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翌朝、新たな婚約者との初対面のために、侍女が王太子妃の部屋にたくさん集まっていた。
エリンは大勢に囲まれて髪を結われ、コルセットを締め上げられていた。
そうして準備に二時間ほどかけていると、侍女が珍しく部屋の扉を叩いた。
「エリン様、アヴィッツ伯爵様がお見えです。準備が終わりましたら応接室の控え室へお越しください」
エリンは伯爵から呼び出され、応接室の控え室へと向かった。
控え室に入ると涅色の髪に白髪が混じった恰幅の紳士が、ティーカップを傾けている。
「お義父様!」
「おお、エリン。久しぶりだな、元気にしていたか?」
紫色の瞳が優しく細くなった。
伯爵はエリンを養子として引き取り、父親一人で育ててくれた人だ。
「はい、おかげさまで。お義父様も忙しいのに来ていただいてありがとうございます」
「最後になるかもしれんからなあ。来ない理由などないわ」
伯爵は顎に手を当てながら、エリンのことを怪訝な顔で足元から頭まで見た。
「しかしなあ……そのドレスの色、暗すぎないか? エリンの髪は確かに映えるが……」
「私なりの意思表明です」
エリンが身に纏っているドレスは暗い紺色のドレス。婚約者との顔合わせに喪服に近い色合いのドレスで会うのは失礼な行為に近しい。
エリンはくるりと一回転その場で回り、ドレスの裾がふわりと舞った。
伯爵はそれを見て心配そうに眉を下げた。
「結婚したくないという意思表明か。それは私のせいか?」
「いいえ」
エリンは横に首を振る。
伯爵の魔法嫌いは、伯爵の亡くなった妻に原因があるらしい。それを幼いエリンにぶつけてしまったことが一度だけあった。エリンにはあまりその時の記憶がないが、伯爵はそれを引きずっているのだ。
「私が私のためにするのです。お義父様のせいなんかではありません」
「そうか……」
伯爵は手で眉間を押さえ、深呼吸をした。
「……さて、そろそろ会いに行こうか。新しい婚約者に」
「はい」
控え室の隣、扉を隔てた向こう側には新たな婚約者であるシャルドレイスが既にいる。
伯爵の言葉に、エリンは小さく頷いた。
そして心の中で固く誓う。
(完璧に嫌われてみせる)
伯爵が重い腰を上げ、扉の前に立ちノックした。
「アヴィッツです」
遠くから「入れ」と低い声が聞こえた。伯爵は短く息を吐いてからドアノブに手をかけ、深く扉を押し込んだ。
エリンはギュッと震える手を握る。
「シャルドレイス王子、お久しぶりでございます」
「ああ、あれ以来だな」
エリンは目の前にいる人物の姿を見た途端、息が止まった。
(……え?)
聞き覚えのある低い声に目元にかかる白髪の前髪、蒼い瞳。彫刻のように表情一つ変わらない清廉な顔。
「えぇ、あの時と変わらずお元気そうで何よりです。エリン、この方がお前の婚約者、カーディリア王国第二王子のシャルドレイス・ディアフォルド殿下だ」
伯爵はエリンにシャルドレイスが見えるように横に動き、手のひらを彼に向けてそう紹介した。
身分の低い者から名乗らなければならないが、エリンはショックで動けないでいた。
昨夜、馬に乗せてくれた見知らぬ男が、そこに立っているからだ。
(厩務員だと思っていた人が、まさか王子だったなんて……!)
そして昨日呟いた言葉が、脳内で鮮明に再生された。
目を見開いて固まるエリンを不思議に思った伯爵が、エリンの肩に手を置いて言う。
「エリン? どうした。挨拶なさい」
「あ……、お初にお目にかかります。私、エリン・アヴィッツと申します」
「…………………………」
エリンは震える手でスカートを摘まみ、ぎこちなくカーテシーをした。
(なにか反応して!)
一秒数えるごとに指先が冷えていくのを感じた。
「俺はシャルドレイス・ディアフォルド。エリン殿の婚約者に選ばれて光栄です」
最後の言葉に動悸と冷や汗が止まらなくなった。昨日の厩務員も「光栄」という言葉を使っていた。
(これじゃあ覚えているのかいないのかわからないじゃない!)
反応を試すために言っているのなら性格がかなり悪いが、ただ自然に出てきた言葉なのかもしれない。
エリンは動揺を隠すように唇を噛み締め、眉間に皺を寄せて睨むようにシャルドレイスを見つめた。
するとシャルドレイスは伯爵の後ろで、ほくそ笑んでいた。子どもが大人の反応を見て楽しむような、そんな悪戯心を含んだ笑みだ。
それをみたエリンは確信する。
(わざとやっているんだわ、この人!)
伯爵の肩越しにギッとシャルドレイスを睨みつけた。それに相反し、シャルドレイスは嬉しそうに微笑んできた。
「立ち話もなんだから座ったらどうだ」
「では失礼します」
シャルドレイスの言葉に伯爵が頷き、彼の向かい側のソファに軽く腰を下ろした。それを追うようにエリンも伯爵の隣に座った。
できるだけシャルドレイスと目を合わせないように、伯爵へと体の向きを向けた。
「そうだエリン、お前はすぐここを発つことになる。そしてその日、見送りに行けないんだ」
「そうですか……」
だから今日時間を作って来てくれたのだと思うと、血の繋がりなんて関係ないと言ってくれているようで胸が温かくなる。
「領地に寄ることもできるが?」
シャルドレイスはエリンを見てそう言った。
「…………結構です」
情けをかけられたように感じ、意地になってそう言った。
シャルドレイスはその答えを鼻で笑った。
「伯爵」
「はい?」
伯爵はシャルドレイスに呼ばれて視線を合わせると、慌てて立ち上がった。シャルドレイスは伯爵にしかわからない合図を目線で送ったのだろう。
父を奪われたようで嫌になり、伯爵の裾を控えめに掴んだ。
「エリン……。私はもう行かなくてはならない」
「じゃあ私も行きます」
「いや、エリンはここにいなさい。仲を深めることも必要だ」
エリンにとってその言葉は当然突き放されたように感じた。仕方なく裾から手を離し、膝の上に握り拳を置いた。
「では私はこれで」
「ああ、エリン殿のことは任せてくれ」
伯爵は名残惜しそうに瞳を潤ませながら部屋を後にした。
エリンは扉を見つめ続けた。もしかしたら戻って来てくれるかもしれないという淡い期待が胸に溢れる。
「どうやら、俺は既に嫌われているようだな」
シャルドレイスは足を組みながらエリンに声をかけた。
「自覚があるなら良かったです」
「くくくっ」
シャルドレイスは俯きながら肩を振るわせている。
エリンは歯噛みしてシャルドレイスを真正面から睨みつけた。
「そんなに熱心に見つめられると、勘違いしたくなる」
「人の気持ちが分かる方なんてすごいですね」
シャルドレイスから視線を逸らし、絶対に見てやらないと心に決めた。
「………………紺色のドレスまで着て相当な意志を感じるが、嫌われてどうしたい」
「貴方には関係ありません」
「どうだろう。昨日の口ぶりからすると、君は俺との婚約を破棄したいように見える。それでも俺は関係ないと言えるのか?」
エリンは確信した。
シャルドレイスが昨日あそこにいたのはたまたまかもしれないが、厩舎を訪れたエリンを見て自分の新たな婚約者だと気づいていたのだろう。
エリンは心底馬鹿にされたような気分になった。
「私が勝手にそうしたいだけなので、貴方には関係ないと思いました。それだけです」
「そうか。君、魔法使いになりたいんだろ?」
「このっ……」
平然と言ってのけるシャルドレイスに、エリンは思わず顔を向けてしまった。しかし、彼のその表情は先ほどとは違い、射抜かれるような真剣な眼差しだった。
「俺の下でなら自由に振る舞える」
「……誰の力も借りない。自分の力でそうなりたいの」
「行き詰まったら力を貸してやる」
「そんな予定毛頭ない!」
エリンは怒りに身を委ねるあまり、部屋を飛び出すように出た。




