龍の影
次の模試まで、二週間を切った。
俺は、勉強の計画を立て直した。
苦手分野を重点的に復習する。
得意分野も、感覚に頼らず確認する。
睡眠時間は削らない。
食事もきちんと取る。
以前より効率を意識していた。
無理をすればいいわけではない。
そんなことは、分かっている。
ただ、計画どおりに進まないと、不安になった。
予定していた範囲が終わらない。
解けると思っていた問題で間違える。
思ったより復習に時間がかかる。
そのたびに、計画を修正した。
修正して。
また修正して。
いつの間にか、計画を立てること自体に時間を使うようになっていた。
それでも、俺は計画を捨てなかった。
予定があれば、何をすればいいのか分かる。
やるべきことがあれば、迷わずに済む。
少なくとも、何もしていない自分を見ずに済んだ。
*
放課後。
教室に残って勉強していると、あいつがやってきた。
「まだいたのか」
「お前もな」
「俺は今来たとこ」
あいつは俺の隣の席に座った。
「何してんの?」
「数学」
「見れば分かる」
「じゃあ聞くなよ」
俺は、少しだけ笑った。
懐かしいやり取りだった。
あいつも笑った。
「最近、小説どう?」
「ぼちぼち」
「進んでる?」
「少しずつな」
「そっか」
あいつは、鞄からノートを取り出した。
そこには、いくつかの文章が書かれていた。
「ちょっとだけ書けた」
「へえ」
「まだ全然だけど」
あいつはそう言って、照れくさそうに笑った。
俺は、そのノートを見た。
まだ途中なのだろう。
文章も、物語も、完成には遠いのかもしれない。
それでも、あいつは嬉しそうだった。
「いいじゃん」
俺が言うと、あいつは顔を上げた。
「本当?」
「まだ読んでないけど」
「読んでないのに言うなよ」
「書けたことがいいって話」
あいつは、少し黙った。
それから、小さく笑った。
「……そっか」
その顔を見て、俺は思った。
あいつは、変わった。
以前なら、書けたことより、完成度を気にしていたはずだ。
どれだけ面白いか。
どれだけ読まれるか。
どれだけ評価されるか。
そんなことばかり考えていた。
今は、少し違う。
書けたことそのものを、喜べるようになっている。
俺は、そんなあいつが羨ましかった。
羨ましいと思ってしまった。
俺だって、努力している。
俺だって、何かを積み重ねている。
それなのに。
俺は、結果が出なければ、自分の努力を認められなかった。
あいつは、まだ完成していない小説を前に、笑っている。
俺は、四位という結果を前に、笑えなかった。
その違いが、ひどく遠く感じられた。
「玲?」
「……何?」
「いや、またぼーっとしてるから」
「考え事」
「勉強の?」
「まあな」
あいつは、俺の顔を少しだけ見つめた。
何か言いたそうだった。
けれど、結局何も言わなかった。
「じゃあ、俺は帰るわ」
「ああ」
「また明日」
「また明日」
あいつが教室を出ていく。
俺は、しばらくその扉を見ていた。
そして、ノートに目を戻した。
問題を解く。
答えを確認する。
間違えていない。
正解だった。
それなのに。
俺は、なぜか嬉しくなかった。
ペンを置いた。
窓の外を見る。
夕方の空が、薄い橙色に染まっていた。
きれいだと思った。
けれど、すぐに時計を見た。
そろそろ帰らなければ。
明日の勉強がある。
俺は鞄を持ち、教室を出た。
空を見上げることは、もうなかった。
*
次の模試の前日。
俺は、最後の確認をしていた。
苦手な問題を解き直す。
解ける。
別の問題も解く。
解ける。
以前間違えた問題も、今度は間違えなかった。
大丈夫だ。
そう思おうとした。
けれど、心のどこかで考えていた。
もし、また一位を取れなかったら。
もし、今度も誰かに負けたら。
そのとき、俺は。
……何を考えているんだ。
俺は、首を振った。
今考えても仕方がない。
できることをやる。
結果は、そのあとだ。
そう考え直した。
それでも、眠る直前まで、頭の中には順位のことがあった。
明日。
明日で決まる。
そう思っていた。
まるで、明日の結果が、自分のすべてを決めるかのように。




