青
夜。
家に帰ってから、窓を開けた。
空は暗い。
星が少し見える。
俺は昔。
空なんて見なかった。
上を見ている暇がなかった。
前を走っている誰かを見て。
その背中を追いかけて。
自分より上か。
下か。
そんなことばかり考えていた。
でも。
今は少し違う。
俺は、まだ理想を諦めていない。
医者になりたい。
部活も続けたい。
ゲームもしたい。
友達とも遊びたい。
小説も書きたい。
『探偵は話せない』も完成させたい。
全部。
やりたい。
ただし。
全部を完璧にする必要はない。
できない日があってもいい。
休む日があってもいい。
昨日より少し進めたなら。
それでいい。
誰かより遅くてもいい。
誰かより下でもいい。
理想の自分になれない日があっても。
俺自身の価値がなくなるわけじゃない。
井の中の蛙は。
大海を知らなかった。
俺もそうだった。
外に出て。
上には上がいることを知った。
自分より優れた人間が。
いくらでもいることを知った。
そして。
自分が思っていたほど。
特別ではないことも知った。
それは。
少し苦しかった。
でも。
大海を知ったからこそ。
初めて見えるものもあった。
遠くまで続く世界。
自分とは違う人間。
自分とは違う生き方。
そして。
自分だけの場所。
窓の外が。
少し明るくなってきた。
朝が近い。
俺は机に戻った。
パソコンを開く。
画面には。
書きかけの小説が表示されている。
タイトルは――
『探偵は話せない』
まだ完成していない。
きっと。
これから何度も書き直す。
何度も迷う。
途中で嫌になる日もあるだろう。
それでも。
「……続き、書くか」
俺はキーボードに指を置いた。
一行目を書く。
世界は、思っていたよりずっと広かった。
少し考える。
そして。
その続きを書く。
自分が小さかったからといって。
自分の立っている場所まで。
消えるわけじゃない。
指が止まる。
窓の外を見る。
空が少しずつ青くなっていく。
昔の俺なら。
もっと綺麗な空を探したかもしれない。
もっと遠く。
もっと高く。
もっと完璧なものを。
でも。
今は違う。
この空でいい。
今日の俺には。
今日の空がある。
明日の俺には。
明日の空がある。
だから。
今日はここまででいい。
明日また書けばいい。
明日また勉強すればいい。
明日また歩けばいい。
俺はパソコンを閉じた。
そして。
窓の外を、もう一度見た。
大海を知った。
自分の小ささも知った。
それでも。
空の青さは、ちゃんと知っている。
俺はもう。
誰かの空と比べるために、空を見上げたりはしなかった。
ただ。
自分のいる場所から見える空を。
自分の歩幅で。
ゆっくりと見上げていた。




