第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 14
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会社――ヨシツネフードソリューションにて。
段々と近づいてくるお盆を前に、弱めの冷房ではなかなか防ぎきれない猛暑の熱の中、私たちは相変わらず毎日の業務に忙殺されていた。
夕方、営業から早めに戻って来た桐林くんと廊下ですれ違ったので、
「この間は色々いい商品教えてくれてありがとう」と、遅まきながらお礼を言った。
「いいや。輪道は僕たちの会議に出ている分、新商品や売れ筋への嗅覚が鋭くなっているだろうから、僕もお勧めのしがいがある」
「私だけじゃなくて、あまり詳しくは言えないけど、とある家庭の危機回避にも役立ってくれたんだよ」
「へえ? それは光栄だな。デイリー冥利に尽きるよ。僕は父子家庭で、日々の家庭の食卓を支えたいと思って食品流通の仕事を選んだようなものだから」
「え、そうなんだ」
うちといい太陽くんといい、意外に片親というのは、身近に多いらしい。
「母は病気で他界したんだが、それまでは年中忙しそうにしていたのを覚えている。ある日、子供ながらに手伝おうと、僕と母の昼食用におにぎりを作ったんだ。といっても余りものの白飯に、鮭フレークを射込んだだけの代物だけどな。僕はてっきり、母には褒めてもらえると思った」
それはそうだろう、と私はうなずく。でも。
「思った? っていうと……」
「結果は逆だった。母は僕を叱りつけると、その日の昼食を抜いた。辛かったよ。どうしていいか、わけが分からなかった。後から聞いたところでは、母は、自分の仕事を子供に取り上げられたようで、どうにも切ない気分になったらしい」
私は驚きながらも、なんとなく分かるような気もした。自分に任されたことを、それでは不充分だと突きつけられるような――そんな気分、ということだろうか。
「母を恨んではいない。また、何もしないで家事を母任せにしなかったことは、過ちではないと思っている。今僕は、取り扱う商品の中でも、いわゆる簡便商材に注目している。それは個人的な思い入れもあってのことなんだ。温めるだけ。混ぜるだけ。安全に、ごく初歩的な調理でできあがる。しかもおいしくて、健康にも問題ない。そうした商品が食卓に取り入れられる機会が今よりもずっと増えれば、子供の調理への参加も、ハードルが下がると思う。本格的な料理は大人にしかできなくても、これくらいであればまあやらせてもいいかと思わせるような、子供でも当然のように料理を作れる……そんな商品を、もっと増やしたい。単純に、調理の手間が省けるというのが一番のメリットではあるが、同時にそんなことも考えてる。作りやすく、食べやすいってことは、本義の他にも沢山の効果を生むはずなんだ」
「なるほど。たとえば、あえてキムチを刻んであるとか」
「そういうことだな」
「私も、簡便商材大好きだよ。いっつも助けてもらってるし、もっと色んな商品が生まれてくるように、応援してる」
「心強いよ。おっと、立ち話が過ぎたな、済まない。じゃ、また、輪道」
軽く右手を上げて、桐林くんが背中を向けた。
太陽くんはその後、どんな食卓をお母さんと囲んでいるのだろう。
その手助けになりそうな食品をいくつか、お節介ながら、教えてあげたい。
「デイリー冥利、か」
私も歩きだす。
今日もまだまだ、食品のお仕事が待っている。
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いいかい、お前に、ちょっと不思議な話をしてやろう。
昔話じゃないぞ。お伽噺でもない。
だってあいつは、きっと今もあそこに――……
お父さんが子供だった頃から、ずっと、すぐ傍にいるんだからな。




