肝と引き換えに
「肝……どれが肝だ? お前、わかるか?」
叩き切った体はどこもぐちぐちねちねちとしていて、見分けがつかない。それになによりも触れたくなくてライオットがかたわらの犬に問いかけると、了解したとの返事めいたひと吠えをして、犬は異形の屍に鼻づらを突っ込み、探るようにかき回し始めた。
やがて薄紅色のぴくぴくとひきつるような動きをした何かを引っ張り出したかと思うと、ひとくちで呑み込んだ。
犬を伴い、今度こそ男のところまで戻る。
代金になるだろうかと見せれば、銃器工は姿に見合わぬ甲走った歓喜の声をあげ、犬が吐き出したぬらぬらと光る臓物を嬉しそうに携帯用の保冷箱に入れた。
「肝なんて、なんに使うんだ?」
「さあてね。高みに行けるとか、寿命が延びるとか、病気が治るとかいろいろ言われているが、おれが知ったこっちゃねえ。おれがわかっているのは、これを高く買う物好きがいるってことだけだ」
振り返るその顔は上機嫌で、さらに揉み手をしてみせると、
「これでお前さんはおれのお得意様ってわけだ。欲しいものがあれば言ってみてくれ。これでもたいていのモンは作れる。大砲でもなんでもな」
「大砲なんて、そんなものがほんとうに作れるのか?」
「そりゃ、簡単に作れるさ」
疑いの声に気を悪くした様子も見せず、
「おれは貧しい国の出身でね。銃声と砲弾が行き交う内戦のまっただなかに生まれた。身の回りにあるもので武器を作るのなんざ、たやすいもんよ」
と、胸を張ってこともなげに言ってのける。
ライオットは腰のベルトに留めている大猟刀にちらと目をやった。すくなくとも先の戦闘は上々であった。使い心地も悪くない。そう判断して、
「武器よりも今は情報が欲しい」
「おうよ、なんでも訊いてくれ。答えてやれるかはまた別問題だが」
「ここは、どこだ?」
「おっと、いきなり核心か。いいねえ、そういう直球は嫌いじゃない。だが残念ながら、どこなのかは誰も知らん。ただおれたちは≪聖域≫と呼んでる。そこが街だろうと砂漠だろうと氷山だろうとな。来るたびに姿を変えるが共通していることがひとつ、聖域の外はもやが濃くて、≪門≫という名の出入り口以外からは出られやしねえ」
「あの化け物どもは?」
「バケモノ……という以外になにか必要か? 見た目がヤバくて言葉がつうじず襲ってくる、それで十分だろ。ああ、そういや、一部、ある種の古生物に共通の特徴を見ることができるとかなんとか言ってたヤツもいたが……喰われて続きは聞けずじまいだ。不思議だよな、ここじゃ飲まず食わずでも生きていられる。なのに、お前さんも見ただろ? この世界のヤツらは喰うんだ。クソもしやがらねえ。ま、それはおれたちも一緒だけどな」
ひっひっひ、と自分の言ったことに自分で笑っている。
食べる必用がないのに食べるという益の無いおこない。食われたいわけではないが、その行為に意味はないと聞かされて、ライオットはますます異形たちへの嫌悪を募らせた。
「国は何をしている? 警察は? 軍は? なぜ俺たちを助けに来ない? こんな危険な場所を、なぜ放置してるんだ!?」
「そりゃ、ここには簡単に来られんからな。GPSに出ねえし、とうぜん緊急通報で助けを求めるなんざ無理だ。聖域はおれたちの世界の向こう側にある……いや、よくは知らんが、違う次元とでもいったほうが正しいのか?」
「どういうことだ?」
世界が異なるという言葉に衝撃を受けたライオットを、なにをいまさらという顔で銃器工は見つめる。
「そりゃ、そうだろ。おれらが普段暮らしている町の一部がこんなことになったら大変じゃねえか」
「その大変な場所を聖域なんてたいそうな名で呼んでるのにか?」
「気に入らねえなら、自分で別のをつけりゃいい。お前さんなら何にする?」
呆れただけで、呼称に文句があるわけではない。ライオットは銃器工の言葉を首を振って否定し、次に自分の役割は終わったとばかりに足元で丸くなっている犬を指さす。
「さっき、こいつのことを“悪喰”って呼んでたのは?」
「野良犬の種類だ。よほどのものでもない限りなんでも喰っちまう、歩く一時保管庫ってやつだ。便利だぞ。レア中のレアだ。気まぐれで手伝ってくれたりするもんだったが、お前さんみたいに懐かれてるのは初めて見たな。一生分の運を使い果たしちまったかもな」
「こいつらは何者なんだ? 野犬と言っても犬とも違うように思えるが」
「さぁなぁ? 教授に言わせると、バケモンと同じ世界の生き物らしいが、どうもヤツらとは仲がおよろしくないらしい。そういうヤツらをまとめて≪猟犬≫って呼んでる。お互いに、敵の敵は味方ってやつだな」
ようするにここには化け物以外に、それらと共生しているものや、この犬みたくそれらと敵対しているものもいるということらしい。銃器工の説明は続き、
「こいつは何でも喰うし、吐き出せる。風のように走るから、移動にも使えるってことだ」
「移動って、馬みたいに? たしかに大きいが、かといって乗れるほどでは……」
「いや、さっき言っただろうが、吐き出せるって」
「……喰われるってことか?!」
「ああ、ただヤツらをいただいたあとに喰われるだけのはやめておけよ。でなけりゃ、腹の中の臭え肉の寝台で到着までおねんねだ。あと≪悪喰≫に喰われたら、必ず出てこい。でないと無くなっちまうかもしれんからな」
「無くなるとは、まさか消化されるとか?」
「さてね。消化するような体のつくりができてるとは思えんが、意外と中は快適らしい。噂によるとあまりの気持ちよさに出てくるのを拒んだヤツがいて、ようやく仲間が引きずり出したときにゃ……あとはわかるだろ?」
常識が通用しないにもほどがある。言葉を失ったライオットに銃器工はにやりと笑いかける。
「それにしてもマジでバケモンを倒しちまうだなんて、お前さん、狩人だったか」
「ペトロヴァも口にしていたが、その“狩人”ってのは何なんだ? つまり、読み方の問題ではなく」
「たまにこの世界に順応でき、とてつもない能力を発揮する特別なヤツがいる。それが≪狩人≫だ。昔、聖域がまだ名もなかったころ、討伐に最初に成功して以来、そう呼ばれるようになったと聞いている。≪ガニメデ≫なんかは調査員の中でも優秀なのを狩人に仕立てあげてるとも聞くな」
「仕立てるってどうやって?」
「功績をあげた者は特別な薬を分け与えられ、それをのむと狩人になれるらしい」
「薬でなれるならわざわざ選抜せずとも、その調査員とやらを全員狩人にしたほうが早いだろう」
「ずいぶん貴重な材料からなる薬らしい。滅多に手に入らないそうだ。まぁ、この手のことは医者のほうが詳しい。あの人はいくつかの派閥と協定を結んでいるからな」
新たな人物を示唆する言葉が銃器工の口から出てくる。現時点ではペトロヴァと目の前の男以外に出会えていないが、じっさいには驚くほどさまざまな人間がこの世界に来ているらしい。
「医者がいるということは、病院があるのか? 怪我をしたら、その人のところへ行けばいいと?」
「病院というより簡易な治療所だな。あと、怪我というよりは、頭ん中があまりにもうるさくなったら、医者んところ行って脳を漂白してもらえってことだ」
「は? なんて言った? 脳を漂白する?」
これだ、と見せてもらった細長いガラス管に入っていたのは白くどろりとした液体だった。許可を得て栓を開ければ、とたんに強力な化学薬品のにおいにおそわれる。嗅ぐまでもなく呼吸だけで鼻の奥がツンとしてきて、のどの粘膜が削られた気がした。目もしみて痛い。
おもわず咳き込み、慌てて蓋をし銃器工に返す。返却してもなおあたりにしばらく漂う刺激臭に、ライオットは目をうるませる。
「こんなの服んで、大丈夫なのか?」
「まあ、多少意識は飛ぶかもしれねえが、アイツらに乗っ取られてバケモンになるよりはマシだろ。初期段階でしか効き目はねえし、使いすぎるとほんとに全部が真っ白になってヤバいことになるが……そこんとこまでいく前に大抵は死ぬからな。言うまでもないが、脳を漂白されれば記憶がなくなる。なにもかも消えて、驚きの白さってわけだ」
決して笑える話ではないのに、銃器工は冗談めかした口調で言ったあと、漂白剤をしまい直す。それからすこしだけ真面目な顔で、
「自分を、人であることを、忘れるなよ。忘れたら終わりだ。お前さんが会ったヤツみたいに、頭をやられちまう。囁きに耳を貸すな。ヤツらを脳内に入り込ませるな。絶対に根付かせるな。漂白だって、何度も使える手じゃねえ。人を外れたら最後、同盟も協定も掟も関係ない。狩る側から狩られる側に回ることになるぞ」
ライオットの胸に太いひとさし指を突き立て、忘れるなと念を押す。ライオットはその指をぞんざいに払いのける。
「べつに狩りなんてしたくない。医者といい学者といい、たくさんの派閥といい、こんなところに好んでやってくる奴の気が知れない」
「それは門が閉じて元の場所に戻ってから言いな。おそかれはやかれ、これを経験したものは、だいたいいつか戻ってくる。魅入られたようにな」
「あんたみたいにか?」
とたんに男は、化け物が跋扈する世界にいるとは思えないほど豪快に大声で笑った。
「おお、言うねえ。そのくらいでなくちゃ、ここじゃやっていけねえ。いいぞ、お前さんなら、この世界からほんとうに生きて帰れるかもな」




