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新たな婚約者との顔合わせを終えた次の日、嫌われ作戦を実行しようとエリンは庭園にいた。
そして今、ニヒルな笑みを浮かべながら、生垣の後ろでしゃがみ込んでいる。
(ふふふ、いまのところ計画通りよ)
エリンの計画はこうだ。
二人きりの茶会に招待されたシャルドレイスが、のこのこと生垣に囲まれたガゼボにやってくる。先に椅子に座った彼はいつまで経っても現れない婚約者に痺れを切らし、怒りながら立ち去るのを待つという作戦だ。
王族を待たせるという無礼に、約束をすっぽかすという彼自身を軽んじる行為を重ねれば、きっと嫌いになるはず。
そんな作戦を昨夜思いつき、朝一番でシャルドレイスに招待状を送りつけた。昨日の彼を見るに、嫌われるための行動を期待している節がある。
そして案の定、彼は招待を受けてくれた。
この作戦を成功させるためには、本当に彼がこの場に来てくれるのかを確認しなければならない。だって、自分が部屋で待ちぼうけを食らう方が嫌だから。もしシャルドレイスがこの作戦を見抜いていて、分かっていてここに来ない可能性もある。
(座って数分したら私は城へ戻らせてもらうわ。痺れを切らした王子が、婚約破棄届を片手に部屋を訪ねてくる予定だもの!)
王族である彼を待たせるなど本来なら許されないが、嫌われるためなら仕方ない。
エリンはひたすらに待った。シャルドレイスのことを知らないせいで、彼が約束の時間にどれだけ余裕を持って現れる人間なのか見当がつかない。
その間にも照りつける太陽がじくじくとエリンの白い肌を刺し、ドレスは幾重にも布を重ねていて、背中を汗が伝っていく。頭の奥が熱でぼうっと痺れていくようだった。
(……少し来るのが早すぎた)
待っているだけなのに、こちら側の体力がどんどん削られていった。それでも意地でその場にしゃがみ続けた。ここから城に戻るための道は一本しかない。そこで鉢合わせでもしたらこの作戦が水の泡になってしまう。
しばらくして、シャルドレイスが現れた。
彼はキョロキョロと首を回して周りを見渡し、日陰になっているガゼボへと足を踏み入れた。身なりはきちんとした正装で、白髪もかき上げられていて纏められている。
向かい合わせになっている椅子のどちらに座るか決めあぐねているのか、顎に手を当てて立っている。
ようやく椅子へと腰をかけ、現れるはずのない自分を待ち始めた。テーブルに置かれたものには一切手を着けず、ただ目の前の椅子を見つめているようだった。
エリンは生垣の隙間からその様子を盗み見た。
その目がなんだか、生垣の奥のこちらを見つめているようで背筋に悪寒が走った。
(なによ、こっちに気づいているの⁉︎)
その目が、ただ空席を見つめているのか、それとも生垣のこちら側を見つめているのか、エリンには判断できなくなっていた。
シャルドレイスがおもむろに片手を上げた。
その光景にエリンの心臓が口から飛び出そうになった。もしかしたら、彼は既に自分の作戦に気づいているのではないかと。気づいていて、この状況を楽しんでいるのではないかと疑った。
すると、遠くで控えていた側近が彼に駆け寄った。
(アウフリックさんだ……)
エリンには、その顔と風貌に見覚えがあった。薄緑の髪に貴公子のような爽やかさを持つ年上の男で、常にシャルドレイスの側にいる側近だった。
シャルドレイスは彼に耳打ちし、すぐに下がらせた。
(……もしかして、私のこと探しに行かせたんじゃない?)
そう考え、口元を抑えるように手を当てて肩を震わせた。
シャルドレイスの方を見ると、膝に手を置いて待ち続けていた。
眉間に皺はなく、口も一切開かず、まるで初めからそこに置かれていた彫刻のように微動だにしない。動いているのは、せいぜい呼吸で揺れる胸元の装飾品だけだ。
あんなに静かに待つ彼を見ていると、こちらが悪いことをしている気分になる。
そして昔の自分を見ている気分になった。きっと来てくれる、相手を信じて待ち続けることこそが、相手への誠意だと信じて疑わなかったあの頃の自分と。
自分と違うのは、彼がやけに待たされるのに慣れているように見えることだ。
エリンは雑念をかき消すように、頭を横に振った。
(……いい気味よ。さあ、私は戻ろう)
立ち上がろうと地面に手を着いたその時、不意に視界が陰った。
雨雲でも来たのかと空を見上げると、日傘特有のレースが目に入る。
不思議に思って後ろを向くと、日傘をさしたアウフリックの姿があった。
「アウフリックさん?」
「エリンちゃん、殿下からの伝言です。『強すぎる日差しは毒です。意地を張るのもほどほどに』とのことです」
急いでシャルドレイスの方を見る。
遠くのガゼボで、シャルドレイスがこちらを見ながら優雅にカップを掲げた。そしてその口は、わずかに弧を描いていた。
(心配しているのか、それとも嫌がらせされているのか……)
完璧に隠れていたはずだったのに、まるで生垣のこちら側が全て見えているようなそんな笑み。
眉を顰めてシャルドレイスの方を見ていると、肩にアウフリックの手が置かれた。
「……殿下は、ああ見えて、いますぐこちらに駆け寄りたい衝動を抑えているのです」
「っ!?」
ミントの香りが漂ってきそうな爽やかな声が耳元から聞こえ、思わず手で耳を塞いでしまった。ギョッと目をひん剥いてアウフリックを見ると、造られた笑みがずっとこちらを見下ろしていた。
エリンはゆっくりと耳から手を離しながら、その言葉の意味を考えた。
優雅にカップを傾けるその姿や待つことに慣れているあの雰囲気も、すべて計算されていたということならば、シャルドレイスは全てを知っていてあの椅子に座ったということ。
指先が湿った地面に触れ、エリンの赤髪が肩から滑り落ちた。
(ということは、完全な仕返しじゃない!)
指に力が入り、地面に生えている雑草を毟ってしまった。
「あ、殿下」
アウフリックが声を上げる。
シャルドレイスが、足早にこちらへ歩いてきていた。
「貸せ」
アウフリックから日傘を奪い、シャルドレイスはエリンの隣にしゃがみこんだ。
日傘のせいで二人だけの空間が生み出され、近くにいるはずのアウフリックの気配が感じられなくなった。
「エリン嬢。失礼」
シャルドレイスはエリンの土に塗れた手を取り、掌の皺を親指で優しくなぞる。その奇妙な手つきにおそるおそる顔を上げると、日傘の中で彼の顔が陰り、瞳が煌々と光って見えた。
「俺のためにあそこまでしてくれるのは嬉しいが、君が傷ついたりするようなことはしないで欲しい」
顔が一気に熱くなった。もともと暑かったのだと言い訳できないほどに。自分でもわかるほど顔が紅潮し、胸に正体不明の動悸が走る。
シャルドレイスの瞳は、獲物を狙う狩人のそれではない。かといって、フィッセルのような無関心でもない。
細められた目から漏れるそれは、深い海の底に沈んだ沈没船を、ようやく見つけ出した探索者のような。静かで、狂おしいほどの情熱を孕んでいた。
「分かったね?」
シャルドレイスは目を閉じて、エリンの手の甲に唇を当てながらそう言う。
ゆっくりと開かれた彼の長い睫毛の中に潜む熱のこもった瞳が、エリンの海の底のような瞳を見上げていた。
エリンは口をあわあわさせて、小さく頷くことしかできなかった。シャルドレイスはそれを見て、目尻をすぼめて唇を上げた。
手は握られたままで、エリンが気づかれないように抜こうとすると彼の指先の力が強くなった。シャルドレイスはそのまま立ち上がり、エリンの腕が伸びた。
仕方なくエリンも立ち上がろうと膝を伸ばすと、ぐらりと視界が揺れた。手が彼の手から力なく滑り落ち、後ろへ重心が傾いた。
「あっ」
倒れるすんでのところで誰かの手がエリンの体を支えた。
急に立ち上がったせいか、視界が白黒に染まり、目を開けていられなくなった。砂嵐が立ち去るのを待つように目を瞑っていると、腰に添えられた手に力が込められた。
「ほら、言っただろう」
ゆっくりと瞼を上げると、ふらつく身体を支えるように腰に添えられた手で、シャルドレイスの体に引き寄せられた。
その行為に全身の血の巡りが加速した。
(綺麗な……。ち、違う!)
エリンは限界まで顔を下げて、口を堅く結び、眉間に力を込めた。
(しっかりするのよ、私!)
鳴りやまない心臓を誤魔化すように、シャルドレイスの手を振り払った。
「絶対、嫌われてやるんだから!」
そうして、エリンの嫌われるために奔走する生活が始まるのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
只今、長編製作中です。
一章、二章は完成しているのですが、それ以降がめっきり手付かずで、二つの章合わせて六万字の20話程度しかないのでまだ投稿できそうにありません。
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