三つのベリルと星彩の奇跡
ベリルです。硬度は7.5。
「……」
ティスタは、鏡の前に座っていた。そっと頬に貼られたガーゼを剥がしていく。ぺりぺり。数日前まで真っ青に腫れていたその頬は、腫れも治まり色もほぼ変わらなくなっている。ついでに口の中を確認する。切れた口内はとっくに痛みは無い。
(……歯が折れなくてよかった)
実を言えば、目の前にいきなり男に立たれると、殴られた時の恐怖を思い出して、いまだにちょっと怖い。接客も真正面ではなくやや斜めに立つように心掛けている。
(殴られるなんて、ほとんどないんだろうけど、対策は重要だよね)
ぐう。腹の虫が「ここに食い物を入れろ!」と主張してきた。ティスタは立ち上がる。
「……じゃーん、見てみてー」
階下へ降りたティスタは、朝食の卵を焼いているリアンの前に立った。ガーゼが貼られていた頬を指さす。
「……あ?」
少し寝不足そうなリアンが、寝起きのドスの効いた声で不機嫌そうにティスタを見返す。ずい、とティスタは頬をさらに近づけると、嫌そうに彼は仰け反った。珍しく寝癖がぴよんと揺れる。
「リアン見て! ほら、治った!」
「……あー。顔が歪まなくてよかったな(よく見たらまだ紫のところ残ってるぞ。今日くらいガーゼ貼っとけ)」
「適当じゃん!」
もぐもぐと朝食を頬張る。今日のメニューはオムレツにトマト、あと緑の葉物たち、日を置いてちょっと硬くなったパン、昨日の残り物のスープだ。
特にオムレツはティスタの大好物。ふわんと柔らかくて、中はとろりとしている。火加減難しいのになんだこの黄金色の美しさは。
「うまぁー……。やっぱりリアンのオムレツは最高だね」
それを聞いた彼は鼻で笑う。
「お前が作ると炭が出来上がるからな(前それ食って腹壊したぞ)」
「まあねえ。ほら、私、伸びしろの塊でしょ?」
最後の一切れを口に入れる。バターの香りがほわりと鼻へ抜けた。皿が空になったのを見越して、リアンは自分のオムレツを一切れ、ティスタに寄越す。
「練習しねえとその能力は伸びない。お前のは『伸びしろ』という言い訳だ(あれから一回も台所に立たねえくせによく言うよ)」
「あっ、くれんの!? やった! ……伸びしろは練習してもしなくても、あるもんでしょ?(ほら、リアンだって鑑定しないだけでできるし)」
残りをかっ込んでリアンは皿を重ねた。
「その『伸びしろ』ってのはだんだん消えていくんだよ(『石の声』は、俺には『もう』聞こえないんだよ)」
「はー、リアンてば。(まーた変な事考えてるし)……ん、ごちそうさま」
口元についたオムレツの欠片をペロリと舐め取って、ティスタは手を合わせた。
「んじゃ、今日もがっぽり働きますか!」
「……ほどほどにな」
この数時間後、彼らのもとにエメラルド、アクアマリン、そしてとんでもない秘密を抱えたモルガナイトがやってくるなど、知る由もなかった。
カラン。客が訪れる音がする。
チャロは小腹を満たそうと口に入れていたボンボン・ショコラをあわてて飲み込んだ。空気が入って「んくぅ」と変な声が出る。
「……お待たせしました。いらっしゃい」
日に照らされた顔はいつもより物憂げ。ほのかに漂うショコラの苦くて甘い香りはチャロの色気を底上げしている。
来たのは貴族の妙齢の女性一人と男性が二人の三人。彼らはチャロとその体から漂う色香に恥じらうように頬を染めた。
おい、と一人の青年はもう一人の青年をつつく。どうやら彼はチャロに当てられて照れてしまったようだ。
「……お客様?」
無言の対面が続き、チャロは首を傾げる。さら、とチャロのラベンダー色の髪が角度に沿って揺れ、光に当たって透けるように輝いた。
「……っ、あの! 石の鑑定を、お願いします!」
意を決したように女性が口を開いた。
(おお、女の子のほうが度胸あるね。やっぱ男どもはだめか)
チャロは微笑んで頷いた。
「ええ、レディ。僕は鑑定士のチャロと申します。鑑定する石というのは……?」
「わ、私たち、それぞれ持ってきたんです……! 三つ、お願いします……!」
「……かしこまりました(三つも!? リアンに叱られなきゃいいけど……)」
「私たち、学園を卒業したら、それぞれ別々のところに行くんです。私は結婚するし、こっちの彼は地方の文官に、こっちは王都で騎士に。領が近くて、それぞれ幼なじみで育ったんですけど、私は特に性別も違うし、地方に行く彼も頻繁には会えないなって思って……」
くゆり、とお茶の香り高い湯気が昇る。ふむ、とチャロは話を黙って聞いている。
つまり、卒園して離れ離れになるけど、友情は変わらないということを媒体にする石を加工して身につけたいということのようだ。
「……では、石の『相性』を?」
尋ねると、彼らは少し顔を傾げた。煮え切らない態度だ。
(えっ、何で? 違うの?)
不思議そうな顔で三人を見回し、チャロは一つ息をつく。
「一度見てみましょう」
出されたのは美しくカットされた緑色の石と、丸く削られた薄青の石、それと、ピンク色のゴツゴツとした原石。
女性はセレネ、文官になるという細めの青年はネイサン、騎士になるという大柄の青年はドレイヴンと言った。チャロは幸運にも、彼らの名を呼ぶことを許された。
「……俺たち、そんな揃いのものは要らなくて、色が違ってもおんなじだって言う意味で、『ベリル』を揃えたんだ」
ネイサンが言う。
「だけど、使える金額も限られてるし、時間も無かったから、ちゃんとした鑑定を受けていなくてさ」
(ふむふむ。それでここに来たわけね)
「では、拝見いたします。まずは、ネイサン様の『緑のベリル』から」
チャロは手袋をはめて緑の石を手に持った。ずしり、と大きさの割に質量を感じる。次に、上唇に当てると、目の覚めるような冷たさがある。
(うんうん)
続いて、チャロはルーペを取り出し、石を真横から覗いた。緑のベリル。それはいわゆる「エメラルド」。それの悪質な偽物として、薄いエメラルドに色ガラスを接着する「合わせ石」がある。軽く見た感じ、そこまで透き通ってはいないし、接着面も見えない。
(なんせ、「エメラルドは傷のないものは無い」っていうくらいだしねえ。すごいな、これはお高そう)
北側の窓の光に向けて、ルーペを目にかざしながら石を覗き込む。中は、日の光を通して緑色が広がっている。そして、石の中の不規則な割れ目や内包物が光に影を作り、まるで森の中にいるような錯覚を受けた。
(「庭園」もいいね。これは決まりかな。さあ、「エメラルド」、君の気持ちを聞かせてよ)
キン――。チャロはエメラルドに同調した。
『こいつら、仲良しなのにさ、離れ離れになっちゃうんだぜ? 可哀想だよ』
(まあ、大人になるってそうかもしれないね)
『そんなもんなのか?』
(だから、「ベリル」という絆で、彼らは繋がろうとしてる。ネイサン君を守ってくれる?)
『ああ! ベリル兄弟で守ってやるぜ!』
ふふ、とチャロは微笑んだ。
「こちらは、大変質のよい『エメラルド』でした。ネイサン様との相性もよろしいでしょう」
そう言うと、ホッとしたようにネイサンの肩から力が抜けた。
次は、ドレイヴンの青い石。とても透明度が高い。
(「青いベリル」と言ったら、アレだよね)
チャロはまずガラスの器に水を満たし、そこに石をそっと沈めた。すると、まるで水に溶けたように石は色だけを残し、するりと輪郭を消した。そっと引き上げ、布で拭く。
次に平らな面を底にして、極細かな文字が書かれた羊皮紙の上に置く。すると、文字は大きくくっきりと石の上に映し出された。
(読書石の特徴あり、と)
最後に、鑑定スペースにある窓の光に当て、ゆっくりと動かした。正面は海のような青。しかし、角度を大きく傾けた瞬間、浅瀬の水のような、わずかに緑がかった薄い青へと切り替わった。
(確定。……「アクアマリン」。君も、絆のために協力してくれる?)
ギリ……。一回目と二回目の石との「対話」の感覚が短い。ちょっと頭に響く。チャロは少し目を細めた。
『まー、あやつも彼らのことを大切にしておったからのぅ。すこぅし、冷静さを欠くときがあるが……。どれ、ドレイヴン、わしがその冷静さを助けてやろうかの』
(他のベリルとも、よろしく頼むよ)
『おお、エメラルドと協力するかの』
(ん? エメラルドだけ? ピンクのベリル、「モルガナイト」は?)
『アレはベリルではないからの』
(……は?)
少し痛む頭を押さえ、チャロは顔を上げる。
「ドレイヴン様、これは良き『アクアマリン』でした。騎士となられても、この石は手助けしてくれるでしょう」
「そ、そうか。よかった」
さて。残るはセレネちゃんの「ベリル」。
(ピンクのベリルと言ったら、モルガナイトなんだけど……)
原石を手に持つ。と、思ったよりも簡単に持ち上げられた。
(ん? 軽い……)
チャロはセレネに視線を寄越した。
「セレネ様、失礼ですが、これはどちらで……?」
彼女は申し訳なさそうに俯いた。
「我が家は、その、余裕が無くて……。ベリルも、それなりに硬いでしょう?
だから、その……原石のほうが手に入りやすくて……。婚約者の家のお抱え宝石商から、ツテを使って格安で購入したものなの」
「ふうん……。いえ、ありがとうございます。では、まず鑑定していきますね」
宝石商であれば素材自体は確たるものだと信頼するだろう。
(なーんか、やな感じ)
チャロはルーペを使って光に透かした石を覗き込む。もちろん、光は北窓からだ。ピンクに色づいた石の内部は、朝霧に包まれたかのように白くぼんやりと濁っている。
(おっと。モルガナイトは普通、透き通っているはずなのに。これは、アレか……?)
最後にチャロは油の満たされた小瓶の蓋を開け、そこに石をとぷりと沈めた。
「セレネ様。これは、『ベリル』ではありません」
冷たく、厳しい声音。椅子に座るセレネの息を呑む声が聞こえた。チャロは、小瓶に沈めた石を指さした。そこには、先程までピンクを主張する石が、油の中で輪郭を失い、色の影だけが照らされていた。
「本物のモルガナイトであれば、輪郭が浮き出るはずです。光に照らした時の透明度の少なさ、ベリルよりも軽いもの。……これは、ローズクォーツ」
「そんな……!」
「嘘だろう!?」
セレネの悲鳴、ドレイヴンの声。ネイサンはショックで顔が真っ青だ。がた、とドレイヴンは椅子を蹴立てて立ち上がった。
「セレネはきちんと宝石商から購入したんだ。そんなデタラメ、信じるか……!」
バン! とチャロのいるテーブルを叩いた。大きな音と上から見下される圧迫感。びく、とチャロの肩が跳ねる。その時、鑑定スペース隣の小窓が静かに開いた。
「あー、すみませんが。ここ、色んな石がいるんで、大きな声とか、衝撃は抑えていただいているんです。変に暴発するとお客様方の命も危ないんで(ティスタに何やってんだおいコラ)」
(……リアン!)
一瞬、リアンとチャロの視線がぶつかった。彼は何も言わず、小窓を閉める。
「あ、ああ……。すまない……」
毒気を抜かれたドレイヴンは、ぽつりと呟くように謝った。
いいえ、と首を振ったチャロは石へと向き合う。
(うう……怖かった……。リアーン、ナイスタイミングだよー! さて……、宝石商もムカつくけど、まずは、「ローズクォーツ」、君はどうしたい?)
まだバクバク言っている心臓と相まって、チャロの頭はぎりぎりと締め付けられるように痛みが増す。やっぱり一件一時間は開けたい。負担が大きすぎる。
『あのね、わたしね、べりるっていわれて、かなしかったの。ろーずくぉーつなのに。でもの、ちゃろ、みやぶってくれてありがとう! わたし、このこまもりたいの。だって、けっこんするんでしょ?」
(そうだね、ローズクォーツは愛の守護だもんね)
たしか、モルガナイトも愛の守護だったか。同じ愛のお守りにはなるけど、「ベリル」の絆はどうなるんだろう?
うーん、と悩みつつ、チャロは小瓶から取り出した、まだ油に濡れているローズクォーツを光に透かした。
(……ん?)
油でぬらぬらと濡れている石の表面は、一時的に透明になって、そこを太陽光が通っている。光の輪の中に、薄くて白い三本の線が交差している。
(これ、もしかして……)
チャロは石を布で拭き、セレネを振り返る。その勢いに、彼女は少し驚いた。
「セレネ様。石はベリルではありませんが、あなたを守りたいと言っております。……いかがされますか」
「そんな。私……もう、ベリルを求められるほど、余裕は……」
呟いて悲しげに瞳を伏せる。その様子に、チャロは笑みを深くした。
「僕に、一つ提案があります。……このローズクォーツ、中に三本の線が見えました。恐らくこれは『スターローズクォーツ』。石の中に星が現れるもの。エメラルドの庭園、アクアマリンの海底、そして、スターローズクォーツの星。これらは光を当てなければ見えません。この、「光を当てる共通の秘密」があるのです。鉱物名は違っても、皆様の持つ石の『本物の絆』にはなり得ませんでしょうか?」
はっと三人は息を呑んだ。何もベリルに拘る必要はない。チャロは微笑む。
「どの石も、この大地の奥底で何百年もの長い時間を掛け、生み出された『奇跡』なのです」
ぽろ、とセレネの瞳から涙がこぼれ落ちた。ネイサンもドレイヴンも、己の石を見つめて俯いている。
「……そうだよな、肩書なんて関係ない。姿形が変わっても、俺達の絆が消えることはない……」
しばらくしてネイサンがぽつりと呟いた。そうだな、とドレイヴンも目を潤ませながら頷いている。
「では、こちらで加工しても? そうですね、それぞれ色が違いますから、タイピンやブローチなどはいかがでしょう?(それなりにお代はいただきます)」
「お願いします!」
にっこり。本音を隠し、チャロは天使のような笑顔を浮かべた。
文官のネイサンには、胸元を飾る、知の森のようなタイピン。騎士のドレイヴンには、マントを留める頑丈で、冷静さを失わない海のようなブローチ。そして、既婚者になるセレネには、ドレスに映える星がきらめく美しいブローチ。彼らの胸元には、変わらぬ親友の証がいつまでも輝いていた。
石の中に眠る秘密の共通点を見出し、それを揃いのものとして親友と誂える。そんなことが人知れず流行したこともあったという。
「ああー……」
ぐったりとティスタは食卓のテーブルに突っ伏す。店も閉まった夜の今、頭痛は幾分マシになった。でも辛いものは辛い!
「だから一回三件は多いんだよ(今度から時間制限つけるぞ)」
ことこと、くつくつ。スープを煮込みながらリアンは呆れたように言う。味見のため、小皿にスープを少しよそっている。
「今日はたまたまだもーん……。あ、リアン、あの時ありがとうね」
「も少し塩か。あ? あん時?」
「ほら、あの騎士の子が、テーブルバーン! ってした時、見に来てくれたじゃん」
リアンは塩をぱらりと足す。
「ああ、あれな。石が驚くだろうが。俺はまだ死にたくない(ホント心臓に悪いからやめてくれよ)」
嘘がバレバレな言葉に、ティスタはくふっと小さく笑う。そして、何か思いついたように、あ、と口を開いた。
「私さあ、この間のことでさあ、ちょっと男の人怖くなっちゃったんだけど、リアンは別に怖くないみたい。逆に安心? するっていうか」
ブハッ。ティスタの背中側でリアンが思いっきり吹き出したのが分かった。ついでに味見もしていたのか、「あっちい! ゲエッホ、エッホ!」と激しくむせている。
「はあ? ちょっと、吹き出したやつ、鍋に入れてないよね?」
「ゲッホ、ゴホッ……。いきなり変なこと言うなよ!? 馬鹿野郎!」
ベリルには様々種類があるそうで、有名なものはエメラルド……初めて知りました。




