第8話:師の剣、村の流儀
「セイン君、皆を頼むよ」
フェリクスさんは剣を抜くと、道を塞ぐ男たちへ歩いていった。
一人で行くのか? 左右の森にもいるんだぞ。
何か指示があるかと待っていた俺は、思わずその背中を目で追った。確かにこの人なら負けないとは思う。でも、囲まれたまま一人で斬り込むなんて――
「聞こえなかったのか! 荷を置いて……」
男が慌てて斧を振り下ろす。その刃へ剣を添え、フェリクスさんは脇を抜ける――その瞬間、男の首から血が噴き出した。
……今ので?
剣先を少し引いただけに見えた。深く斬り込んでもいないのに、男は斧を取り落として崩れている。
――動脈へ届けば、撫でるだけで足りる。命を絶つのに両断は必要ない。
確かにそう教わった。でも、こっちはそこへ届かせるだけで必死なんだぞ。相手も殺す気で振ってくる斧の横を、あんな歩き方で通れるものなのか?
「囲め! 攻めてくるのは一人だけだ!」
さらに二人が左右から迫る。フェリクスさんは片方の外へ回り剣を合わせた。刃が二度鳴ったところで、左の男が脇腹を押さえてうずくまる。
もう一人がその脇から斬りかかり、鍔が噛み合う。今度こそ止まったと思ったのに、賊の肩が傾いた。浮いた腕の下へ剣が入り、血を噴き上げて倒れる。
何をしたんだ? 肩が動いたところまでは見えた。でも、どう崩した?
答えが出る前に次の敵と剣が合う。三合と打ち合わずにまた一人が沈み、フェリクスさんはもうその横を抜けている。
――今の崩し、もう一度見たい。
稽古でも似たことをされたはずなのに、どうやったのかまるで分からない。倒れた賊より、その脇を抜ける足を追ってしまう。
「よそ見してんじゃねえ!」
声とともに左から男が飛び出してきた。
よそ見はしていたが、荷を守る役目を俺は忘れてはいない。ちゃんと意識はしていたさ。
胸へ伸びる槍に剣を合わせ、穂先を打ち払う。そして引き戻される前に一気に懐へ踏み込む。
流れるままに袈裟懸けで首に剣を入れて胴まで斬ると、男の体が折れた。フェリクスさんと比べたら無駄の多い一刀だけど、この程度の敵に俺の剣が通じるのは確かだ。
これが初めての人殺しで、手に返った重さに息が詰まる。でも、俺は剣士としてここにいる。この道を志したときから覚悟はできているんだ!
気を引き締め直しつつ、剣を引き抜いて森へ向き直ると――もう一人いた。木の陰でこちらを窺っている。
「来いよ。ここは通さないぞ」
槍が相手でも流せたし踏み込みも間に合った。なら、次もできる。
そいつは顔に恐怖を浮かべながら退いていく。追いかけそうになるのを抑え、その場に留まる。
俺の仕事はあくまでも護衛だ。敵を斬るのはフェリクスさんに任せればいい。車へ回られたら、何のためにここにいるのか分からないだろ。
俺とは反対側でも悲鳴が上がる。
振り返れば牛車の間からフィーナの剣が見えた。その先で賊が倒れる間に、別の男が車輪へ手をかける。そこへミレイの斧が落ち、腕が飛んだ。
「そこ、汚い手で触らないでくれる?」
転がった男へ、ミレイは薪を割るように斧を振り下ろす。それきり悲鳴は消えた。
反対側は任せてよさそうだ。後方はどうだ? 目を向けると、木々の間に弓を構える敵がいた。
危ない! そう思っていると頭上に光が走り弓が地面に落ちる。列の後ろにいるリゼットが撃ったみたいだ。
だが、まだ射手は残っている。狙っているのは――フェリクスさんだ!
矢が放たれ、その背へ迫る。
――当たる!
俺の口からそんな声が出るより早く、フェリクスさんの歩幅が変わった。
矢は背中のすぐ後ろを抜け、次の一本も同じように外れていく。フェリクスさんは足を止めずに走り込み、ついに射手の元へたどり着き剣を届かせた。
いや、今のはおかしいだろ。俺には飛んできてようやく見えた矢なのに、あの人はいつ気づいたんだ?
俺の正面の敵も木の陰へ後ずさっていく。前へ出てくる気配がないのを確かめながら、俺の目はどうしてもフェリクスさんへ向いてしまう。
剣を受けて止めることがない。触れたと思えば別のところへ刃が入り、相手が倒れる頃にはもう次へ向かっている。
見覚えのある足運びも混ざるのに、俺がやるものとは速さも間の詰め方もまるで違う。
フィーナに一度勝てて浮かれていたが、この人の稽古では手も足も出ないのは変わらない。そりゃそうだ。実戦でこれをやる人なんだから。
「逃げろ! 駄目だ、こいつら強い!」
木の陰の男が踵を返した。追うべきかと森を見た時、前から声が来る。
「追わなくていいよ。まだ周りを見ていて」
フェリクスさんが戻ってくる。その後ろには、立っている敵が一人もいなかった。
俺は剣を構えたまま待った。枝を踏む音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。村の人たちが牛と荷を確かめ怪我もないと知らせてきた。
「セイン君、よく止めてくれたね」
「はい。……あの、矢はどうやって避けたんですか?」
褒められたのは嬉しい。でも今はそれより聞きたい。なぜ背中を向けていたのに避けられたのか? 背中に目でもついているのか?
「射手の位置は周囲を見て把握していたからね。あとは射手の呼吸を感じ取ればいい。慣れれば放つ時が分かる。簡単さ」
「簡単、ですか……」
「うん。今度やってみようか」
やってみようでできるものなのか? でも、教えてもらえるなら断る理由なんてない。
「お願いします」
返事をして剣を下ろすと、指が強張っていた。俺はこんなに握り締めていたのに、フェリクスさんはもう剣を拭いている。
道に倒れている賊は十人以上いた。これだけを、俺たちが数人止めている間に斬ったのか……
呻き声にフェリクスさんが振り向く。腹を押さえた男の前へ屈み、傷を見てから普段の調子で言った。
「これはもう生きられないね。止めを刺してあげよう」
「ああ。こっちも同じだ」
御者をしていた村の男が短剣を抜いた。
男が賊の傷を確かめて刃を入れるのを見て、俺は剣を拭う手を止めた。声が途絶えると村の男は隣の賊へ移る。別の村人も膝をつき同じようにしている。
さっきまで、宿の飯がどうだったとか話していた人だ。俺も横で笑っていた。その手が、ためらうことなく次の賊に止めをさす。
……そんなふうに、できるのか?
助からないと言われれば、そうなのだろう。腹を押さえる指の間から血が溢れている。
でも、分かったからすぐ自分も、と言われたら俺は動けるだろうか……
「拍子抜けだな。弱すぎるぞこいつら」
フィーナが賊に止めを刺しながら言った。
「雑魚でよかったよ。荷を駄目にされたら面倒だし」
「的当てにもならなかったね。少し残念」
ミレイとリゼットまで、そんな話をしていた。
残念って。ついさっきまで殺し合っていたんだぞ?
俺も賊は斬った。今も剣に血がついている。それなのに三人の会話へ入る言葉が出てこない。
なんでこんなに……平然としていられるんだろうか?
「セイン君。悪いけれど、先へ行ってもらえるかな?」
「……先へ、ですか?」
「昨夜の経路図にあった詰所だよ。王領へ入ったところで襲われたと君から説明してほしい。僕らも片づけたら向かうから、そこで待っていて」
ああ、報告か。それなら確かに剣士である俺が行くのが最適だろう。
血を拭った布を畳んで剣を納める。荷車から書類を取り出す時には、なんとかいつもの声に戻せた。
「分かりました。先に伝えておきます」
「助かるよ」
倒れた人数と襲われた場所を確かめる。逃げた数までは分からないので、そのまま話すしかない。
出発しようとすると、村の男が賊の亡骸を道端へ運びながら声をかけてきた。
「セイン、道中も気をつけろよ」
「はい」
いつもの気遣いだ。俺が村で見回りに出る時にもそう言ってくれる人だ。
フェリクスさんは軽く手を上げ、三人はもう荷や牛を見に戻っている。
――王都には人も金も集まるし、強い奴だって大勢いる。それは今でもそう思う。
でも、俺はこの人たちを田舎の道場主だとか、凄腕の村の娘だとか、それで分かったつもりになっていたのかもしれない。
昨夜、同じ部屋で笑っていたフェリクスさんの顔を見る。あの人に聞けば、今のことも簡単だと言うんだろうか。
剣のことならすぐに聞けたのに、今度は言葉が出てこない。
いや、今は俺にできる仕事をするべきだ。書類を懐へ収め、王都へ続く街道を駆け出した。




