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被験者

「急患だ、診てくれ!!」


女を抱えて戻ってきたライオットに医者は一瞬顔をしかめたが、腕の中の患者を見て、何かを察したようだった。すぐに診察台のひとつを指し示し、助手にも診察鞄を持ってくるよう指示を出す。


うつろに半ば閉じられた目の前で手を左右に動かし、反応がないと見るやまぶたをこじ開け、瞳孔の収縮を確かめる。その横で助手が怪我の有無の確認と、治療しやすいよう衣服のボタンを外していく。


それから、脈を測るためか女の手を取ったところで一瞬動きを止め、慌てて医者に耳打ちした。何を言ったのかライオットには聞き取れなかった。


しかし聞かされた医者はうなずき、助手は脱がしかけの衣服をもとに戻し始める。


「何をやってる!?」


詰め寄るライオットの肩を押しとどめるように医者は両手で触れてさがらせ、かぶりをふった。


「すまないが、わたしにできることはない。彼女はガニメデの調査員だ。まぁ、おそらくは被験者だろうが」


「それがいま何の関係がある?」


「ガニメデとは協定を結んでいる。彼らの所属には手を出せない」


医者は、先ほど助手が触れたほうの女の手首を返し、ライオットに付け根の部分を見せる。そこには、小さな入れ墨が彫られていた。


「ガニメデの証だ」


それを見たとたんライオットは頭を殴られたかのような衝撃を受け、息を呑んだ。その印には見覚えがあったからだ。


「それが証? ……母さんの手にも、同じものがあった」


医者がその言葉に動きを止める。


「……それはほんとうかね? いつだね?」


「な、なにがだ?」


「いつのことかと尋ねているのだ! 証が刻まれたのはきみが生まれる前か、あとか、どちらだ!?」


「……覚えていない。物心ついたときにはあったから、たぶん俺が生まれたときにはもう入っていたと思う」


詰問する医者の顔には奇妙な表情が浮かんでいた。ライオットにはそれがどういう意味を示すのか理解できず、一方で医者は平静を失い、上ずった声でつぶやく。


「もしや……あのときの?」


ライオットを見やる医者の視線が、突如として路傍の石を見る目から興味深い対象物へ向ける熱烈なものにかわる。


「ライオット君、きみは彼女を助けてほしいのだね? どうしても? きみには関係のない女性のはずだが?」


「関係がないとか、そんなこと言ってる場合か? 苦しんでるんだぞ!」


「……よかろう。ならば、取引きをしよう。わたしは彼女と腹の子を助けられるよう、できうる限り手を尽くす。かわりといってはなんだが、終わったらきみの母親のことを話してくれたまえ」


「なぜ俺の親のことを知りたがる……?」


可否の返事より前にライオットと医者のあいだに助手が割って入ってくる。


「先生、いけません! 協定があります! 相手はあのガニメデですよ、バレたらどうなることか……!!」


医者は焦りを見せる助手に冷たい視線を投げかけ、


「心配なら出て行きたまえ、わたしはとめんよ。そもそもわたしはただの記録係としてきみを雇ったのだ、それ以上の技量は期待しておらん。ただし、その分の支払いは引かせてもらう。きみの雇い主はガニメデではなくこのわたしなのだからね」


そう言い放ったあと、ふたたびこちらを振り返った。


「助けられると確約はできないが、医師として最善を尽くすことは誓おう。どうかね?」


医者でありながら取引きを持ちかけ、眼前の命に無頓着である様子は嫌悪をもよおすと言ってもまだ穏当な表現になる。しかし、いま彼女となにより腹の子にとってはこの医者だけが頼みの綱なのだ。


迷う理由はない。それが苦痛を伴う行為と引き換えだったとしても。


ライオットはうなずいた。


「昔のことを話すだけでいいんだな? もちろんだ。結果がどうであれ、あんたに任せる」





どのくらいの時間が過ぎたのか。やがて、扉を開けて医者と助手が出てきた。前掛けは血にまみれ、顔はやつれたように見える。対価を求めたとはいえ、たしかに医者として彼らは精いっぱいやったのだとその様子から伝わった。


ライオットの視線に、医者は頭を横に振る。


子どもは、との問いにも同様に。ただし、次に出てきた言葉は意外なものであった。


「赤子はいなかった」


「なに?」


「そもそも妊娠をしていなかったのだよ。子宮内膜は厚くなっていたが、着床の形跡すらなかった」


「……彼女は嘘をついたのか? なぜ、そんなことを?」


「嘘ではないのだろう。乳房も張っていたからね。おそらく、妊娠したと彼女は思い込んでいたのだ。脳というのは不思議なものでね、ときに強い思い込みに身体は応えてしまう。ガニメデが彼女を連れてきた以上、どう判断したのかはわたしにはわからないがね。……それよりも、きみ、わたしは約束を果たした。残念な結果となってしまったが、さぁ、今度はきみの番だ」

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