペロが反応したが、それより先に白銀の髪が揺らめいた。
ナイフとともにまっすぐ突き出した腕に白い手が絡み、中年男の体がぶわりと宙を舞う。
ドサッ。
盛大な音とともに中年男が仰向けに倒れた。
「なっ!? なにがっ?!」
華奢な少女に襲い掛かったはずなのに手を掴まれたと思った時には体が反転して背中を地面に打ちつけていた。
しかも……
「痛っ!?」
ナイフを持っていた手首を思いっきり踏みつけられ、その痛みに叫びながらナイフを手放す。
想定外すぎる展開に中年男が唖然としたまま視線を動かすと、冷淡に光る紫の瞳と目があった。
「目的は?」
最低限の言葉と感情のない声。
自分を見下ろすのは人形のように美しい少女で、虫も殺せなさそうな容姿。それなのに喉元にナイフを突きつけられているような恐ろしさが中年男を襲う。
「ヒッ」
言葉が出ない中年男にティリアが平然ともう一度声をかけた。
「どうして私たちを狙いました?」
顔を青くしたまま話しそうにない中年男にティリアが落ちていたナイフを拾いあげる。
「誰かに依頼されましたか? それとも私怨ですか?」
淡々と言葉を並べながらナイフの刃先を踏みつけている中年男の手に突き付ける。
「拷問の方法は一通り学んでおりますが実戦は初めてですので、粗相をしたらすみません」
眉一つ動かさずに感情のない声で述べた言葉に近くにいた元同級生たちが顔を青くして抱き合う。
そして、今にも手をナイフで刺されそうな中年男は恐怖に染まった声で叫んだ。
「や、やめろ! 話すから刺すな! おれは宝石店でおまえと一緒にいたオッサンが宝石の指摘をしたせいでクビになったんだ! しかも、そこの二人の親が宝石を売ってもいないのに賠償だの何だの騒いで、金を取り立てにくるんだ! 借金があったことがバレで家は追い出されるし、散々だ!」
その訴えにティリアが軽く頷く。
「つまり私怨ということですね。ですが、クビになったのは当然の結果だと思いますし、それは逆恨みだと思います」
淡々と言われた正論に中年男が手首を踏まれたまま顔を真っ赤にして怒鳴る。
「あのオッサンが余計なことを言わなければクビにならなかったし、こんなことにならなかったんだよ!」
「そう言われましても……」
と話しかけたところでティリアが顔をあげた。
紫の瞳を鋭くして中年男の手に向けていたナイフをクルリと手の中で回す。
「そのまま倒れていてください」
中年男に声をかけると同時にティリアが木の影へナイフを投げる。
その瞬間、複数の影が飛び出してきた。
「女だけを捕まえろ」
「他は殺せ」
低い声とともに布で顔を隠した男たちが一斉にティリアへ跳びかかる。
「ガウッ!」
そこに普段のおっとりとした様子からは想像できない素早さでペロが駆けだした。
「クソッ、邪魔な犬が!」
襲ってきた男の一人がペロを蹴ろうとしたが、それをサッと躱して襲い掛かる。その動きは明らかに訓練されたもので男たちの意識がティリアからペロへと移った。
「先に犬を黙らせ……ガッ!?」
指示を出していた男の声が途切れて地面に沈む。
「どうし……ヴッ!」
「何が……グッ!」
短い呻き声とともに次々と男たちが倒れていく。
犬に意識を奪われた一瞬で距離を縮めた細い腕がみぞおちに深い衝撃を与える。
「女の動きを止めろ……クソッ! すばしっこい!」
男が近づいてくる白銀の髪へナイフを投げるが残像を掠めて終わった。
他の男たちもティリアの動きを止めるために攻撃を仕掛けるが、地を滑るように低い姿勢で移動しているため傷一つつけられない。
それどころか……
「ちょっとお借りしますね」
男たちが持っていた棒やナイフを簡単な動きで奪い取り反撃していく。
「グッ!」
「ガハッ!?」
華奢な少女を相手に次々と倒れていく覆面の男たち。
通常ではありえない光景を元同級生たちと中年男が呆然と見つめる。
そんな三人の視線を浴びながらティリアは現状を分析していた。
(目的は私だけのようですが、どこの誰が……それに、これだけの数はさすがに)
最初は相手が油断していたため奇襲が成功した。
しかし、こちらの腕前がわかれば警戒されるし対応もしてくる。しかも数は圧倒的に不利。
(どうにかして警備兵へ……)
「ガウッ!」
ペロの鳴き声に視線をずらすと死角から拳が迫っていた。
「クッ!」
上半身を捻りギリギリでかわしたが次に迫る蹴りに対応ができない。
(当たる!)
ギュッと目を閉じたところで強く体を引き寄せられた。
「え?」
次にシダーウッドの香りが鼻をかすめ、ポスンと厚い胸板に白銀の髪が埋まる。
そして、代わりに長い脚が男を蹴り飛ばしていた。
「大丈夫かい!?」
焦り混じりの声に釣られるように顔をあげると、紫の瞳にボサボサに乱れた赤茶色の髪が映った。
「イーラス、様?」
ポカンと見上げるティリアの顔に対して、焦りに満ちていた黄金の瞳が安堵に染まる。
一方でイーラスの登場に男たちの動きが瞬時に変わった。
「退け!」
男たちが一斉に撤退し、何事もなかったように公園に静寂が戻る。
襲ってきた男たちの気配が消えたところでイーラスがふぅと息を吐き、腕の中にいるティリアへ視線を落とした。
「怪我はないかい?」
声は落ち着いているが渋みが漂う精悍な顔にはいつもの余裕はなく、長い前髪の下では薄っすらと汗が浮いているほど。
その様子に心の中で驚きながらティリアは頷いた。
「私に怪我はありませんが……あの、どうしてイーラス様がここに?」
当然の疑問に黄金の瞳が足元へやってきたペロを見る。
それからすぐに視線を戻して眉尻をさげながら言った。
「た、たまたま用事があって近くを歩いていたら大きな声が聞こえてね。気になって来たんだ」
「そうでしたか」
かなり怪しい言い訳だがティリアは疑う様子もなく納得する。
その素直さに別の不安を感じながらもイーラスは改めて周囲に視線を巡らせた。
腰を抜かした様相で地面に座り込んでいる元宝石店の店員。その近くで真っ青な顔のまま抱き合う身なりの良い少年少女の二人組。そして、襲ってきた男たちは動きから想像するに、この国の者ではない。
通常ではありえないこの状況にどう処理するか……と、イーラスが考えていると腕の中から消えそうな声がした。
「あ、あの、すみません。ご迷惑をおかけして……」
無表情ながらも不安が混じった声音にイーラスはニコッと目を細めた。
「君は何も悪くないんだから気にしなくていいよ」
「ですが……」
「それより、突然の襲撃にここまで見事に対処するなんて、さすがシィーク伯爵直伝の腕前だね。でも、ここから先は大人の仕事だから、セバスチャンと先に屋敷へ戻ってて」
「え?」
指さされた先には警備兵を連れてこちらへ走ってくる見慣れた老齢の執事の姿がある。
「セバスチャンさん?」
ティリアの声にセバスチャンが慌てて駆け寄った。
「お怪我はありませんか!? お迎えが遅くなり、申し訳ございません!」
「あ、いえ。怪我はありませんし、私は平気ですが……」
ティリアが顔をあげたところで黄金の瞳がニッコリと微笑んだ。
長い前髪の下で、精悍さと渋みが合わさった端正な顔の目尻に浮かんだシワ。年齢を重ねた落ち着きと心地よさに安堵してしまう。
そして、何よりも肌から直接伝わるぬくもりが……
と、ここでティリアは自分の体がイーラスと隙間なく密着していることに気づき、無表情のまま白い頬を少しだけ赤くしてパタパタと離れた。
「わ、わかりました。セバスチャンさんと先に屋敷へ戻ります」
「うん、うん。いい子だね」
大きな手が白銀の髪を撫でる。
それはまるで幼子をあやすような、子ども扱いをされているような感じで。
(……なんでしょう)
褒められて嬉しいはずなのに、モヤッとする。
自分でも分からない感覚にティリアが首を捻りながら胸を押さえた。




