擬態のジルコン、夕立のダブリング
今回硬度は7.5ほど。
「ふわーあ……」
ティスタは大あくびをして工房の棚に飾られたグロッシュラーガーネットを見ていた。時間は午後十一時。ダボッとした(リアンの)シャツを着て、あとは寝るだけ。
そっと石を手に取る。トパーズでも、イエローサファイアでもない、柔らかな蜂蜜色の石は、角をほんの少し削らせて彼女の手のひらで鈍く輝いている。
その時。
ギィン……!
「っ……!?」
石がティスタに同調してきた。突然のことで衝撃が大きく、ティスタはよろけて棚に手をつく。
『あー、やっと繋がったー! ティスタ! 大きくなったねぇ!』
朗らかな石の声。名前を呼ばれたことにティスタは瞠目した。
(……!? 何で、名前……!?)
『ほらー、マラカイんとこにいたじゃーん。あれは? あの、赤い子』
師の名前を聞いてティスタの心臓が大きくドキリと鳴る。
(ちょちょちょ、ちょっと待ってて!)
ティスタは眠気も吹き飛び、リアンを呼びに工房を飛び出した。
「あー……」
リアンは半分死んだ顔をして歯を磨いていた。もう寝たい。何も考えず寝たい。
(……なんで、俺、手……)
いやアイツは放っとけばどっかに行く。もう一回迷子になったら今度こそ会えない確信があったから繋いだだけで。
(……いや、誰に言い訳……)
明日の仕事でも考えよう。うがいのために口に水を含んだ。
バタバタとうるさい足音がリアンの背後から聞こえて、寝間着姿のティスタが鏡の向こうに見えた。
「リアン! ちょっと来て来て」
ブフォッ! リアンはうがいする前に口から水を噴き出す。
「ティスタ!? あんだよ、うるせえな!?」
「いいから来て! 工房!」
ティスタの手がリアンの腕に絡み、グイグイと引っ張っていく。
「っ、分かった、分かったから! うがいさせろ!」
「ああ? ガーネットが俺たちを知ってた?」
訝しげな顔でリアンは石を覗き込む。彼の目にはただ沈黙した蜂蜜色のみ。
「連れてきた!」
『おっ、今は赤くないんだ。久しぶりー』
ね、とリアンを見上げるティスタに、リアンは首を振る。
「……俺はもう声は『聞こえない』んだよ」
少し痛みを堪えるような声に、ティスタはハッとした。
「あっ、そっか……。えと、えっと……。手! 手ぇ出して」
「ん? 手?」
彼の大きな手のひらを、グワシッとティスタは握り、そのまま彼女は魔力を流し込む。ビリビリとした刺激がリアンの体に流れた。
「だああっ!? いきなり何しやが――」
『ふふっ、変わんないね、二人とも』
「っ!?」
リアンの耳にも石の声が聞こえた。ティスタが魔力を流して、石とリアンの「波長」を合わせたのだ。
「ほらあ! リアンも聞こえたね」
ティスタのはしゃいだ声はリアンにはどこか遠く聞こえた。
『マラカイがさあ、最期まで君たちのこと心配してたよ。でも、無事で良かったねぇ』
どこまでも純粋な石の言葉。けれど、その優しい言葉は二人の心を深く抉る。
二人に石の全てを叩き込んだ師匠、マラカイはもうこの世にいない。
「……」
『マラカイはさあ、君たちに普通に生きて欲しかったんだよ。でも、元気そうだね。そだ! マラカイがさ、あっちの石のことは心配すんな! って言ってたよ! そろそろ僕も寝るね、おやすみー』
石は自分の言いたいことだけ言って沈黙する。
「…………」
工房は、静寂に包まれた。
「……寝るぞ。手、離せ」
「あっ……、うん」
ぶっきらぼうな言葉に、ティスタはぱっと手を離した。大きくカサついた、あったかい職人の手が、いつもより冷えていた。
カラン。ドアベルが来客を告げる。
季節は夏。あまりの暑さのため洗面所でネクタイを取って首筋の汗を拭っていたチャロは慌ててネクタイを締め直す。そして店へと歩き出した。
「お待たせしました。……いらっしゃい」
少し首に貼り付いた髪。ちょっとだけ乱れたネクタイ。いつも白い頬が、暑さで上気している。
そんなチャロの「いけない姿」を見た客の男は、思わず鼻を押さえた。
「ジェントル……? いかがされました?」
赤いものが出ていないか、鼻から手を離して確認した男は、手荷物から小さな箱を取り出した。
「いや、失礼。……お話には聞いていたが、まさかここまでの破壊力とは……いやいや、こちらの話です」
不思議そうな顔で首を傾げたチャロに、男は慌てて手を振った。
「これを、鑑定していただきたく。『帝国』の、最高品、ダイヤモンドだそうなのですが」
一瞬チャロから微笑みが消えた。しかしすぐに仮面を被り直す。客は石を見ていて気づかない。
「世界で一番硬い鉱石、ダイヤモンド。帝国産ならば質もよいでしょう。これで、貿易用の荷運びの機械を動かそうと思ってましてね」
安全利用だ。ほ、とチャロは肩の力を抜いた。
「そうですか。ダイヤモンドはその内包する魔力も安定し、最も長持ちしますからね。……拝見いたします」
チャロは鑑定スペースへと箱を運んだ。男へ茶を淹れようとすると、彼はやんわりと断る。
「お気になさらず。ただ、私もあなたの鑑定を見てもよろしいですか? なかなかの目の保養と伺っておりますので」
「はい? ええ、まあ、隠すものでもないですし。どうぞ(保養? なにそれ)」
箱を開けると、そこには美しいカットの無色の石が鎮座している。
(おお……)
ダイヤモンドのようなギラついた輝き。大きさは小指の先ほどだろうか。大きい。手に持つとそれはズッシリと重さを主張した。
(あれ、重い……)
光に透かす。ギラついた白い輝きの中にきらりと虹色が放たれる。
(金剛光沢とファイアはある、と)
ルーペで覗き込む。ダイヤモンドならば、向こう側のカットの境界線――ファセットラインは真っ直ぐのはず。けれど、その線はまるで酔った視界のようにゆらりと二重に分かれた。
(ダブリング……!)
一応、とばかりにチャロはサファイアの欠片を取り出した。これは加工したときに削られた、小さな小さな破片だ。カットを邪魔しない部分、そっと当てる。
カリッ。
そこはほんの僅か、白く粉を吹いた。
(あーー……)
今度はクォーツを当てる。音はキチキチ……と鳴るだけで傷はつかない。
(硬度十のダイヤモンドのはずが、硬度九のサファイアで傷が付き、硬度七のクォーツでは付かない。やっぱりこれは――)
チャロは、顔を上げた。そして、男を見据える。
「ジェントル、残念ながらこれはダイヤモンドではありません」
「なっ!?」
男は驚愕のあまり、目を見開いた。よろ、と体をふらつかせる。
「これは、ダイヤモンドとよく間違えられる、『ジルコン』です。ジルコンはダイヤモンドよりも柔らかい、硬度七・五ほど。硬度九のサファイアで微かに粉が吹きました。……そして、極めつけはこの石を覗いた時。ダイヤモンドは単屈折なので、光をそのまま通すんです。しかし、この石は反対側のファセットラインをダブらせた。強烈な複屈折を持っています。ダイヤモンドにはない特徴です」
機械動力として使うならば、長期利用できるダイヤモンドがおすすめだ。宝飾だけであればそこは別に構わないのだけど。
「このジルコンを動力として使うのであれば、少しお勧めできません。ダイヤモンド並みの出力を出させると、石が死ぬ」
硬ければ硬いほど、魔力は安定して細長く出力する。反対に、脆いほど力は一気に放出され、同時に石の寿命はあっという間に失われる。
ぐぐ……とチャロは拳を握り締めた。石が保たず、一気にその力を放出する。それは機械を作動させた時、石とともに機械ごと、いや、その場が暴発するということ。多数の死者が出る。恐ろしい「時限爆弾」。
彼が鑑定を頼みに来て良かった。知らせることで最悪の事態は免れた。
「ジェントル、これはどこで……?」
呆けたように男はチャロを見た。口元は諦めたような笑いが滲んでいる。
「……知り合いから、『これはダイヤモンドだぞ、しかも帝国産だ』と言われて購入したものでした……。鑑定書も無かったので、噂を聞いて鑑定してもらおうと思って……」
「そうでしたか……。クォーツレベルの出力でしたら、大丈夫ですが……。一応、回数も見てみますか?」
「は、はい……クォーツレベルなら、小さいのなら行けるかもしれません。お願いします」
(さあ、『ジルコン』、教えてよ)
チャロはルーペを構え、石を覗き込む「フリ」をした。石の声は「鑑定士」は普通聞こえないからだ。
『ウソつきウソつき! あいつ!』
(……ん? 何を言ってるの?)
『オイラ、閉ざされてるからな! アイツ、ウソつきだよ!』
(え? 何……)
魔力回路を見る。が、「彼」の言う通り閉まっている。詰まっている訳ではない。文字通り「閉まって」いるのだ。
チャロは首を傾げながらルーペから顔を外す。
「……ジェントル、大変申し訳ありません。回路が、その……よく分からなくて……」
すると、彼は恐縮したように手を振った。
「いえいえ! ダイヤモンドではなかったと判明しただけでも命拾いしたものです! 暴発していたと思うと、恐ろしい」
ぶるり、と彼は自分を抱きしめて震える真似をする。その茶目っ気のある仕草に、チャロは、ほ、と安堵の息を漏らした。
「いやいや、今日はありがとうございました。なかなか良い体験をさせていただきましたよ」
「いいえ、お役に立てず、申し訳ありません」
またお待ちしております、と微笑んで見送る。男は何度も振り返り、手を振って馬車に乗って去った。
「あー、ひと雨来そうだなあ」
空を見上げてチャロは呟いた。うだるような暑さの中、西の空が真っ黒に染まっている。ここからまだ遠い空の上、ぴかりと稲妻が走った。
ガラガラと馬車は石畳を進む。そのうち港が見えてきた。
手のひらには「閉じられた」ジルコン。男はにこやかな顔とは裏腹に、ぎりりと石を握りしめる。
彼の脳裏に浮かぶのは、先ほどの麗人。一人称や服を男のそれにしてどれほど偽ろうとも、骨格や醸し出される色香は偽ることはできない。――そう、あれは女。
年は二十代前半か。ちょうど「あれ」から生き残っていれば、その年の頃か。
「……おのれ、マラカイめ。死んでなお我らの邪魔をするか」
ぐぐ……とジルコンを握りしめ、魔力を込める。そして馬車の小窓を開け、海へと投げ捨てた。石は音も無く海へと吸い込まれる。
ぼつ、と大粒の雨が降ってきた。それは雨足を途端に強め、激しい夕立へと変わる。
大雨の中、ジルコンは海の中で込められた魔力に耐えきれず、暴発する。それは、大きな水柱を立てた。けれど、けぶる雨の中、ひと気のない港を見る者はない。
「……まあ、御健勝そうでよろしい。また、お会いしましょう。ティスタ様」
土砂降りの中、リアンはずぶ濡れになって買い物から帰ってきた。
「はー……やべぇ……。濡れたというか泳いだ感じだわ……」
自分の体を盾にして、なんとかずぶ濡れから守った仕事道具を床に置き、リアンは裏口でシャツを脱いだ。ビチャビチャと雨水が滴り落ちる。そのまま戸を少し開けてシャツを絞った。びしゃぁ、と水がどっと絞られる。
「うあー……」
頭からも水が垂れ、リアンは耐えきれず髪を掻き上げた。
「はー……。……あ?」
視線を感じ、振り返るとチャロが立っていた。手にはタオルが握られている。
「あ、お、お、お帰り。すごい、ずぶ濡れだね」
「あー……もう、最悪。お前は? 仕事終わりか?」
「そ、そうだねっ。お客様も帰ったし、そっ、掃除してこよーかなぁー」
目を合わさず、チャロは、あははと棒読みに笑いながら店へと引き返していく。去り際にリアンに投げつけるようにタオルが押しつけられた。
「なんだ、アイツ……」
「びっっくりした……」
リアンが帰ってきた音がしたから。この雨だ、ずぶ濡れのリアンのためにタオルを持って行っただけなのに。
シャツを脱いで濡れた髪を掻き上げたリアンは、ティスタの知らない「男のひと」に見えた。
雨はまだ止まない。
それは、熱くなった心を冷やすのと同時に、冷たい手がゆっくりと伸ばされているようでもあった。
ジルコンとダイヤモンドは見た目はよく似ているそうです。
ですが、ジルコンの方が、密度があって重く、複屈折を持つ、らしい(素人調べ)です。
人工ダイヤのことをジルコンだと思ってましたが違うんですね。




