あの日繋いだ二人の手、蜂蜜色のガーネット
今回は硬度7〜7.5。
パキーン。
「あ」
石の研磨中、ついに研磨機の稼働石が割れた。ブウウウン……。回転盤はゆっくりと速度を落とし、沈黙する。
「おいおい、スペアもねえのかよ。……やっちまった……」
リアンは舌打ち交じりにぼやいた。マラカイのゲンコツ案件だ。
石がなければ人々は魔力を魔法に変換できない。この、魔力を動源としている機械の数々も動かない。
はあ、と頭をガリガリと掻いて、リアンは鑑定室の小窓を開けた。
「ティ……チャロー、お前んとこ、予備の石ねえ……?」
小窓からは、ちょうどルーペをつけて石を鑑定中のチャロの横顔が見えた。唇をキュッと引き結んだ、真剣な眼差し。手袋をつけて、石への敬意が見て取れる。長い睫毛がふるりと震えた。あれは自分の思っていた石の正体が合致していた喜び。
ティスタは石の声が聞こえる代わりに、かなりの魔力と体への負担をかける。いきなり石と会話すると、それこそ体を引き裂くような痛みが伴うことから、彼女は石の正体を暴き、ゆっくりと距離を詰めてから会話をしている。鑑定はそのための重要なプロセスだ。
そっと小窓を閉める。とりあえず急ぎの案件はない。洗浄くらいなら大丈夫だろ。
もう一度頭をガリガリと掻いた。工房の掃除でもするか。
「あー、どうすっかなー」
「あれー、リアン、さっき窓開けたじゃん。なんか用だった?」
機械を分解して小さなほうきで隙間に入った石の削り粉を掃き出していたリアンは顔を上げた。顔には口布をつけ、粉を吸い込まないようにしている。
「んー、研磨機の石が死んだ。マラカイに知られたら俺が殺される」
お前仕事中だったからやめた、と憮然とした声に、ティスタは、ふはっと吹き出した。
「確かにぃ? ガーネットだっけ。いいよいいよ、そろそろ店じまいの時間だし、私も行きたい」
「はあ!? お前は留守番してろよ(石仕入れに行くだけだぞ)」
それを聞いたチャロは口を尖らせた。
「いーじゃん。一番いい奴、『僕が見繕ってあげましょうか?』」
きり、と営業の顔をする。今度はリアンが吹き出した。
「ぶはっ、なんだよそれ。ここ終わったら行くぞ。支度してろ」
「わーい! じゃ、店閉めてくる」
ウキウキとした足取りでティスタは工房を出ていった。
石の粉を集めて外へ捨てる。埃っぽくなった工房の窓を開けて換気し、ようやくリアンは口布を取った。
軽く体についた粉を払い、工房の戸締まりをする。あとは財布を持てば準備完了。
「おい、ティスタ、お前準備でき……」
二階の居住スペース。行くぞ、と声を掛けようと扉を開けたリアンの目に飛び込んできたのは――。
「あー、遅いー。待ちくたびれたー」
普段は一括りにしている髪を結ってまとめ、袖がレースで飾られたシンプルなワンピースを着たティスタが座っていた。なんかお菓子をつまんでいる。
いや、そうじゃなくて。
「…………なんでそんな格好してんだよ?」
ようやく再起動したリアンが絞り出したのは、唸るような疑問だった。
「はー? 私だってたまにはティスタで買い物したいー! チャロで行ったら、それこそ買い物どころじゃなくなるじゃん!」
確かにそうなんだけど。
リアンはこめかみを押さえる。なんかちょっと痛くなってきた。
「ツッコミどころは色々あるが、とりあえず行くぞ」
「いえーい! あ、リアン奢ってよね。生活費全部入れてんだから」
ワンピースの裾をふわりと揺らし、ティスタは立ち上がった。
「あー、はいはい。けど価格によるぞ。高いのは脚下。無一文のお前に選択肢はない」
「ちょ、ひどー!」
時間は午後三時を回っている。夕方に近づくにつれ、市場は人が多くなっていく。ガヤガヤとした人の波をリアンは器用に抜けていった。
(うわあ、人多っ! わぷっ、え、これどうやって抜けるの!?)
どんどんリアンの背中は小さくなる。ちょうど泣きそう。
(えー!? ちょちょちょ、待ってー!)
大きな声は出せない。普通の声の大きさだって、静かな店と比べれば、このざわめきに掻き消されてきっと聞こえない。絶対絶命。
「あら? ティスタ、さん?」
なんだか聞き覚えのある声。それは、ティスタにとって、まるで救いの女神の声に聞こえた。
「イザベラ様……と、オリバー様?」
二人は平民よりの、少し綺麗な格好をして、不思議そうな顔でティスタを見ていた。
「着いたぞ、ティスタ。ここでいつも石を仕入れてんだが――」
リアンは振り返る。しかし、後ろにいるはずの、いつもと違う見慣れない格好をしたティスタがいない。
「…………」
数秒沈黙し、リアンは思い切り「はあ!?」と叫んだ。
「まさか、チャ……ティスタさんがこんな格好で、こんなところで会うなんて、驚きました」
「いやぁ、本当に助かりましたー! 私、今日石を見繕いに来たんですけど、リアンに置いてかれちゃって……」
あはは、と軽やかに笑うティスタは、さっきまで瞳を潤ませていたのと同一人物に見えない。
まるで貴族令嬢のように「化けた」ティスタに、オリバーは自分のしでかしたことを思い出したのか、また灰になっている。
ひと目見ただけでは、はっきり言って「チャロ」と「ティスタ」が同じ人間とは思えない。ワンピースの袖に飾られたレースは、彼女の白い腕をうっすらと浮かび上がらせ、華奢であることを物語っている。ふわりと風で揺れる柔らかい布地でティスタの体の線が強調され、どこから見ても大人の女性であった。加えて、その掠れた声は落ち着いた知性が滲み出ていて、「女」としての色香が感じられた。
「お一人ではなかったんですね。……本当に、ティスタさんは女性でいらしたんですのね」
「お見苦しいところを……」
ふふふ、と笑う姿を見たイザベラは、自身の新たな扉を開いてしまった。
(……おい! ティスタ! どこにいんだよあの馬鹿……!)
人混みの中を掻き分けて、血眼になって走る影が一人。
しばらく談笑して、イザベラはにっこりと傍らの灰になった男の服を引っ張った。
「オリバー様。何か申し上げることあるのではなくって?」
彼は真っ白のまま、機械仕掛けの人形のようにカクカクとティスタの前に片膝をついた。
「ティ、ティスタ嬢。……先日は、本当に……申し訳ないことを……」
(おや。イザベラちゃんに言われたのかな?)
ティスタは営業スマイルで微笑む。
「痕もなく治りましたし、ここで私も助けていただいたのでおあいこです」
でも、ちょっと男性怖くなりましたけど、と軽やかに続けると、オリバーは「うぐっ」と心臓のあたりを押さえて地面に転がった。イザベラに至っては目がとろんとしている。
(いや、貴族怖いな!?)
その光景はどこから見ても儚げに微笑む女性にノックダウンされる男と思慕を寄せる少女の姿であった。
(……あ? なんだあの人だかり……)
汗だくになって息を切らし、周りを見渡した時にリアンの目に入った小さな人だかり。そこは店もない開けた場所。その中心部分に、ちらりと見えたラベンダー色があった。
(ああああ……! いた……!)
はあ、と肺から息を吐き出して、リアンは駆け出した。
「じゃあ、リアンさんと?(デートですの?)」
「そうなんです。工房の石が死んじゃって(買い物に来たんだよ)」
「まあまあ!」
イザベラの顔が輝いた。と、その時。
「ティスタ!」
低い声が人垣を掻き分けてティスタの耳に聞こえてきた。
「あ、リアン。おーい」
大きな声は出ないので囁くように呟いてティスタは手を振る。
美女が、その辺の薄汚れた口の悪い男に微笑んで手を振る構図が完成していた。
リアンはつかつかとティスタに近づくと、彼女の前で止まる。そして、一度息を大きく吸って――。
「……こんのっ、……馬鹿野郎が!!」
彼女の耳元で怒鳴った。その衝撃にまるで風が吹くように彼女の服がはためき、ティスタは仰け反った。片耳に指を突っ込む。
「……怒鳴らなくても聞こえるよ……。うるさいなあ」
肩を激しく上下したリアンは、ようやく周囲の生暖かい視線が自分たちに注がれていることに気がつく。そしてすぐ目の前には迷惑そうに眉を寄せるティスタ。リアンは小さく舌打ちをした。ほんのり耳を赤くして視線を逸らす。
「ったく……。悪かったな(まさかついてこれないとは思わなかった)」
ティスタは一つ瞬くと、ひひ、と笑った。
「――イエローサファイアですって。珍しいわ」
落ち着いた頃にそんな声が聞こえたのは、何かの巡り合わせなのかもしれない。
すっ、と二人の顔つきが変わる。「迷子になった姫君と慌てて迎えに来た騎士様」だった二人が、宝石の名前を聞いた途端、「宝石鑑定士と加工職人」へ、その変わりようはまるでコランダムやベリルの多色性のようで、いっそ見事なものであった。
イザベラは思った。これは見逃してはならないと直感が告げている。この二人の行く末を見届けよと神が仰せだ。そろりと離れようとしたオリバーの上着をガッシリと掴み、イザベラは彼に微笑みという名の無言の圧力をかけたのであった。
「……これはね、珍しいイエローサファイアなんですよ。なかなかこの辺では、帝国のお貴族様でも手に入れられないものでさぁ」
ほお……と民衆の声が上がる。輪の中で自慢げに語る男はその市場で宝石を取り扱っている宝石商だろうか。
帝国。その言葉を聞いたティスタは体を硬くした。リアンも眉間に皺を寄せている。
「……ん? あの男は確か、ヴァンス男爵家のお抱えではなかったか?」
ふと、男の顔を見たオリバーが口を開いた。
「あら、ヴァンス男爵家と言えば、今年卒園なさるセレネ様の?」
ピクリ。ティスタの動きが止まる。リアンを見ると、彼もまたしかめっ面で頷いている。
(繋がった……!)
「ああ、相手の令嬢はよく知らないが、そんな名前だったかもしれない。取り扱う宝飾品は多いんだが、鼻にかけるような話し方がどうも気に入らなくて……」
オリバーが苦い顔でぼやいている。
「……では、私たちの出番だね、リアン」
「あんまり目立つなよ(チャロってバレるだろうが)」
イザベラとオリバーの隣を、二人はすっと歩き出し、輪の中心へと向かった。
「イエローサファイアはね、コランダムでルビーとおんなじ仲間でさぁ。普通サファイアは青いはずなんだが、それがこの色さ! 美しいと思いませんかね?」
宝石商の自慢げな声がこの場にガンガンととどろく。
「――では、私にも見せてくれる?」
囁くような、少し低く落ち着いた声は、不思議なことにその場によく響いた。カツ、と石畳の上に靴音がゆっくりとこだまする。
シンプルなワンピースを揺らし、不思議な色の髪は綺麗にまとめられた、一人の女性。お忍びの貴族か、いや、それ以上の気品すらも感じる。華奢な体。背は少し高い。藍色の瞳は微笑みを浮かべ、まるで宝石を迎えに来た女神のよう。
宝石商は思わず見惚れた。
「その、イエローサファイアというものを」
ティスタは近づいて布張りの豪奢なトレイに載せられた石を見つめた。それはとろりとした蜂蜜のような色をしている。
「よく見ても?」
宝石商が呆けたように頷いたのを見て、ティスタは手を伸ばしたが、石を手に取る前にリアンの手に遮られる。
「えっ、リアン」
「……貸せ。俺がやる(目立つなっつったろ)」
すっと彼は石を手に取り、極自然な動きで瞼に付けた。無言で離し、ティスタに軽く首を振る。どうやら情報を教えてくれるようだ。
(……ああ、あまり冷たくないのね)
次に彼は太陽光に照らした。直射日光だからあまり良くはないけれど、まあ仕方ない。石は角度を変えてもそのままの蜂蜜色。そして、それは鏡のように光を強く跳ね返した。
(ふうん。多色性は無し。屈折率高め)
じゃあアレかな、と大体予想がついた。と、リアンが口を開く。
「あー、そこの、えっと……トパーズの指輪つけた奴」
顎でオリバーを指す。
「わっ、私!?」
「ちょっとこっち来い」
(えええ!? リアン、顎で貴族使ってるんだけど!?)
オリバーが近づくと、リアンは彼の指から指輪を抜き取る。
「おっ、おい!」
それは、インペリアルトパーズのギメルリングの片割れ。もう一つは恐らくイザベラの指についている。
「……これは、『チャロの店』で鑑定を受けたインペリアルトパーズだ。トパーズとコランダム、どちらが硬いと思う?」
にや、とリアンは不敵に笑った。
「何をする! 私の商品だぞ!」
リアンは容赦なく、その黄色い石の隅をインペリアルトパーズで擦った。
(ぎゃあああああ!)
ティスタは心の中で叫びながらちょっと遠い目をした。確かにコランダム――サファイアは硬度九。トパーズは八だ。お互いが喧嘩すればトパーズが負ける。これは恐らく偽物で、硬さはトパーズ以下。従って傷つくのはあちらの方。だけど。
(ものすっごい、強引なんですけど……!)
ざり、と音がして、微かに「イエローサファイア」が傷ついた。
リアンはその傷を認めると、オリバーに指輪を返した。
「ちょっとリアン! いくらなんでも強引すぎ! トパーズが割れたらどうすんの!」
服を引っ張って小声で言うと、彼は心外だと言うように片眉を上げた。
「トパーズを加工したのは俺だ。どの向きに力を入れたらまずいとか、俺が一番分かってるんだよ」
そうか。なるほど。って、違うよ!
「きっ、貴様! 私の大切な商品を……! これだから平民は……!」
はあ、とティスタはため息をついて一歩前に出る。
「……店主。これは『イエローサファイア』ではありませんね? イエローサファイアであれば、太陽光に照らした時、もう一つの色が出てくるはず。けれど、この石は全く変化がなかった。そして、コランダムならば熱伝導率が高いはず。彼が触った時、そこまで冷たくなかったようです。決定的なのは、トパーズで傷がついたこと。おかしいですね? 硬度九のイエローサファイアが、硬度八のトパーズに負けるなんて」
ティスタは目を細めた。
「そこにあるルーペ、貸してくださる?(うわー……女の子言葉なんて、久々すぎて体が痒いよ……)」
ティスタはルーペを受け取り、石を覗き込んだ。水の中に蜂蜜を入れ、少しかき混ぜたようなもやもやとしたうねり。
「結晶の中にうねるようなモヤ。糖蜜状組織が見えるわ。つまりこの石は、『グロッシュラーガーネット』。イエローサファイアの名を騙った偽物よ」
ざわっ、と人々が困惑のさざめきを出した。
「あなた、ヴァンス男爵家のお抱え宝石商らしいわねぇ? その婚約者様にピンクの石を売った記憶はあるかしら? ええと、なんて名前だったかしら。そうそう、少しモヤがあった――」
「モルガナイトでしょう。お嬢様。あれはなかなか良い石でしてね」
にやりと宝石商が笑う。心配して損した。やはりこの娘もその程度の知識だ。そう彼は思った。
「モルガナイトは透明度が高い石だ。モヤがあることなどあり得ない。あの石は、ローズクォーツだと、『チャロ』が証明している」
リアンが被せるように口を開く。チャロの名が出た途端、民衆は歓喜の声を上げた。
「きっ、貴様は先ほどから……! 何なんだ!」
は、とリアンは鼻で笑った。
「俺はチャロの『相棒』の加工職人だが? 二回とも偽装してやがるな、お前。同じ石を扱う人間として、放ってはおけねえな?」
「……貴族に、偽装をしたというのか。ほお。良く話を聞こうじゃないか」
ヤスリ代わりにされたトパーズの件からようやく再起動したオリバーが腕を組んで宝石商を見下ろす。
「私はコリンズ伯爵家嫡男だが。今の話は聞き捨てならないな。私の最愛の婚約者の親友も騙した、ということか?」
「……!」
がくり、と宝石商は膝をついた。
「……そろそろ帰るか」
詐欺師は衛兵に引っ立てられ、騒動は落ち着いた。色々目立ったはずの二人は、「チャロ」の名のもとに霞んで消えた。本来の目的のガーネットも購入できたし、あとは家に帰るだけ。
「あっ、うん。家ってこっちで合ってる?」
全然違う方向を指さすティスタに、リアンはため息をついた。
「全然違う……! いい年して迷子になるわ方向音痴だわ、本当にお前は……」
「何も言い返せない!」
おら、とリアンは手を差し出した。
「何この手」
きょとんと手とリアンを見比べるティスタに、リアンはそのまま、それこそ強引にティスタの手を繋いだ。
「〜〜っ、ちゃんと繋いでおかねえと、また迷子になるぞ!」
夕焼けの色に染まって、彼の顔は赤い。ティスタもまた、むず痒くなって、へにゃりと笑った。
「へへ、そうだね。なんか、昔の頃みたい」
「……そうだな」
子どもの時の頃のように、ぶんぶんと振りながら帰った。
数日後、コリンズ伯爵家オリバーの名で荷物が一つ、チャロの店へと届けられた。中にはなんと、グロッシュラーガーネットが入っていた。どうやら、迷惑料代わりに、ということらしい。
それは今、工房の棚に飾られている。
ガーネットと聞くと、思い浮かべるのは赤ですが、黄色もあるんですね。
オリバーとイザベラがまた出てきました。いいのかリアン。




