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【短編】婚約を取り換えられたので、新しい婚約者に全力で嫌われようとしているのになぜか溺愛されるのですが  作者: 三木悠希


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 エリンは、手紙の入っていた小箱を引き出しへと戻した。

 そしてその手を引き出しの奥へと伸ばし、一冊の本を取り出した。

 

 よく触れる部分は紙の繊維がもろもろと崩れている。表紙には黒いエナンを被った女性が描かれ、その上に「魔女の子どもの冒険」と書かれている。

 

 それを手に椅子から立ち上がり、壁にかけてある真新しいローブを羽織る。

 

 そして部屋の扉を静かに開けた。


 扉から顔を出すと廊下にはランタンの灯が揺れているだけで、いつもいる衛兵の姿はなかった。

 フィッセルが言った言葉は本当だったらしい。


 


 夜の風は昼間より冷たかった。

 サクサクと草を踏む音と風に揺らされる木々の葉の音が、エリンを空へと近づける。大きな月が頭の上にあり、歩みを進めるだけで景色が本を捲るように変わっていく。


 エリンは昔見た城内の地図を頼りに、厩舎へとやってきた。


(馬に乗って行こうと思ったけれど、馬って簡単に乗れるのかしら)


 そう考えながら、厩舎へ近づいた時だった。

 

「どちらへ行かれるのですか?」


 後ろから飛んできた聞き慣れない声に、全身が固まった。

 

 エリンの今の格好は、どう言い訳しても怪しい侵入者にしか見えない。この城で自分の顔を知る者は極めて少ない。

 ゆっくりと振り向くと、そこにいたのは白髪の男だった。厩舎の灯りに照らされ、ほんのり白髪が黄味がかっている。


(衛兵の格好でもないし、厩務員かしら。なら、私のことを知らなくて当然か)


 エリンは城の中で自由に動くことを許されなかった存在。ゆえに昼間に庭園で乗馬を習うことも、愛馬を作ることもできなかった。

 

「いや、ただの散歩に」

「でしたら私がお連れします」


 男はそう言ってどこかへ消えたと思うと、白馬を連れて戻ってきた。とても慣れた手つきで馬を引くその姿は、どこか品を感じさせた。


「お待たせしました」

 

 そう言って男はエリンへと近づく。すると男はエリンの両脇へと手を伸ばし、その瞬間エリンの視界は見慣れない高さへと変わった。

 

 エリンは男によって軽々と馬の上へと横向きに乗せられた。


「なっ!」


 不慣れな高さと、フィッセル以外の男性に触れられた衝撃で、心臓の鼓動が一気に速くなった。

 鏡を見なくても顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

 

「失礼、痛かったですか?」


 驚くエリンが不思議といわんばかりに、男は眉を顰めてそう言った。

 

「……女性に触れる時は、一言何か言うべきだと思うわ」

「ああ、確かに」


 顎に手を当てて素直に頷き、「そうか」と小さく呟いた。

 エリンは男の頭を見下ろす。


(悪い人ではなさそうだし……このまま外へ連れて行ってもらおうかな)


 男は骨張った手で手綱を持ち、歩き始めた。


「わっ……」


 思ったより馬の背が揺れ、咄嗟に両手で馬にしがみついた。


――ドサッ


 何かが落ちる音の後、馬は歩みを止めた。


「これは……」


 男が拾い上げるそれを見て、エリンは恥ずかしさのあまり目を潤ませ身体を起こせずにいた。 


「絵本、ですか」


 この国の成人年齢は十六歳。エリンは成人を迎えたばかりだが、すでに大人の仲間入りをしている。そんな女性が絵本を持っていると知られれば、揶揄されるに違いない。


(馬鹿にされる……! 絵本が好きだなんて子どもだって言われる!)

 

 その男の低く落ち着いた声色が、無性に怖く感じた。

 エリンは震える瞼で瞳を隠し続けた。

 

「この本が好きなんですね」

「え!」


 エリンは身体を起こして男を見つめた。

 

 男はそれ以上何も言わなかった。ただじっと懐かしいものを見るような目で表紙を見つめ、彼の澄んだ氷のような瞳が細められた。

 

 男は本を撫でるように砂埃を払い、エリンの目の前へ差し出す。


「ありがとう、ございます」


 エリンはその本を受け取り、胸元でキツく抱きしめた。細かい砂でザラザラしているがそれ以外に変わりはない。

 

 馬は再び歩み始めた。

 

「新しい物を買ったらどうですか?」

「嫌なんです」


 温もりを求めるように、絵本に顔を近づけた。

 

「これは、お義父様が初めて私に贈り物としてくれた物なんです。魔法嫌いなお義父様が、私のために買ってくれたのだと思うと、どうにも手放せなくて」


 エリンはいつの日かの誕生会を思い出す。

 伯爵が照れくさそうに片手でこの絵本を差し出してきた光景は、幼かったエリンの目に焼きつくには十分すぎた。


(あと、この魔法使いに憧れているから捨てられない、なんて言ったら笑われるだろうな)


「ごめんなさい、私ばかり。つまらなかったですよね?」

「いいえ、もっとお聞かせください。一夜限りの話し相手として」


 その言葉にエリンは思わず身を委ね、魔法使いへの憧れと夢について語り始める。

 

 馬の蹄の音、男の月明かりに照らされた白髪、木々が風に揺らされ音を成すその空間はエリンにとって心地の良いものだった。


「叶えられるといいですね」

「夢を叶えるためには、色々しなくてはいけないことがあるんですけどね……」


 エリンは乾いた笑いをこぼす。


「今日の散歩はここまでにしましょう」

「ありがとうございました」


 辺りを見渡すと、いつのまにか城の付近へと戻ってきていた。

 彼は馬を優しく止め、今度は一言断りを入れてからエリンの両脇に丁寧に手を添えて下ろしてくれた。

 足が地面に着いた瞬間、エリンはほんの少し名残惜しさを感じた。馬の背の上で感じた高い視点も、男の落ち着いた声も、なんだか心地よかった。

 

 男は白馬の手綱を軽く持ちながら、静かに言った。


「あと、これは私からの助言です。夜に一人で出歩かない方がいい。どこに危険が潜んでいるかわからないから」

「…………。私、他人に足を委ねるの得意じゃないんです。危険な人が貴方なら、私はここまで乗らなかった」


 風が少し強くなり、エリンの赤い髪をさらりと揺らす。

 

「それは、……とても光栄です」

  

 男は「気をつけてお帰りください」と静かに言い、軽く頭を下げて馬と共にその場を去っていった。

 

 エリンは城への道を一人で歩きながら、胸の奥が不思議と温かくなっていることに気づいた。見知らぬ男の低くて落ち着いた声、素直に非を認める態度、絵本の話を真剣に聞いてくれた優しさ。

 

 ふと、口から言葉が零れ落ちた。

 

「……あーあ。貴方みたいな人が、私の新しい婚約者だったらいいのに……」

 

 そう言った途端、自分の言葉に顔がカァッと熱くなった。

 エリンは慌てて両手で頰を押さえ、小さく首を振った。

 

(しっかりするのよ私。結婚なんてすれば夢は絶たれるのだから)

 

 ローブの裾をぎゅっと握りしめ、足早に自室へと戻った。

 

 鳴り止まない心臓を誤魔化すように――。

 


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