14 微かに揺れる心~イーラス視点~
ティリアを部屋から出したイーラスは念のためにドアの前に立ったまま聞き耳を立てていた。
ボソボソと微かな独り言の後、軽い足音が隣の部屋へと移動していく。
そして、ティリアが隣の部屋に入った音がしたところで、ようやくイーラスは力を抜いた。
「ふぅ、危ない。危ない」
そう呟きながら踵を返して執務机へと足を進める。
ふわりとなびいた襟足から伸びる赤茶の髪が紺色に染まった薄暗い部屋に浮かぶ。
足を進めた先にあるのは、広くない部屋にポツンと置かれた執務机。
年季とともに磨き上げられた美しさは冷徹にも見えるが、その奥にはぬくもりと使いやすさがある。それは一見しただけでは分からない良さで……
そこまで考えて、イーラスは先程まで目の前にいた少女の姿を思い出した。
時間をかけてゆっくりと熟成させるように作られた氷のような透明な美しさを持ちながら、中身は誰よりも強く芯がある。それはティリアの父であるシィーク伯爵の教育の賜物だろうが……
自嘲を含んだ声とともに口の端のシワが深くなる。
「あんな可愛らしい女の子相手に本気を覗かせるなんて、私もまだまだだね」
ティリアが放った戦場の騎士以上の鋭い気配に意図せず本気が出てしまった。
「彼女とまともに戦って勝てる人間はどれぐらいいるか……とんでもない天賦の才の持ち主だよ」
そう言いながら引き出しをあけて必要な書類を手にする。
それからイーラスは振り返って本棚へ視線をむけた。
「おや、君もそう思うかい?」
本棚を改造して作られた柵の中。
枝にダラリと体を預けている白銀の蛇がチロリと赤い舌を出す。
「大丈夫。今のところ君の毒が必要になることはなさそうだから。……なるべく使いたくないしね」
そんなイーラスの言葉が不満だったのか白銀の蛇がプイッと顔を背ける。
「もう、そんなに拗ねないでくれよ。君だって平和が一番だろ? 戦場での脱皮なんて最悪な思い出だし、その中で毒をくれって無理やり絞られたのも嫌だったろう?」
その言葉に白銀の蛇が振り返った。
自分を見上げる琥珀の瞳にイーラスが肩をすくめて話す。
「運動ができなくて暇なら今度、山へ行こう。彼女と話していて、久しぶりに山登りをしたくなったし」
それで手を打ってやると言わんばかりにフンッと顔を振った白銀の蛇がダランと枝に体を預ける。
その様子にイーラスが口元を緩めた。
「じゃあ、近いうちに山へ行けるように仕事を進めるよ」
そこに軽くドアをノックの音が響き、長年仕えているセバスチャンの声が続いた。
「旦那様」
「入っていいよ」
音もなくドアが開いたところでイーラスが軽く首を傾げて訊ねる。
「どうかしたの?」
「なかなかお戻りになられないので、どこかで迷子になられているのかと。もしくは、行き倒れになられておられるかと心配いたしまして」
本心を隠した物言いにイーラスを手に持っていた書類を見せた。
「正直にサボってないか探しに来たって言えば?」
「まさか、そのような失礼なことは口にできませんので」
否定しない時点で十分失礼なのだが、付き合いが長いこの主従にはそういう気遣いは無用らしい。
イーラスが軽く片手をあげて歩き出した。
「ちゃんと戻って仕事の続きをするよ。あ、そういえば彼女がマギーの代わりに掃除をしていたから、料理長にご褒美を作るように伝えて」
「失礼ながら、ご褒美は旦那様が差し上げたほうが喜ばれるのでは?」
「私だと若い子が好きな物がわからないからね。流行のお菓子の研究に余念のない料理長に任せるよ」
そう言って赤茶の髪がスタスタと部屋から出て行く。
「まったく。そこまで気を使われるなら、ご自分でされればよろしいのに」
恋愛に対して不器用な主人の背中を眺めながらセバスチャンが愚痴をこぼした。
~~
そして、午後のお茶の時間――――――
「……これは何かな」
庭に突き出したテラスに置かれたテーブル。
そこにはカットされた様々なケーキが積み上ったケーキの塔があった。
そして、その隣でどことなく気まずそうに白銀の髪を風に遊ばせている美少女。その手にほうきとバケツはないが、その足元を犬たちがわふわふと絡んでいる。
そんな犬たちを軽く撫でながらティリアはイーラスに状況の説明をした。
「あ、あの、私が掃除を頑張ったご褒美に、と料理長が作ってくださったのですが……」
「……料理長が張り切りすぎたんだねぇ」
たしかにご褒美をあげてくれとは言ったが、ここまでするとは思わず。
イーラスが絶句しているとティリアが目を伏せてもじもじと話す。
「とても一人では食べきれないので、その、一緒に食べていただけると……」
ティリアは知らないのだろうが、こうなった元凶はご褒美を作ってくれと頼んだ自分だ。
イーラスは赤茶の髪を揺らして頷いた。
「こんなオジサンでもよければ」
その答えに白銀の髪がパッと動く。
「ぜひ!」
相変わらず無表情だが、大きな紫の瞳は輝き、声音には喜びが含まれている。
その姿に黄金の瞳が無意識に緩んだ。
「では、どのケーキから食べようか? 気になるのはあるかい?」
そう声をかけながら椅子に座る。
するとティリアも反対側にある椅子にふわりと腰かけた。スカートが空気を孕み白百合のような甘い香りが周囲を包む。
そこにスッとセバスチャンが現れた。
「取り分けますので、どのケーキがよろしいですか?」
その問いに白銀の髪が困ったように揺れる。
「どれも美味しそうで……」
「なら、すべて半分にしたらどうかな? それなら私も食べられそうだから」
イーラスの提案に紫の瞳が輝く。
「そうしてください」
「かしこまりました」
セバスチャンが取りやすい位置にあるケーキを皿に取り、それを二つに切り分けてイーラスとティリアの皿へのせる。
「いただきます」
白い手がフォークを持ち、ケーキを口に入れた。
「美味しいです」
そう言いながらも急いで食べるようなことはしない。フォークで音をたてることなく一口サイズに切り分け、上品に口へと運ぶ。
それは貴族の令嬢らしい優雅で気品のある動作だった。どれだけ犬たちと戯れても、屋敷の掃除を完璧にこなしても、並みの騎士よりも鋭い気配を放っても、元は伯爵家の令嬢であること認識させられる。
(こんなに可愛らしいのに、ねぇ……)
着飾って社交界へ出ればその美しさと洗練された仕草から注目の的になるだろう。
それこそ婚約者候補などすぐに集まる。
(けど、中身は強い芯と騎士以上の技を持つ。それを受け入れられる男がいるか……)
目の前で美味しそうにケーキを食べていく少女。
その隣に見知らぬ男が立つ。その光景をふと想像して……
「イーラス様?」
ティリアが手を止めて顔をあげる。
まっすぐ見つめる紫の瞳。顔は無表情なため感情は読み取れないが、少しだけ怯えが混じっているようにも見える。
その様子にイーラスはいつもの笑みを浮かべて訊ねた。
「どうかしたかい?」
「……いえ、なんでもありません」
言いたかったことを呑み込むようにティリアがケーキへ視線を落とす。
それに釣られるようにイーラスも自分の皿へ目を向けた。そこにはクリームとフルーツがたっぷりのったロールケーキがあり、その中でも一際鮮やかに輝くイチゴをフォークで刺した。
(一時的に保護しているだけだ。それ以上でも、それ以下でもない)
心の奥底から湧きあがりかけたドロリとした醜い感情には目を閉じてイチゴを頬張る。
みずみずしい果汁とともに甘酸っぱい味が口の中に広がった。




