最初の狩り
「あったぞ!」
可能な限り記憶をたどり、端から端まで目を凝らし、時間をかけてとおってきた道を探りながらもどっていたところ、ようやくペトロヴァと出会った小広場のやや手前に鈍く輝くものを見つけた。
ライターである。
やはり走り回っていたときに落としてしまっていたらしい。拾えば、馴染みのある小さな重みがこのわけのわからない世界ですこしだけライオットの心を慰める。
試しにドラムを回すとカチリと音を言わせ、柔らかなあかりが灯る。傷はついていないし、壊れてもいないようだ。
「よし、すぐにもど——」
今度こそ落とさないよう大切に懐にしまい、またしてもいっしょについてきた犬に向かって声をかけたところで、その犬が、曲がった背をますますたわめ、前足を大きく広げ、闇に向かってうなり声をあげているのに気がつく。
何かが、いる。
ライオットも闇の向こうに焦点を合わせ、いそいで猟刀をかまえた。
耳をすませば、囁きに混じって草が踏み倒される音がゆっくりと近づいてくる。
闇という衣を脱ぐがごとく、それは姿を現した。最初は低い位置に肉の塊がぬっと現れたので、何かが宙に浮いているのだと思った。しかし、つづいて現れたのは、体高こそライオットよりわずかに低いものの、体長は尾も入れればライオットが数人は必要になる長さの、肉の爛れた巨大な四つ足の生き物であった。
前面に突き出た肉の頭部は流線型で、でっぷりとした体躯に比べ驚くほど小さい。全身の毛がなく、ただしつるりとはしておらず、肥大した体躯は伸びた皮膚が内部で化学変化でも起こったかのように一部盛りあがり、上皮が失せてあらわになった部分もボウフラのわく汚水に似てあぶくのようなさまを呈している。
言うまでもないことであるが、ライオットの知識の中にこれと類似する生物はいない。
それがゆっくりと周囲を見渡すように首を巡らせ、ライオットを認めた。途端、一瞬にして地面を蹴って飛びかかってくる。巨体に見合わぬ速度。
しかし、ライオットはあせることなく突撃を躱してのけた。
化け物の振りかぶった一撃が空を切り、ライオットのかわりに街灯を小枝のごとくあっさりと折り倒す。かなりの腕力であるらしい。
まともにくらえば、ライオットの身体などひとたまりもなかっただろう。
化け物がふたたびこちらを見据え、威嚇するように持ち上がった肉部の先がほどけていく。先端はどうやら口吻だったようだ。開いた内側は新鮮な臓器の色に似ていて、歯と歯茎の代わりにひだが幾重にも重なり、風にそよぐフリルのごとく蠢いている。
夜気のなかに腐りかけの肉のにおいがふいに漂う。不快なことに、同時に熟れた甘い果物のような香りもした。
さらに突進してきたのを躱した次の瞬間、鞭のごとくしなった尾が目の前に迫っていた。とっさにかかげた鉈で受ければ、大きな衝撃が柄へと伝わる。
しかし、それだけであった。
街灯の柱すらいともたやすくへし折った化け物のちからが、鉈の刃にあっさりはじかれていたのだ。
「……なるほど。たしかにこれはやつらにとって有効らしいな」
まったく歯が立たないわけではないとわかって、さらに気持ちが沈静する。
すくなくとも人知を超えた化け物がいると理解して、その覚悟があるのとないのとでは大違いだ。こんなわけのわからない世界で死にたくもない。
いつのまにか恐怖は薄れていた。不安もない。
ライオットは化け物をしかと見据え、改めて猟刀を構え直した。
街灯はひとつ減ったが、遮るもののない月あかりのお陰で戦うぶんにそう苦労はしなくてすみそうなのがありがたい。
呑み込もうと口を開け、ふたたび化け物がライオットめがけて跳躍する。肉襞が空気をまとい、乙女のスカートのようにふわりとふくらむ。
同時にライオットも前に出た。
両刃の鉈は突き刺すのではなく叩き切るもの、それを意識して武器を振るう。
着地を狙ったもののわずかにそれて、肉をほんのすこし削ぐだけになってしまった。傷というほどもなく、ただ刃に壊死したような色の肉がねっとりとこびりつくのを、鉈を一回転させ、肉片を振り落とし、ふたたびかまえる。
踏み込んで切りつけたあと、身を反転させさらに切りつける。
合図をしたわけでもないというのに、ライオットの動きに合わせて犬もまた飛び込んでいく。躍りかかったするどい一撃が化け物の脇肉を深く引き裂いて、それが剥がれかけの壁紙みたいにべろりと千切れて垂れさがった。
「驚いたな……俺なんかよりよほど優秀じゃないか」
ライオットのひとことに犬の尾が揺れる。
あれほど恐ろしく感じていた犬の牙と爪も、味方の武器だと思えばこんなに心強いものはない。
ライオットも負けじと、さらに深く踏み込む。
重い武器はその重量を利用できれば、威力を増す。銃器工はそれも考慮して加工してくれたのだろう。少し長めの柄を両の手で持ち、頭上高く大きく振り掲げ、ちからいっぱい振り下ろす。
ずどん、という手応えとともに切り落とされた化け物の腕が一本、切られた勢いのまま宙を舞って地面で何度かはねたあと、闇の中に消えていく。しぶく鮮血は人とは異なる色をもち、ごくわずかに真珠のような光沢を帯びていた。
ぬらぬらした皮膚から吹き出る血を避けて、いったんさがる。
腕を一本失った化け物は、爛れた肉をぶるぶると震わせ怒りのままに咆哮している。身が弓形になって飛びかかってくるのを紙一重でかわし、手首をひねり、柄の部分を下顎に叩きつけた。
さらに身を翻した遠心力を利用し、体を両断するように叩き下ろす。枝をうち払うように肉を削ぐ。踏み込み、骨まで切り下げる。
一本、また一本と支えるものを失い、やがて化け物は地に倒れた。手足を失っただけでなく胴もえぐられ、中身を晒し、それでも苦鳴とともに地面でびくびくと最後のあがきをしている。
その前に立ち、いっさいの躊躇なく、ライオットは首を刎ね落とした。
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この物語で犬は死にません




