第4話:俺は、まだ上へ行ける
ミレイの家を出た俺たちは、その足でエルゼの家を訪ねた。
「エルゼ様、いるか?」
「いるよ。薬ならまだできてないからね」
奥から顔を出したのは銀髪を結い上げた女の人だった。
まくった袖に白い粉がつき、手には薬匙を持っている。仕事中らしいがフィーナは構わず俺を紹介し始めた。
「新しく来た剣士のセインだ。この人は魔女の婆さんのエルゼ様」
「婆さんじゃないよ! まだ三十五歳! 代替わりしたんだから呼び方も変えな!」
「ずっと魔女の婆さんの家だっただろう?」
「それは母さんの頃だよ!」
……危なかった。何も言われなければ魔女の婆さんと覚えていたかもしれない。
「初めまして。マナの使い方について教わりたくて来ました。ミレイからこちらを訪ねるといいと言われまして」
「ああ、それでかい。入りな」
室内には薬草を吊るした棚と小瓶が並び、作業台の小鍋から湯気が上がっていた。
魔女は森の知識や魔法を受け継ぐ一族だ。故郷でも薬を買うなら魔女の婆さんを訪ねたが、こんなに若い当主には会ったことがない。
薪割りで言われたことを話すと、エルゼは俺の手首に指を添えた。
「いつものようにやってごらん。……なるほどね。使わずに待たせてるマナが散ってるよ」
「これがオーラの邪魔をしているんでしょうか?」
「それも見てみないとね。ただ、私は調合の途中なんだ。娘に見てもらいな。このくらいならあの子もやれるでしょ」
薬匙で鍋をかき混ぜながら裏庭を指す。フィーナが「リゼットだな」と戸口へ向かうと、すかさず声が飛んだ。
「母さんからの頼みだって言っておくれ。あと、庭で剣を振り回すんじゃないよ!」
「今日は私が教えるわけじゃないから剣は抜かない」
今日は、か。俺は余計なことを言わずに礼を述べ、フィーナを追いかけた。
裏庭では、光の矢が立て続けに的へ突き立っている。
射手は背中へ銀髪を流した少女だ。俺たちと同じ年頃に見えるが、一本が当たる頃には次の矢を放ち、それがまた的の中央にある小さな印を打つ。
まるで弓の早撃ちだ。それも、一度も外さない。
あんなに急げば普通は狙いがずれる。三技学校でもそうそう見ない精度だぞ? 騎士でも上位の魔法制御じゃないのか?
「リゼット。エルゼ様から頼みだ」
最後の一本を撃って少女が振り向く。フィーナから事情を聞くと、彼女は俺に「どんな使い方をしてるの?」と尋ねてくる。
「その前に、今の矢について聞いてもいいか? 撃つたびにマナを集めてるのか?」
「うん。このくらいならすぐだから」
「次の分を溜めておいた方が早くないか?」
「大魔法なら分かるけど、これにそんな準備は要らないよ」
リゼットは片手を上げ、また二本の矢を撃った。話をやめて構えた、そのわずかな間にもう撃てるのか……。
「普段は抑えておいて、使う時に巡らせる方が楽かな。騎士様のやり方は知らないけど。教わったとおりにやってみてくれる?」
「ああ。俺が使うのは風だ」
呼吸に合わせてマナを取り込み全身に巡らせる。これでいつでも風を放てる。
準備が終わったことを告げると、リゼットは俺の肩から腕へ手を添えていく。肘のあたりでその手が止まった。
「肩に溜めてるね。肘にもかな? 魔法の準備をする時にマナをそこに集めてない?」
「……言われてみれば。剣の追撃や牽制にも魔法を使うから、指先へすぐ送れるように集めているかもしれない」
「ふーん? ……どういう風を撃つつもりだったの?」
「相手を押し崩す風だ。剣を合わせたところで叩きつける」
「なるほど……でも、こんなにいるかな? 無理に大魔法にしようとしてない?」
強い風の方が相手を崩せる――そう答えかけて、的の小さな印を見た。
確かにあそこを狙うだけなら板を吹き飛ばす必要はないな。
昔は足元へ小さな風を送って隙を作ったものだ。強い風を出すことばかり考え始めたのは、いつからだろう。
「前は魔法を使ってから剣で攻めてた。でも学校では剣技の中に魔法を織り交ぜろって言われてな。それでずっと練習してたんだ」
「じゃあ、今は剣で攻めることは考えないで。小さな風を使ってみよう」
純粋な魔法だけか。ひとまずマナの動きだけに意識を向ければいい。
「肩に溜めた分も巡らせて。息を吸って取り込んだマナを、肺から全身へ流すようにね」
指先へ送り出そうとして、また肘に集めかけた。リゼットに止められてやり直す。
溜めずに使うのは落ち着かないが小さな風ならできるはずだ。
「フィーナ、葉っぱを的の前で落としてくれる?」
「こうか?」
放られた葉を細い風で受け止め、的へ押しつけた。中央の印まで滑らせてからリゼットを見る。
「これでいいか?」
「うん。今の感じでもう一枚」
二枚とも落とさないように風を分けると、リゼットが的に近づいた。
「別々に動かせる? 維持もだよ」
「ああ。これくらいなら」
昔の練習を思い出し、二枚を上下にずらして入れ替えた。葉の周りだけ包むようにすればいい。
「……それ、私よりうまくない?」
「え?」
的から目を離した拍子に葉が落ちた。いや、今は聞きたいことがある。
「あんな矢を撃てる奴が何を言ってるんだ?」
「マナの矢はずっと練習してるから。でも、今の風は別。魔法を解除して」
魔法を解除するとリゼットは二枚の葉を拾い、風で浮かべた。俺と同じように的へ押しつけ位置を入れ替えようとするが――
「ほら、駄目だね。私がやると落っこちちゃう」
それぞれの風が干渉したのか、制御が難しいのか? 俺は考えずにできていたけど、結構器用なことをやっていたんだな。
「さっきのはどうやったの?」
どうやったと言われても、感覚でやっているからな。あえて言うなら――
「葉を包む風を、一枚につき一まとまりとして動かす感じかな。細かいところを別々に動かそうとしないって言えば分かるか?」
「うーん? このくらい?」
リゼットが二枚の葉を的へ押しつける。さっきより広く風が当たっているが、そこまで要らないぞ。
「もっと狭くていい。端だけに当てると回っちゃうから、裏側も包むように」
説明の途中で妙な気分になった。俺がこの子に魔法を教えているのか?
遅いとか、力が足りないとか、王都では指摘されてばかりだった。なのに今は、俺の言うとおりに魔法を使ってくれる奴がいる。
「……俺に聞いてよかったのか?」
「できるんだから聞くよ。私もやってみたいし」
それはそうなんだが。あまりにも普通に言われて、つい笑ってしまった。
もう一度と頼まれて実演すると、リゼットはじっと葉を見つめた。
「魔法だけならこんなに上手なのにね。じゃあ、オーラを使う時は? いつもの身体強化をしながらやってみて」
「ああ」
葉を地面に下ろし、丹田からオーラを巡らせる。剣を構える時のように強化してから、もう一度風を送ろうとした。
……あれ?
指先へ届くはずのマナが肩の辺りで滞る。流そうとして力を込めると、今度は腕の強化が落ち着かない。できないほどじゃないが、さっきより気を取られる。
「どう?」
「……つっかえる気がする。言われてみれば、ってところだけど」
「また肩に溜めてない?」
腕に触れたリゼットに言われ、息を吐いた。
魔法を使う準備はできているか。相手の剣を受けられるか。そう考えると、どうしても両方に力を込めてしまう。
「これ、いつもこうだったのか……」
もっと強く巡らせればいいと思っていた。なのに、力を込めるほど邪魔になるのか?
「両方とも強いから、溜めたマナがオーラとぶつかると邪魔になるのかもね。魔法だけなら平気なのに」
「なら、強化しながら溜めておくのをやめればいいのか?」
「まずはそこかな。魔法はさっきみたいに使う時に巡らせればいいから」
魔法のために強化を解いたら斬られる。だったら、ずっとマナを待たせる方を変えるしかない。
ひとまず魔法を撃つのをやめ、溜めかけたマナを散らす。腕へ通るオーラが落ち着いて思わず手を握り直した。
薪割りでも、剣に生かそうと考えればこの癖が出るわけか。
「明日、ミレイにも見てもらう。俺だけじゃまた溜めてても気づかないかもしれない」
「うん。私も一緒に見ようか。そのあとまた風を教えてね」
「もちろん。俺にできることなら」
教わり方が違えばできることも変わる。
なら、あの四年間は何だったんだよ……もっと早くこの違いに気づけていれば、あと一席くらい届いたかもしれないのに……
――いや! ここで腐ってどうする!
地方へ配属されたあとに功を立て、騎士に任命されて王都へ返り咲いた人物だっている。学校で聞いた時は、自分も地方から始めることになるなんて思わなかったけれど。
俺だって、まだ終わってない。
「リゼット、もう少し練習していいか? 今度は溜める前に気づきたい」
「いいよ。じゃあ、もう一回最初からね」
彼女に腕を差し出す。試したいことがあるのに、昔の順位を数えている暇なんてない。
俺だって、ここから騎士になってやる!




