言えなかったこと
それから、俺はあいつと一緒に帰らなくなった。
理由は簡単だった。
勉強があるから。
実際、勉強はしていた。
間違えた問題を解き直し、苦手な分野を復習し、次の試験に向けて準備を進めた。
それ自体は、悪いことではない。
むしろ、必要なことだ。
ただ。
あいつと話していると、どうしても自分のことを考えてしまう。
あいつは、少しずつ変わっている。
小説を書き、部活に出て、友達と話している。
うまくいかない日があっても、以前ほど自分を責めなくなった。
その姿を見ると、嬉しい。
本当に、嬉しいのだ。
それなのに。
どうして、自分は。
俺は、そんな考えを振り払うように、机に向かった。
自分の問題を解く。
自分の課題を片づける。
自分の努力を積み重ねる。
そうしていれば、いつかは。
……いつかは、何だろう。
俺は、そこで考えるのをやめた。
*
「玲、今日も帰るの?」
あいつが聞いた。
「悪い。今日は残る」
「そっか」
「次の試験も近いしな」
「うん」
あいつは、それ以上何も言わなかった。
俺は、少しだけ安心した。
そして、少しだけ寂しかった。
勝手な話だと思う。
自分から距離を置いているのに、相手が引き下がると寂しくなる。
それでも、今は一緒にいたくなかった。
あいつの隣にいると、どうしても思い出してしまう。
あいつが苦しんでいた頃のこと。
自分が、あいつに何を言ったのか。
『俺、お前と競争してるつもりないけど』
中学の卒業が近づいた頃、俺はそう言った。
あいつが、俺より上だと思っているかと聞いてきたときだ。
あのとき、俺は本当に競争しているつもりなんてなかった。
あいつが何位でも、俺にとっては友人だった。
勉強ができるところも、運動が得意なところも、くだらないことで笑うところも。
どれか一つがなくなったからといって、あいつがあいつでなくなるわけではない。
俺は、そう思っていた。
それなのに。
どうして俺は、自分に同じことを言えないのだろう。
俺が四位になっても。
俺が一位でなくなっても。
俺は、俺のままのはずだ。
頭では分かっている。
けれど、心が納得しない。
俺は、あいつに言ったことを、自分では実践できていなかった。
そのことが、何よりも苦しかった。
*
ある日の放課後。
教室に残って勉強していると、スマートフォンが震えた。
あいつからだった。
『今日、帰り一緒にならない?』
俺は画面を見つめた。
返事を打つ。
『悪い。まだ勉強する』
送信しようとして、指が止まった。
別に、今日くらい一緒に帰ってもいい。
勉強は明日もできる。
そんなことは分かっている。
けれど。
もし一緒に帰って、また心配されたら。
もし、何か聞かれたら。
もし、自分が平気ではないことを見抜かれたら。
俺は、どうすればいいのだろう。
そんなことを考えている自分が、嫌だった。
俺は、送信ボタンを押した。
すぐに返事が来た。
『分かった。また今度な』
それだけだった。
俺はスマートフォンを伏せた。
そして、ノートを開いた。
問題を解く。
答えを書く。
丸をつける。
次の問題へ進む。
いつもどおり。
何も変わらない。
それなのに、俺は何度もスマートフォンを見た。
もう一度、連絡が来ていないか。
あいつが、何か言ってくれないか。
そんなことを期待している自分がいた。
俺は、スマートフォンを鞄にしまった。
そして、再びペンを握った。
俺は、一位でいたかった。
誰よりも努力して、誰よりも結果を出して、誰からも認められる人間でいたかった。
そうすれば。
そうすれば、きっと。
俺は、自分を認められると思っていた。
けれど、今は違う。
一位を取れなければ、自分を認められない。
一位を取っても、次に失うことが怖い。
どこまで行っても、安心できない。
それなら。
俺は、何のために努力しているのだろう。
答えは出なかった。
ただ、机の上のノートだけが、少しずつ埋まっていった。




